第2話

 夏祭り当日、夕陽もほとんど沈みかけた頃。

 駅前は家族連れや浴衣を着た若者の姿で溢れており、色とりどりの波を生み出していた。

 その群衆から離れて立っている、見覚えのある日焼けした顔に手を振る。


「タケル、待った?」

「全然。さっき来たとこ」


 紺色の甚平姿のタケルは、手を振り返しながら控えめな笑みを見せた。

 よかった、いつも通りみたいだ。

 先日あんな別れ方をしたので、機嫌を損ねていないかと心配していた私はホッと胸を撫で下ろす。


「……汐」

「へ?」

「浴衣、似合ってるな」


 油断していたところへの不意打ちに耳が熱くなる。

 お姉ちゃんと一緒に何時間もかけて選んだ、白地に淡い桃色の花模様が散りばめられた浴衣。

 少しでも意識させられたら、と袖を通したが、実際に褒められてみると……思い浮かべていたよりもずっと嬉しい。


「……ありがと」


 なんとか言葉を紡ぐと、タケルは照れくさそうに目をそらし、「それじゃあ行こうか」と言ってゆっくり歩き始めた。

 私は下駄の硬い音を響かせながらその背中を追う。

 タケルもこのお祭りを特別に思ってくれているのだろうかと、背中越しに彼の表情を想像しながら。



 人の流れに乗ること10分ほど、賑やかな声が次第に近づいてくる。

 ほどなくして私たちは屋台の立ち並ぶ大通りに辿り着いた。

 普段は車が行き交っているこの大通りは、今夜だけは人々の楽しそうな笑顔で満ち溢れている。


「うわー、すごい人。いつもこんなに混んでたっけ」

「最近町おこしの一環とかで、花火大会に力を入れてるらしい」

「へえ、そうだったんだ」


 若い男女の姿が多いような気がしていたけれど、それがお目当てだったのか。

 夏の夜空に咲く大輪の光の花。仲を深めるには最良のスパイスだろう。

 ……ひょっとして、私たちも周りからはそういう関係に見えているのだろうか。

 私にその気がないと言えば嘘になるが……意識し始めるとなんだか顔が火照ってくる。


「花火までまだ一時間くらいあるし……ゆっくり見て回ろう」

「そうだね……」


 赤くなった顔を見られないように少し俯き、私はタケルと横並びになってひしめく屋台の喧騒の中へと足を踏み入れていく。

 ガラス細工のように艶々とした光を放つりんご飴。

 焼きそばや焼きトウモロコシの屋台から漂う、焦げた醤油の香ばしい匂い。

 青い水槽の中でゆらゆら泳ぐ赤や黒の金魚たち。

 そして、道行く人々の浴衣が織りなす鮮やかな色彩。

 非日常的な空気を吸いこむたびに、どこか張り詰めていた私の心は少しずつほどけていく。


「あっ、綿あめ!」


 立ち並んだ出店の中から、白やピンクの雲のようなお菓子が並べられているのを見つける。

 小さい頃はよく両親に綿あめをねだっていた。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、私の中ではお祭りと言えば綿あめを食べるのがすっかり定番となっていた。

 と、そこで隣から小さく噴き出す声が聞こえた。


「ちょっとタケル、何笑ってんの」

「ごめん……なんか懐かしいなと思って」

「懐かしい?」

「小学生の頃、夏祭りで偶然会ったことが何度かあっただろ。その時も毎回綿あめを片手に持っていたな、って思い出した」

「そ、そうだったっけ」


 そんな姿を覚えられているとは。

 小学生の頃の私に、食い意地を張るのはやめろと言いたくなってきた。


「思えば、こうして二人一緒に歩くのも小学生ぶりな気がするな」

「……そうかも」

「あの頃に戻ったみたいで、なんというか……楽しい」


 そう言って笑うタケルの目は、少年のように輝いていた。

 その笑顔に一瞬、胸がキュッと締め付けられるような感覚を覚える。


「わ、私、綿あめ買ってくる!」


 それ以上タケルの顔を直視できなくなって、私は屋台の方へと駆け出した。

 機械の中で紡がれていくザラメの雲を眺める間も、心臓が落ち着いてくれる気配はない。


「はい、どうぞ」


 屋台の店主から差し出された真っ白な綿あめを受け取り、そっと口をつける。

 何年かぶりに食べる綿あめは、記憶の中よりも遥かに甘く、優しい舌触りだった。

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