第2話 序章:観察記録(後編) ― 奇跡と呼ばれた星の終焉

神界歴第五周期の後期、

星名「地球」は、展示星の中でも特異な存在だった。


 その展示は、初めから“異常”だった。


 氷と炎、海と山、平原と都市、争いと平和。魂たちは言葉を作り、道具を発明し、やがて神々をも創造し、否定し、再構築した。芸術と科学、信仰と懐疑、自由と抑圧──矛盾を抱えたまま、それでも彼らは歩みを止めなかった。


最も古い観察記録のひとつにはこうある:


「魂たちが、自らの手で“神”という概念を生み出し、それを否定した」

「この星は、我々の想定を超えて進化している」


 当初、地球は“自律型文明展示”として注目された。

神の介入を最低限にとどめ、魂たち自身に“進化の物語”を委ねる設計だったからだ。それは神々にとって衝撃だった。演出なしでも泣ける物語。課金なしでも魂が輝く瞬間。愛と後悔と赦しが、偶然の中で自然発生していた。


──地球は、奇跡だった。


 飼育神たちは、その環境調整に息を呑んだ。何もしなくとも、彼らは物語を生んだ。観察神たちは、投資よりも“静かな観賞”を選ぶこともあった。都市の灯がともり、空に人工衛星が打ち上がり、通信が大陸を越え、数十億の魂が同時に「悲しみ」に共振した日もあった。


  戦争。災害。人種と国家と宗教の対立。

──それでも彼らは、生きることをやめなかった。


だが──

すべての展示世界に寿命があるように、地球もまた、限界を迎える。文明は飽和し、心の支柱は風化し、情報が過剰になりすぎたその星では、“何が真実か”よりも“誰が話題か”のほうが重視されるようになった。魂たちは、自分自身を信じることが難しくなっていった。


地球における最終評価会議の議事録には、こう残されている:


「もはや魂の動きに波が見られない」

「演出効果も乏しく、観察者が長時間留まらない」

「観察神の離脱率が過去最高を更新」

「展示価値、限界点に達す」


かくして、星名「地球」は「化石展示」となった。定期的な維持作業のみが行われ、支援は完全に打ち切られた。いまや神界の展示棟の片隅で、誰にも見られないガラスの中、魂たちは今日も、ただ静かに生きている。


だが私は、忘れない。


夜勤明けの母が、眠い目をこすりながら弁当を詰めていた光景を。恋に傷ついた青年が、駅のホームで見せた小さな涙を。誰にも感謝されないまま街路樹を剪定していた市の作業員の背中を。


奇跡などなかった。


課金も、転生も、記憶保持もなかった。


けれど──

私は断言する。


彼らの営みこそが、真の意味での“魂の光”だったのだと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る