第3話 言い訳の壁
終電にぎりぎりで乗って、電車に揺られながら吊革に掴まっていた。電車も最後の走行に疲れているのか、いつもより静かに走っているように思えた。
吊革を掴むのも気怠く、油断していると眠ってしまいそうだった。車内にはすっかり夢の中に入っている乗客も見えた。どんな夢を見ているのだろう。
疲れ切ってうな垂れた顔は、余り幸福な夢とは思えない。だがあんな風に眠られればいいのにと、ちょっと羨ましい気持ちもある。
レールと車輪が立てる、ゴトゴトという音が子守唄のように聞こえた。ぎゅっと吊革を持つ手に力を入れて、何とか堪えていた。
車窓に夜の電灯が次々と流れていく。それもどこか寂しそうで、深夜であることを感じさせる。駅に到着するたびに、疲れがどっと増すような気がする。
何駅か過ぎて、マンションの最寄りの駅までたどり着いた。
電車を降りて、プラットホームに出たのは数人の乗客だった。急な階段を足音を鳴らしながら下り、薄暗い地下通路に出た。
さっきの乗客は、自分の家へ急ぐように行ってしまった。ところが一人男を見つけた。
四十代くらいのサラリーマン風の男で、地下通路の壁に向かって立っていた。こんな所で何をしているのだろう。酔っ払っているのか。余り関わらない方がいいと思った。
「ごめんなさい」
そう聞こえてきたのは、私が男と擦れ違う時だった。
「別に悪気があった訳ではないんだ。たまたま運が悪かったんだ。うっかりしていたというか。気を付けていれば、絶対そんな事はしない」
男は薄汚れた地下通路の壁に、必死に弁解しているようだった。
やっぱりこの人酔っているのかな。私は気味の悪い物を見るような目を向け、そそくさと通り過ぎようとした。
その時、地下通路の壁が怒った人の顔みたいに見えた。男はその顔に向かって、ぺこぺこ頭を下げていた。
私は急に全身の血が凍り付くような感覚を覚えた。
歩みを早め通り過ぎた。
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