第2話


 鳥が死んでいる。

 涼州騎馬隊が連絡用に使う鳥だった。


「二羽目だ。矢で射られているが、目を貫通している。

 並の相手ではない。矢の威力も信じられん」


「一体何者が……」


「西の部族を曹操そうそうが籠絡したのでは? 奴らは予てより、涼州の商隊を度々襲っている」

「そうだ。奴らなら俺達涼州騎馬隊の習性をよく見知っている。涼州からも人が魏や、蜀に流出している。西に行った者も当然いるはずだ」


 涼州連合の、豪族の長達が顔をつきあわせて話し合っている。


「――それはどういう意味だ? 貴公達は、涼州から出奔した途端にかつての同胞を疑い、敵だと決めつけるのか?」


 龐徳ほうとくの側にいた成公英せいこうえいが、男達を睨み付けた。

「そうではない。今は涼州で起こっていることの、正確な情報を探っているのだ。

 可能性の話だ!」


「涼州には、同胞を売るような者はおらん!」


「ふん、よく言う。韓遂殿など馬一族が全滅した途端、彼らの領地を接収して涼州連合のおさ気取りではないか」


「そうだ。潼関とうかんの戦いでは馬超に加勢もせず真っ先に金城きんじょうに退いた分際で。

 我々は天水てんすい砦に陣を張って魏軍を食い止めたぞ!」


「涼州騎馬隊は涼州の民の暮らしを守るためにあるのだ。

 魏軍が東から攻め出て来るのであれば、天水で留まって敵を食い止めるのは当然では無いか! それをわざわざ口に出してやってやったなどと誇るでないわ!」


「なにい!」



「――――やめよ!」



 いきり立った男達を、一喝したのは龐令明ほうれいめいだった。


成公英せいこうえい。やめよ」

「しかし! この者らは亡くなった韓遂殿を侮辱し……」


「侮辱したわけではないわ! ただ真実を言っただけであろうが!

 韓遂かんすい殿は、馬騰ばとう殿に深い恩義があろう! 馬超はまだ若い! 父や弟を殺されて、あの時は正気では無かった! 父のように支え、引きずって共に戻ってくるべきだったのだ! それを誰よりも早く兵を退き、最後尾に馬超を孤立させるとは……薄情にも程がある!」


「龐徳殿! こやつを私に斬らせて下さい! 斬ったその足で! 

 俺は許都きょとに斬り込んで戴冠間近だという曹操の息子を斬り殺してくれるわ!」


 剣を抜きかけた成公英を慌てて他の男達が抑え、引き離す。


「どいつもこいつも死者を愚弄し、生きるためならば腰抜けの劉備の元に行きたいなどと! 貴様らとなど、涼州騎馬隊の誇りの話をする気も起こらんわ!」


成公英せいこうえいを連れていけ」


「龐徳殿!」


 成公英が連れて行かれると、龐徳は豪族の長達に向き合った。

 龐徳と成公英せいこうえいは、涼州連合りょうしゅうれんごうに名を連ねる豪族の長ではなかった。

 彼らはどちらかというと馬騰ばとう父子、そして韓遂かんすい与騎よりきであったことと、涼州騎馬隊の中でも魏軍相手に華々しい戦功を馬一族と共に上げて来た為、発言権があったのである。


 しかし表向きは涼州連合の中枢の集いのように見えても、明らかに他の豪族達には、一族を束ねる長でもない者が涼州連合の長の位に立つのか、という見下した空気があった。


 ……不思議だ。


 北の地を出て来た時はあれほど涼州騎馬隊が一丸となって、涼州の為に死も厭わず、曹魏と戦ってやろうという気で満ちていたのに、今はそれがない。


 臨洮りんとうを過ぎ、張遼軍とぶつかってから色々なことがあった。

 それを捉えきれていないことが、恐らく、各々の恐怖になっているのだと思う。

 だから心が保身に走って、同胞を疑い、自分達だけはどうにか助かろうという気持ちに働いている。


 龐徳は目を閉じた。

 臨洮の平野でぶつかった、張遼ちょうりょう軍。

 凄まじい戦気で漲っていた。

 

 先頭にいたのは張遼だ。


 以前より戦地では誰よりも先に駆けてくると聞いていたが、噂通りだった。

 涼州騎馬隊の勇猛は聞いているだろうに、やはりまず、自分から出て来た。


 次にぶつかったら、きっと今の涼州騎馬隊は、張遼軍に蹴散らされるだろう。

 龐徳にはそれが分かった。


成公英せいこうえいの話は忘れてくれ。

 これは私が貴方達に聞きたいことだ。

 私はどうしても、韓遂かんすい殿の死に様が忘れられん」


龐徳ほうとく将軍」


劉備りゅうび馬超ばちょうを受け入れたと聞いた。

 きっと我々の力も欲しているはずだ。

 韓遂殿の仇は、劉備の元でも討てる」


「……確かにな。

 ではそう思って、南に行きたいと思っている者はどれだけいる」


 誰も手を上げなかった。


「では北の、己の領地に戻りたい者は」


 数秒かかり二人、手を上げた。


「悪いが戻りたい。

 心配なのだ。置いてきた領地が。

 南の山岳地帯で襲われた時、……妙な気配を感じた。

 魏軍は憎いが、何かその憎しみに集中させない不安を感じている。

 龐徳将軍。貴方は韓遂殿の死に様が忘れられないと言ったが、私も同じだ。

 だが私はそれよりも一族が心配なのだ。

 我々がここでこうして陽動されているうちに、故郷に戻ったら家族が韓遂殿たちと同じ姿にされていたらどうする」


 何人かの表情が強張った。

 その不安は、ここにいる全員が持っているのだ。


「この命を涼州の為に使うのには恐れなどないが、妻や子、一族の命が失われるのは、私は怖い」


「劉備殿は我々を受け入れてくれるのではないか。一度涼州騎馬隊は北に撤退し、一部を成都せいとに使いにやって、同盟を申し入れてはどうか。

 劉備殿の元には馬超殿がいる。きっと我々のことを劉備殿に取りなしてくれるはずだ」


「どうだろうな」


 鼻で嗤う者がいた。


韓遂かんすい殿や我々に見放されたと、涼州を去った時の馬超の絶望と恨みは相当強いぞ。

 あいつは故郷から父親と弟の遺体を持ち出している。

 それほど我々を敵視しているのだ」


「そうだ。もしかしたらこの所業は、馬超から恨みを聞かされた蜀の手勢なのでは⁉

 韓遂殿が真っ先に殺されたのも、それなら筋が通る。

 確か……劉備は【臥龍がりゅう】とかいう軍師を招いたと言っていた。

 その者が涼州を狙うために、内部から分裂させようと各地で暗躍する部隊を」



「いい加減にしろ!」



 聞いていられなかった。

 龐徳はもう一度怒鳴った。


「韓遂殿や馬超殿を貶める発言こそ、己を卑しめるというものだ!」


「……そういうそなたはどうなのだ」


 軽蔑したように長の一人が言った。


「ただ一人勇敢なままのような顔をしているが。

 結局、龐徳お前は一族を背負っている長ではないから、本当の恐怖を知らんのだ。

 馬騰ばとうを失い、馬超を失い、韓遂まで失った。

 だがお前は当然のように今も生きている。

 次は一体誰に寄って、守られて、生きるつもりなのだ?」


 龐徳は、男を正面から見据えた。


「生憎私は、貴方がたと異なり自分の道をもう定めている。」


 黙っているから戻してくれと付き添われて戻って来た成公英せいこうえいは、龐徳の背中に彼の言葉を聞いた。


「確かに私は一族の長ではない。だから貴方がたのように、多くを背負っている、それを失う恐ろしさや悲しみが分からぬ人間だ。

 だからこそ私は私の一存で、このまま張遼軍と再び戦って果てようと思っている」


 長達は驚いた。


「馬鹿な……」

「無謀なことを! そんなことをして何になる!」

「言葉を返すが、貴方がたの涼州への想いとやらはしかと聞いた。

 韓遂殿や、馬超殿への想いもな。

 私からすれば、そこまでの想いを死者に向けてまで、生きようとして何を得るのか分からん」


「龐徳……正気か」


「私がたった一人で決めたことだ。無論、手勢などは連れて行かん。

 涼州騎馬隊の騎馬武者たち、連合の長である貴方がたに全てお返しする。

 北へ帰るなり、南へ活路を見出すなり、どのようにもしてくれ」


龐徳ほうとく!」


「恐らくだが……張文遠ちょうぶんえんであれば。私が一人で行けば、奴も一人で出て来るように思う。

 一騎討ちに持ち込み、万が一でも張遼の首を取れれば、今後涼州を狙う曹魏の牙を多少は削れると思っている。私の最後の務めだ」


「俺達も行きます!」


 成公英せいこうえいは言ったが、龐徳は首を振った。


「ならん。私が一人で行ってこそ、張遼も一人で出て来るはず。

 此度の決断に、私は誰にも恨みを抱いてはいないが、邪魔をする者は恨むぞ。

 成公英。

 韓遂殿の名を貶めるな。与騎よりきとして事態を見定め、私とは違う道をお前は進め」


 龐徳は長達に深く一礼し、歩き出す。

 騎乗すると、一人で山を下りていった。


 残された者たちは誰も一言も口を利かず、立ち尽くしていた。



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