第3話

 私が綿あめを手に戻ってくると、タケルはいつの間にか焼きそばと焼きトウモロコシを買っていた。


「それ、食べきれるの?」

「余裕だよこれくらい」


 その言葉の通りに、私が綿あめを食べ終わる間にタケルは全部ペロリと平らげていた。

 成長期の運動部男子の食欲は恐ろしいものだ。


 そうしている内に、花火を打ち上げる時間が近づいてきたようだ。

 花火のよく見える河川敷の方へと、人の波が少しずつ流れ始めている。


「俺たちも向かおうか」

「うん」


 タケルに促されて一歩踏み出した、その時だった。



「痛っ……」


 突然右足に鋭い痛みが走り、思わず足が止まる。

 まさか、と思ってつま先に目を向けると、親指と人差し指の間が赤くなっていた。

 慣れない鼻緒のせいで擦りむけてしまったのだ。


「汐?」


 心配そうなタケルの声が降ってくる。

 ああ、駄目だ。せっかく楽しい1日にしようと思っていたのに、不安にさせたらいけない。


「大丈夫……なんでもないから」


 無理矢理笑って歩いてみせるが、ズキズキとした痛みが響き、すぐに足が動かなくなってしまう。


「足、痛めたのか」


 ……誤魔化すのは無理みたいだ。

 観念して私は小さく頷き、唇を噛み締める。

 タケルの顔をまともに見ることができなくて、視線を地面に落とす。


「ほら、乗って」


 そんな私の視界に入り込むようにして、タケルは背を向けてしゃがみ込んだ。


「え、いいよ……恥ずかしいし……」

「無理する方が駄目だって。どこか休めるところに行かないと」


 羞恥心と胸の高鳴りがないまぜになって、少しの間決断を鈍らせていたが、結局のところタケルの言葉に従うことにした。

 大きな背中に体重を預けると、汗と土の臭いが鼻をくすぐる。

 ガッシリとした筋肉の内側で拍動する心音が、やけに近く感じた。



 タケルに背負われて辿り着いたのは、小さな神社だった。

 この辺りの土地の豊穣を司る神様がいるとか聞いたことがあったっけ。

 人の出入りはかなり少ないようで、境内には松葉が散乱している。この様子では、神様のご利益があるのかも分からない。

 社殿や灯篭に明かりはついておらず、敷地外に立つ街灯の光が頼りだったが、なんとか視界は確保できていた。


 石段にそっと腰を下ろした私の足を、タケルは真剣な表情で見つめると、懐から絆創膏を取り出した。


「よく絆創膏なんて持ってたね」

「汐と一緒に夏祭りに行くって言ったら、母さんが一応持ってけって」


 話しながらタケルはスムーズに絆創膏を貼り付けていく。


「これでマシになると思うけど……辛いなら迎え呼ぼうか?」

「ううん……少し休んだら大丈夫」


 何の根拠もないけれど、そう言う他なかった。

 せっかくの二人で過ごせる最後の夏祭りを、こんな残念な結果で終わらせたくなかったから。

 だから、早く戻らないと――。


 そう焦り始めていた時だった。

 遠くのほうで、夜空が一瞬明るくなる。

 遅れて響く、空気を震わすような破裂音。


「花火、始まっちゃった……」


 楽しみにしていた花火は、枝が伸び放題になった杉や松に遮られ、断片的にしか見えなかった。


「うーん、ここからじゃ見にくいか……」


 空を見上げながら境内の中をウロウロしていたタケルは、諦めたように溜息をつく。

 そしてこちらを向いて口を開きかけ……そのまま凍り付いた。

 私が大粒の涙を流していることに気付いたのだ。


「ごめん、タケル……こんなことになって」

「……汐は何も悪くないだろ」

「でも、楽しい思い出にしようと思ってたのに……」


 ボロボロ出てくる涙と一緒に、私の口から次々と本音が飛び出してくる。


「春にはタケルは遠くに行っちゃうのに……今年で最後かもしれないのに……全部、台無しになっちゃった……」


 こんなことを言っても、余計にタケルを困らせるだけなのに。

 一度溢れ出した感情はもう止まらない。

 タケルがどんな顔をしているかも分からないほど視界がにじみ、冷えていく心が肩を小刻みに震わせる。

 最悪だ。

 こんな姿を見せるつもりじゃなかったのに――。


「汐」


 タケルの低く落ち着いた声が、はっきりと響く。

 頬に触れたごつごつとした手の感覚が、とても暖かく感じる。


「不安にさせてごめんな」

「ううん、そんなこと……」

「俺、絶対に迎えに行くから」


 その言葉に私は顔を上げる。

 涙に濡れた世界の中で、タケルの双眸がかすかに光っているように見えた。


「甲子園に行って、立派な選手になって帰ってくる。だから……それまで待っていてくれないか」


 少し震えたタケルの声。

 彼の耳は、屋台に並んでいたりんご飴のように真っ赤に染まっていて。

 私は、声にならない嗚咽を漏らしながら、何度も頷いた。


 二人の世界を周りから覆い隠すように、花火の音が私たちを包み込んでいた。

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