第9話 街灯、影

翌朝、駅前ロータリー。

七時四十五分。

俺はいつもの位置で立っていたが、紗耶の姿はなかった。

通勤客の波が入れ替わるたび、見慣れたカーディガンやシュシュを探す――でも、いない。

ポケットの中のスマホが震えた。

画面には短いメッセージ。


探さないで。—S


昨日の「明日のお願い」が頭の奥で蘇る。

本気だったのか。

何か理由があるのはわかっている。それでも、足は勝手に動いていた。


 ***


校門にも、教室にも紗耶はいなかった。

担任は「今日は欠席だ」とだけ言った。

理由は聞いていないらしい。


昼休み、廊下で千景が声をかけてきた。


「水城さん、来てないんだって?」

「ああ」

「……これ、昨日のうちに言おうか迷ったんだけど」

 

千景はスマホを差し出す。画面には見覚えのある記事。

去年の夏の日付。「市内高校で部活動中に事故 一名死亡、一名軽傷」

添えられた写真の奥、倒れたバスケットゴールの影。その脇に立つ女子生徒の姿があった。

顔はぼやけている――けれど、見間違えるはずがない。紗耶だ。


「この軽傷って、たぶん水城さん。亡くなったのは同じクラスの友達だったって」

 

千景の声は淡々としていたが、その奥に探るような響きがあった。


「彼女、それをずっと引きずってるんだと思う」

「……なんでお前がそんなに」

「昔、私も似たようなことがあったから」

 

千景はスマホをしまい、ため息をひとつ落とした。


「もし彼女が距離を置こうとしても、本当に置いていいかどうかは、あんたが決めなよ」


 ***


放課後、俺は家に直帰せず、駅前で時間を潰していた。

探すなと言われても、待つくらいは許されるはずだ。

日が沈みかけたころ、コンビニの灯りの向こうに、見覚えのあるシルエットが現れた。


「……紗耶」


 呼びかけると、彼女は小さく笑って首を振る。


「お願い、破ったね」

「探してない。……待ってた」

「同じことだよ」


 肩越しに見えた彼女の表情は、どこか諦めた色をしていた。


「今日は、前の学校の近くに行ってたの」

「事故のあった場所?」

「そう」


しばらく沈黙が落ちる。

やがて、紗耶が小さく息を吐いた。


「去年の夏、練習中にバスケットゴールが倒れてきて……私と、友達の美優(みゆ)が下敷きになった」

「……」

「私は軽い打撲だけで済んだ。でも、美優は……助からなかった」


街灯の光が、彼女の横顔を白く照らす。


「私、何もできなかった。叫ぶことも、手を伸ばすことも。ただ見てた」

 

声が震えているのに、涙はこぼれない。


「それから、毎日考えるようになったの。――最後の日が来たら、何を残せるか」


俺は言葉を選べなかった。ただ、そばに立って聞くしかなかった。


「だからゲームを始めたの?」

「そう。お願いを一日ひとつずつ叶えてもらって、思い出を重ねて……最後の日に、全部渡す」

 

彼女はポケットから封筒を出した。

昨日預けられたものと同じ形。


「中身、見てないよね」

「ああ」

「それでいい。……最後の日まで、ね」


 ***


改札前で別れるとき、紗耶はほんの一瞬だけ笑った。

それは、今まででいちばん脆い笑顔だった。


「明日のお願い、最後から二番目だから」

「じゃあ……最後の日は」

「言わないよ。楽しみにしてて」


ホームに消えていく背中を、見送るしかなかった。

その夜、ベッドの中で何度も目を閉じても、彼女の「最後の日」という声だけが頭に残った。

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