神界観察記録 ― 名もなき魂たちの軌跡 ―

寅海豹

第1話 序章:観察記録(前編) ― 名もなき魂を見つめる神

 これは、勇者の武勲を記した叙事詩でもなければ、魔王の興亡を描いた年代記でもない。

そしてもちろん、この私──飼育神アリシアの物語でもない。

これは、名もなく終わった魂たちの、小さくとも、確かに胸に響いた軌跡を記した記録だ。

誰にも記憶されず、どこにも語られず、ただ“通り過ぎられていった”存在たち。

けれど、私は確かに見ていた、彼らが泣きながら立ち上がる姿を。

誰かを守ろうとしながら傷つき、それでも歩き続ける姿を──

願わくば、この記録が、わずかでも彼らの救いと、慰めとなりますように。

そう、私の祈りが独りよがりでないことを祈って。


我々が属する神界は、ただの幻想や天上の楽園ではない。

それは精緻な運営と管理に支えられた、多層構造の秩序世界であり、

無数の“展示世界”を育み、観察し、評価する巨大な系統網である。


その中枢に位置するのが、星々のオーナーたる主神格──

すなわち、経済と演出の双方を司る神界投資機構の中核である。

彼らは展示世界を「星」と呼び、その星々に“観賞価値”があるか否かを厳しく見極める。


価値があると判断されれば、多くの観察神が集い、魂たちは課金によって「物語」を得る。

価値を失えば、星そのものが展示棚から外され、次の観察対象へと切り替えられてゆく。


展示世界とは、魂たちにとっては「生まれ落ちる場所」であり、

神々にとっては「季節ごとの見世物」であり、

我々飼育神にとっては「調整と修復を担う職場」である。


私たちは気候と地形を設計し、言語と文化の揺らぎを調整し、

魂たちの営みを“過剰にも不足にもならぬ”よう整える。


魂は選ばれることはあれど、選ぶことは──ほとんど、できない。


そしてその魂たちを外側から見つめるのが、観察神たちである。

彼らは星の“ガラス面”越しに魂たちを観察し、推し、評価し、そして支援する。

SNS型の魂観察網を通じて、彼らは「この魂が泣ける」「こっちはもう展開が古い」などと語り合い、

時に「記憶保持」「SSRスキル」「巻き戻し」などの課金支援を贈る。


だが──魂とは本来、与えられて動くべきものだろうか?

生きるとは、本当に“誰かに見られること”によって価値を得るものだろうか?


私は、いつもその問いに揺れている。


神々にとって、“演出”とは魂に与える物語の枠組みであり、

魂にとっての“物語”とは、自らの選択と感情で紡いでいくものだ。


与えられた筋書きの中でどんなふうに泣くか、笑うか、立ち止まるか──

それこそが、魂の「生きる証」なのだと、私は信じたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る