第21話 料理長
寺の境内にはパトカーが一台停まっていた。
僕と伊勢谷くんは、ワゴン車から降りるとすぐに墓地へ向かった。
荒らされた墓の前に、健夫、玄鶴和尚、修行僧、鱒沢警部と制服警官二名の姿があった。
「チッ。またお前らか」僕たちが近づいて行くと、鱒沢警部は露骨に顔を顰めた。
「まあまあ刑事さん。そんなに邪慳にしないで下さいよ」伊勢谷くんは微笑を返して、「健夫さんにお訊きしたいのですが、あなたの弟さんと一緒に遺跡発掘をしている三上という方について、何かご存じのことはありませんか?」
「三上くんについてですか? 彼は淳司の大学時代の友人で……すいません、わたしもそれ以上は知らないのです。彼が何か?」
「実は、今さっき会ってきたばかりなのですが、ズボンの裾が妙に泥だらけだったものですから」
「発掘作業をしていりゃ、泥だらけにだってなるだろ。今、忙しいんだ。あっちへ行ってろ」鱒沢警部が横から口を出し、猫でも追い払うように、伊勢谷くんに向かってシッシと手を振った。
「発掘作業は、今は中止していると言ってましたよ」
「そうだ。茜ちゃんのことがあって以来、作業をしている様子はなかった」玄鶴和尚は、伊勢谷くんが言わんとする意味に気づき、驚きに満ちた表情を浮かべた。それは健夫にも伝染し、鱒沢警部に訴えるような視線を送った。
「そこの山道を少し入った所にログハウスがある。そこにいる三上という男に、今日一日何をしていたか訊いてこい」鱒沢警部は、渋々といった態で、制服警官の一人に命じた。
「ここは我々に任せて、旅館のほうへ戻って下さい。そろそろ天候も怪しくなってきましたから」先程から一層強くなり始めた風に顔を顰めながら、鱒沢警部は健夫に言った。
「そうですね。では、よろしくお願いします」健夫は鱒沢警部に一礼する。
「玄鶴さん、ちょっとお訊きしますが」と伊勢谷くん。
「何です?」玄鶴和尚は、また魔女の話を持ち出されるのではないかと、少し身構えているように見えた。
「ひょっとして、朝霧村というのは昔、鉱山村だったのではないですか?」
「そ、そうだが、なぜわかった?」
「いえ、ちょっとした勘ですよ。さて、健夫さん、行きましょうか」伊勢谷くんはそう言うと、僕らを置いてさっさとワゴン車のほうへと歩いて行ってしまう。
「よくわかりましたね」健夫は運転席に乗り込むと、すでに後部座席で待つ伊勢谷くんに顔を向けた。
「ええ。まあ、何となくですけど」
「でも、名残りなんてないでしょう? わたしが子どもの頃には、すでに採掘は中止されていましたし、大体、鉱山村として機能していたのも一年に満たないという話ですし」
「なぜ、採掘中止になったんですか?」
「さあ」健夫は首を傾げ、「ただ単純に、採掘するものが無くなってしまったんじゃないですかね」と苦笑する。
「そうですか」伊勢谷くんは、急に興味を失ったような口ぶりになる。
僕はふと、淳司や三上は、採掘中止になった鉱山の一部を再発掘しているのではないか、と考えた。それならば、最近になって急に淳司の金回りがよくなったという話も説明がつくのではないか。
「大変なことになりましたね」健夫が車を発進させて少し経ってから、伊勢谷くんは重い口調で切り出した。
「ええ」健夫も暗い口調になり、「茜のことといい、一体どうなっているのでしょう。あの、さっき言っていたことは本当なんですか?」
「三上さんのことですか?」
「そうです」
「ええ。確かにズボンが汚れてました。けれど、彼が犯人なのかどうかまではわかりません」
「それは、もちろんです。彼が妻の墓を荒らす動機なんて見当たらないですからね」言葉とは裏腹に、健夫の顔には疑惑の色が浮かんでいるように見えた。
「ご家族には、言わないでおいたほうがいいと思いますね」
「ええ。親父の心臓に負担をかけたくないですし、明恵だって、口には出さないけれど、すでに相当、神経が参っていると思います。由衣は、あの子はまだ母親が死んだことすら受け入れていないので、余計なことは言わないでおこうと思います」
「あの、由衣ちゃんの様子はどうです? 事件があってからまだ一度も会えず、心配しているんですけど」僕はここぞとばかり、一番気になっていたことを訊いた。
「あれ以来、自分の部屋に閉じこもってしまって、ほとんど口も利かなくなってしまいました」
「先程、料理長の……」と伊勢谷くんが口を挟む。
「永井さんですか?」
「そうそう。その方が、由衣ちゃんの部屋にいるところを見かけましたよ」
「ええ。何でも、永井さんも早くに母親を亡くしたそうで、由衣の気持ちがわかるらしく、何かとあの子のことを目にかけてくれているんです。まあ、あの人の年齢からしたら、孫のようなものでしょう。由衣も、永井さんには心を許しているみたいですね」
「なるほど、そういう事情がありましたか。永井さんは今、おいくつなんですか?」伊勢谷くんは、意味ありげな視線を僕に送りながら言った。
「いくつでしたっけね。もう六十代半ばだったと思いますよ」
「そうですか」
「よろしければ、由衣に少し会って、元気づけてやってください」健夫は僕のほうを見た。
「はい。そうします」
そう言いながら、僕は前方に見えてきた江神旅館をじっと見つめた。その上空には、この後に巻き起こる悲惨な事件を暗示するかのように、暗鬱な雲が立ち込めていた。
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