第4話 推しとクラスメイトは別物 下

「な、なにぃぃぃぃぃいッ⁉ お、お前が、杏仁あんにん白腐シロップだとぉ!?」


 地元伏見の外環そとかん沿いの『カメダ珈琲』の店内に、俺の絶叫がこだました。


「お恥ずかしながら、はい。まだまだ駆け出しだけどね」


 藤咲は樽型ジョッキを両手で包み込みながら、でへへと笑った。

 ステンレス製のたっぷりアイス用。お値段も量も1.5倍。


 コーヒー奢るから『Lost』談義に付き合ってくれと言ったのは俺だが、容赦ないな。

 気を取り直し、疑いの眼差しを向けながら、カメチキにフォークをぶっ刺す。


「……ふーん、お前が、ねぇ」

「お前、じゃなくて。名前で呼んでほしいかなぁ」

「……あんずぅ?」

「うわ、超絶イヤそうな顔。えっと、藤咲でいいよ」


「おーけー。で、藤咲。お前が『シロたそ』だって、本当に本当か?」

「……まだ『お前』って言ってるんだけど、このひと」


「ん? なんか言ったか?」

「ううん、なんでもない。うん、わたしが杏仁白腐。ほんとだよ?」

「……そうかそうか」

「うんうん」


「って、あるわけねーだろがッ!!」


 藤咲のふわふわペースに飲まれそうになった自分をぶん殴りたい。あぶないあぶない。

 どう考えても、疑わしきは罰せよ案件だろ、これは。


「からかってないよ、本気だよ?」

「いやいやいや、Vの中の人が簡単に素性バラすわけねーだろ」

「普通はね。でも、神室くんって、ライムちゃ……橘さんと、千夏ちゃんと仲良いでしょ?」

「それがなんだってんだ」

「その二人って、わたしの事務所の先輩なんだよ?」

「……いや、それ、信用してんの俺じゃなくてその二人じゃん」

「まあそうだけど~」


 こいつ、ふわふわした態度でぼかぼか爆弾を投げてきやがる。


「お前な、順序ってもんがあるだろ。俺の知り合いの性格破綻女ですら、自分のこと演者とか魂とかぼかしてんのに」

「事務所の方針にもよると思うけどなぁ……あ、でも橘さんとは同じ事務所だった。うーん、プロ意識の差かな?」


「かな? じゃねえよ」

「あ、業界っぽい言い方だった? なんか偽物が業界人気取りしてるみたいでやだなー」


「みたいじゃなくて、もろそうなんだよ!」

「……え~っとねぇ……」


 俺の怒涛の追撃にようやく観念したのか、藤咲はゆっくり言葉を紡ぎ始めた――


 曰く、『ぶいねくすとっ!』のスタンスは、中の人も含めて推してもらうこと。

 顔出しのない声優アイドルみたいなノリだそうで、そのへん、業界大手の『にぃてんごじ』や『ホロアイドル』とは方向性が違うらしい。


 かいつまんで要約すれば、そんな感じ。

 で、問題の核心。


「神室くんが教室で、推しって言ってくれてたの、ちゃんと聞いてたから」


「え、盗聴?」

「……あれだけ騒いでおいて、もしかして自覚がない感じ?」

「それについては、ほんとすみません」


 まあヒスってたのは主に橘と千夏だけどな。

 あの場にいた時点で、俺も共犯みたいなもんか。


「にしたって、危機管理能力危ういよ、君」

「それについては否定できませんなぁ」

「推してくれるやつなら誰でもOKなの? まさかのビッチ系?」

「ほんと失礼なひとだね、神室君って。でも、そこはほら、先輩二人の信頼込みかな」


「……なるほどねぇ。けど、勘違いすんなよな?」

「なにを?」


「俺の推しはあくまで『Lost』をプレイしてるシロたそであって、お前じゃない」


 そう。

 あのプリティなイラスト。完成度の高い3Dモデル。配信環境の良さに、事務所パワー。ツボを押さえた編集者エディター。伝説級の切り抜き職人たち。


 そして、神ゲー『Lost』。

 それら複数の奇跡的要素が一つになって、杏仁白腐という存在は輝いているんだ。


「ついでに言うと、柑橘ライムも推しの一人だけど、橘は苦手な部類に入る」


 そもそも俺みたいな陰キャは、美少女全般がちょっと苦手だ。


 腐れ縁だろうと、幼馴染だろうと、最推しの中の人だろうと――

 なんか人種が違う? 

 と、一歩引いた視点になってしまうのは、もはや性だと思う。


「つまり俺にとってお前は――そこそこ可愛いクラスメイト、藤咲でしかない」

「うん。そうだよね。それはそうだ……え? 可愛い?」

「ああ。はっきりきっかりたっぷり、その境界線を踏まえた上で、なんだけど――」


 ガンッ!

 土下座寸前の勢いで、テーブルに額をぶつける。


「――お願いします! シロたそ。コラボしてください!!」

「言ってることとやってることが支離滅裂だからね⁉」


 自覚はある。

 けど――ここで退いたら、一生後悔する気がした。


 カメチキのバスケットを端に追いやりながら、静かに顔を上げる。


「プライドは2×2のハニカム拠点に置いてきました」

「……わぁ、自己紹介で『Lost』が趣味って公言するひとなだけあるね」


 ふっ、褒めてもドヤ顔くらいしか出ないぞ。


「で、返答は?」

「ん~、まずは事務所に確認してみないとかな」

「だよな……事務所の壁があるんだよな」


 ぶいすとは今や大手。壁の耐久値も高そうだ。

 石の外壁、いや、板金クラスか。


「神室君も配信者なんだよね?」

「なぜそれを、お前まさか黒タイツ」

「なわけないよね……。コラボってことは、そういうことかなって」

「江戸川さん」

「藤咲です。真面目に答えてよ」

「配信者兼MyTuberだ。底辺のな。ので、この話はなかったことに」

「いやいや早計すぎ! ぶいすとは、そのへんけっこう自由だから」

「へ? そうなのか?」

「うん。橘さんクラスだと、追加規約も多いだろうけど――」


 藤咲は、アイスコーヒーに口をつけながら、さらっと契約の話をしてくれた。


 どうやら、ぶいすとは外部コラボを厳しく制限してるわけじゃないらしい。

 個人勢や他事務所との絡みも、そこそこ実績があるとのこと。

 ただし、看板の演者にもなると、あまり小さなチャンネルと組むのは推奨されない――というのが現実っぽい。


 まあ、企業ブランドとか、色々あるんだろうな。


「後はゲーム側の許可をもらうとか、色々手続きもあるみたい」

「そこも事務所がやってくれるのか? すごいな」

「神室君は全部、自分で?」

「エディターは別にいる。ま、それは配信とは関係ないけど。許可とかそういうのはしばらく取ってないな、一応『Lost』公認チャンネルだし」


 公認、のところを強調しつつ、お冷のグラスに手を付ける。


「こ、公認? チャンネル登録数は?」

「ギリ一万……でも、公式にフォローもらってる。DMもきた」

「うっそぉ!? もしかして……チャンネル名って――カムロスト?」

「ああ、それそれ」


 綴りは『COME! LOST!!』。

 カモンロストの意味も込めて、某お笑い芸人のゲーム実況チャンネル名を参考にした。


 クラスメイトに認知されてることに内心ドキッとしたが、なんでもない風を装う。

 同世代の誰かが見てるなんて、微塵も想定してなかった。

 してたら、もうちょいマシな企画考えてた。


「うわー! わたし登録してるよ! あれ、神室君だったんだ」

「……マジで? マイナー底辺チャンネルなのによく辿り着いたな」

「おすすめに出てきたの。ライムちゃんとの『ハニトラ』回とか」

「あの時はまだ橘も個人で活動してたから……って、アレを見たのか?」


 タイトルは確か……


【『Lost』ハニトラ! 柑橘ライムを拠点に閉じ込めて、「Help me!」に釣られた海外プレイヤーを一掃してみた】


 とか、そういうの。終わってる。

 一番ヒドイのは、橘の方は再生数回ってるのに俺の動画は古参しか見てない点。


 あいつら辛口だから、コメント欄の大半が――


 :カムロはろくな大人にならない


 で埋め尽くされている。

 ……言われなくても、俺の将来を一番案じてるのは俺だよ。


「はぁ。諭吉か栄一あげるから、記憶から抹消してくれ」

「さ、財布は置いて、ね? 人の目もあるし……あ、ついでにここはわたしが出すね」

「なぐさめなら俺の墓にしてくれ。穴があったら入りたい……」

「自分で墓穴掘っちゃダメだよ⁉」


「深夜の……ハイな時間に考えた企画なんだ」

「納得。でも、わたしはおもしろいと思った。こっちから是非コラボをお願いしたいくらい」


 優しさは時に毒だけど――

 藤咲の逆オファーは、闇に慣れた俺の目にも優しい、一筋の光だった。

 直視できるくらいの光ってのが、むしろ心地よかった。


 もしコラボが実現できたなら、最高の企画を捧げたい。


 杏仁白腐がキラキラと輝くような――そんな企画を。

 そのためなら、俺は、闇に溶けても、影に徹してもいい。


「お願いされちゃ断れねーな。コーヒーおかわりするか?」

「切り替え、はやっ。……なんかムカつく」

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