第37話 交渉

 酒場のカウンター席の端の方で、1人寂しく飲むヤーコブは簡単に見つけることができた。


 他の客からも一定の距離を置かれているようだ。ここでも性格の悪さという情報が偽りでないのだと確信できるな。だがこんな状況も、話を盗み聞きされないという意味でオレにとっては都合がいい。


「これはヤーコブ様。よろしければお話をさせてもらえませんか?」


「あン?なんだテメェは」


「自分は行商人のカスガイと申します。お近づきの印としてコチラを献上させて下さい」


 小さな革袋に入れた砂糖をヤーコブの手に握らせる。売却することは難しくとも、賄賂として渡せばそれなりに効果があるだろう。


 仮に不都合があったとしてもヤーコブはこの町では有名な鼻つまみ者。何かあったとしても切り捨てることは難しくないはずだ。


「おい、コレってまさか……!?」


「はい。ヤーコブ様のために極上の物を用意しました。ご笑納いただければそれに勝る喜びはありません」


 革袋から砂糖を一つまみし、ペロリと舐めたヤーコブの表情は驚愕の色に染まっている。


 それもそのはず。この世界の砂糖の精製技術は未だ未熟としか言いようがなく、『等価交換』で手にれることのできる不純物の一切ない上白糖はよほどの金持ちしか口にできない甘味である……らしい。


 「……なんの目的で俺に近づいた」


「何の目的とおっしゃられましても、この地を治めるバインツ家の方とお近づきになりたいと思うのは一商人であれば当然のことではないでしょうか?」


「ハンっ!だったら兄貴や親父のトコに行くのが筋だろうが。……んで、本当の目的は何だ?どうせ頭の固てぇ親父どもには持っていけねぇような後ろ暗い背景があるってトコか?さしずめ、この砂糖も関係してンだろ?」


「いやはや、ヤーコブ様には適いませんね。柔軟な思考に発想の豊かさ。噂とはあてにならぬものだとしみじみと感じております。して、ヤーコブ様のお耳に入れておきたい話なのですが……」


 さりげなくヨイショをしておくのがポイントだ。そうして好感度を稼ぎつつ、顔をソッと近づけてもったいぶったように小声で話す。


「実はは帝国の窃盗グループから仕入れた盗品や密輸品など扱っていましてね。先ほどの砂糖もその1つ。他にも香辛料や品質の良い絹。石鹸、磁器、油など手広く扱っております」


「……賊の一味か。オメェが犯罪者って情報を俺が親父や騎士団の連中に報告しないとは思わないのか?そうなったらオメェはどうすんだ?」


「その時は残念ながら捕まってしまうでしょう。ですが聡明なヤーコブ様なら、例えワタシが捕まったとしてもご自身の利益に一切繋がらないことは承知のはず。意味のない面倒ごとはお好きではないでしょう?」


「……まぁな。んで、その品ってのは本当に帝国のモノなんだろうな」


「もちろんでございます。帝国の盗品を帝国内で売りさばけば足がつくリスクも高くなってしまいますからね。わざわざ王国に持ってきたのはそのため。お疑いになるのでしたら、冒険者などを使って王国の盗難情報などを探られてはいかがですか?」


「……俺様に何をやらせたいんだ?」


「話が早くて助かります。実は口の堅い商人の紹介を願いたいのですよ。ワタシどもが取り扱う商品はモノは確かなのですが、あいにく王国内では信用がありませんでしてね。そこで是非ヤーコブ様のお力添えを願いたいと。我らが用意する質の高い商品とヤーコブ様の領主一族と言う肩書。我らが組めば怖いものはありません。もちろんタダでとは言いません。手数料として売却価格の2割をお支払いする準備ができております」


「紹介するだけで2割か、随分と太っ腹じゃねぇか。だが仮に俺様がこの話を断ったらどうするんだ?」


「どうもいたしません。今日は1日、塩の売人としてこの町にある店をいくつか回りました。そこでコチラに協力していただけそうな方の目星をある程度つけることもできましたが、やはり領主一家であらせられるヤーコブ様の方が信頼できると判断いたしました」


「ま、そうだろうな。貴族っつう肩書に勝てるもんがあるわけがねぇからな」


 見るからに機嫌がよさそうに見えるな。どうやら腹芸ができないタイプらしい。だが、扱いやすくてオレからすれば加点ポイントだ。


「これはヤーコブ様にとっても決して悪い取引ではないのでは?」


「……どういう意味だ?」


「このまま兄君が領主の座を引き継げばヤーコブ様はわずかな金銭を渡されて領地を追われるか、邪魔ものとして残りの人生は憂き目を見ることになりましょうな。ですがその時、我らとの取引で得た金があれば決して惨めな目に合うことがないとは思われませんか?」


「…………」


「父君、兄君に義理立てをしても意味はありませんよ。ワタシのことを報告したとしても、一時は感謝されるかもしれませんがそれだけ終わりです。当然王国からも爵位を与えられることも無ければ褒美を下肢されるわけも無し。もしかしたら領地を追われるとき餞別として渡される金額が多少増えるかもしれませんが、我らと取引して得られるであろう金額と比べれば微々たるものとなるでしょう」


「……」


「よく考えてみて下さい。今回の取引で一番得をするのは安い値で高価な商品の仕入れることのできる王国の民であり、損をするのは荷を奪われた帝国の商人です。戦わずして敵国に経済的なダメージを与えることができる、王国に生きる民としてこれほどの戦功がありますか?」


「…」


「何もこの瞬間で答えを頂こうとは思ってはおりません。手始めとして、まずはこの砂糖をお渡ししておきましょう。ワタシは仕入れのために少しこの町を離れます。2週間後、もう一度この店に立ち寄りますのでその時までにお答えをいただきたく思います」


 少し大きな陶器製の壺に入れた砂糖を渡し、余裕のあるゆったりとした堂々たる態度で一礼をして酒場を出る。———そう、まるで巨大なシンジケートに所属する工作員の1人のように………!!




 …………ふぅ、最初は緊張してしまったけど、思っていたよりもいい感じに交渉ができたんじゃないかな?あとは結果を待つだけだが、ヤーコブの表情を見るに没交渉ではなさそうな、いい感じの反応だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る