仇討ちの背景

 ……その頃、真之介は女将のに手を引かれるように二階の納戸へ招かれた。というより、

「源さん……が若様に聴いてもらいことがあるそうなので、ご足労いただけますか」

と、告げられていたので、とくに拒否する理由も見当たらなかった。

 雨だれの音が消えたかとおもうといきなり激しく響き渡るのはそれだけ風の強弱と向きが変わるためであろう。

 部屋に入るとはそのまま出ていった。

 源吾はじろりと真之介を一瞥すると、卓袱台の前に座るように目で促した。真之介も黙したまま対面した。

「名乗りが遅くなった。わしは田所たどころ源吾と申す」

男神おがみ真之介……はっきり言っておくが、おれは若様でもなんでもない、ただの浪人だ。物言いもこのとおりぞんざいで、礼儀もわきまえぬ……おるゆし願いたい」

「さようか……横路よこみち藩の侍ではないということなのかの」

「それも詳しくはいえぬ。わけありでな」

「まだ若いとみゆる……小野寺とほぼ同じぐらいかの」

「…………」

 初対面のときとはちがい源吾の物腰はやわらかい。意識してそう振る舞っているように真之介には映っている。

 田所源吾は舟人夫を二十七人束ねているが、藪坂藩の関所役人手代てだいも兼ねていた。とはいえ藩士ではない。手代……というのは、下っ端役人の代行という意で、この治外法権の一帯では、あくまでも名目にしかすぎない。そのことを源吾はゆっくりと真之介に伝えた。

「どこもかしこも複雑そうですね」

 淡々とした口調で真之介は応じた。源吾の変化を感じ取り、こちらも理解したと相手に伝えようともしている。

 この納戸の下は竈場かまどばになっている。川側に面した部屋だった。まだ新木のにおいがほのかに真之介の鼻孔びこうをくすぐっていたのは、おそらく増築されて間もないからであったろう。

「まずは……あれを見よ」

 源吾がしゃくれた顎で川側を指した。抽斗ひきだし棚の傍らに老人がいた。

「や……!」

 さすがに真之介も息を呑まざるをえない。後ろ手に縄で縛られ、猿ぐつわまで噛まされていた。

は誰です?」

「名は言わぬ、年老いた男を装ってはいるが、女人だ……それを見事にあばいたは、おぬしの妹に扮している琴絵とか申すおなごだ」

「あ……!」

「偽の兄妹ということは、女将が見抜いている。いまさら隠しだては無用ぞ。なるほどわけありだな」

をいかがなさる?」

 すこし真之介の物言いも丁寧になった。ここはしたでにでて源吾の真意を見極めねばなるまい。言いながらその老人に近づいてしゃがみ込んだ真之介は、

「な、なんと……!」

と、低声こごえをあげた。老人……いや老婆は震えてはいたものの口元に浮かべた笑みが真之介をさらに苛つかせた。

「おぬしの存じ寄りの者か?」

 源吾は訊く。

「ま、いささか因縁ある者だ……をおれにさげ渡してくれまいか」

「好きにせよ。そのつもりでおぬしをここに呼んだ。じゃが、その前にこちらの要望にも答えてもらわねばならぬ……小野寺次郎右衛門から手を引け!」

「仇討ちの助太刀はするなというのだな」

「そうだ……わしは……小野寺に討たれてやるつもりだ」

「はあ……?」

 真之介の口から洩れ出たその吐息が雨だれの音に消された。

「一昨日のことだ。早朝、雨の中、小野寺次郎右衛門が川に飛び込むのを見た。偶然だが、これも天意というべきだな。わしが飛び込み、救い上げた……」

「や……小野寺は死ぬ気だったのか?」

「たまたま小降りであったからわしが気づいた。いつものごとくどしゃ降りであったなら、小野寺はもうこの世の人ではなかったはずだ。そしてその次の昼、小野寺がおぬしに助太刀を頼んだ……」

「そ、それでも討たれてやるというのか?」

「そのつもりだ……そもそも、わしは小野寺の兄を殺してはいない」

 源吾が答えた。

 複雑な人間関係のもつれた糸がほどけようとしていた……。

「すべては酒の上での誤解……」

 源吾は言う。弁解めいた口調ではなく、ふしぎと淡々としている。

「ま、みんな酒のせいにするってもんさ」  

 真之介がいった。意外にも源吾は否定しなかった。

「……かもしれぬ。やつは……太郎右衛門は、小野寺家伝来の宝刀を自慢していたのだ。抜いてわしに見せようとしたとき、つまずいて、おのが左肩を斬ってしまった……ただそれだけのことだ。慌てて介抱しようとしたら、やつの弟が騒ぎを聴いて駆けつけてきよった。深手ではないようだったので、あとは親族にまかせればよいと立ち去ったが、その夜、太郎右衛門は死によった……」

 そこで源吾は口を閉ざした。

「ではなぜそのことを小野寺次郎右衛門に伝えぬのだ?」

「告げずとも、弟は兄の死因を知っておろうよ。だから、やつは死のうとしたのだ……わしがかたきではないことを誰よりも知っておろうからの。単純ではないにせよ、小野寺次郎右衛門の思いの動きはつかめる」

「だが……おれに助太刀を頼んだぞ」

「それも不思議なこころの動きかもしれぬ。あえて、仇討ちの場をしつらえ、わしに斬られようと決意したのやもしれぬの」

「そこまでわかっても、討たれてやるというのだな」

「わしと違い、あいつはまだ若いからの。生かしてやりたい」

「それもよくはわからぬが……これだけは誓おう。仇討ちがどうなろうと、そののちも、おれが小野寺次郎右衛門のそばについていてやろう」

 真之介の一言いちげんの意味はおそらく口にした本人にも理解できてはいなかったのではあるまいか。田所源吾が首を傾げると、真之介は真顔で続けた。

「源さん……と呼ばせてもらう。源さんにも討たれてほしくはないんだ。そのためにも、おれが、小野寺さんの仇討ちに助力しなければならぬ。いまは、それしかいえない」

「意味がみえぬが、本気だとはわかった」

「悪いが出ていってくれないか。おれは、こちらに用がある」

 縛られたままの老人はいつの間にか縄を解いていた。それに気づいた源吾は、それでも無言のまま部屋を出て戸を閉めた。

「さて、これはどういうことなのか、説明してくれないか」

 真之介がいった。

「なあ、わざわざ源さんに縛られたのは、このおれに会うためなんだろう?」

「…………」

「それにしてもなぜおまえがこの宿にいるのだ。城からいわくありげな書状を盗み出したのが、かりにおまえだとしても、なにゆえ捕まえてくれといわんばかりにおれが来るのを待っていたのだ?」

「…………」

「な、教えてくれよ、おヨネ婆さんよ」

 半ば苛つきながらも真之介の目には怒りはなかった。

「そうさな」と、婆が汚い歯を真之介に向けた。

「……こちらもいまだよく呑み込めていないのさ。なぜこんな狼童おおかみわらべを護ってやらねばならんのか、の」

 婆の表情にも戸惑いが浮かんだ。

「まもってやる……? とはどういうことだ?」

「そういうお役目をもらってしまったのさ。は……一体、何者なのさ、え、なにゆえ、老中ろうじゅうたちから狙われておる?」

 老中とはおそらく幕閣のことであろう。一度ほどけかけた糸が真之介のなかで、ふたたび絡み合いもつれていく……。なすすべもわからず、真之介は目の前のおヨネ婆のひとみが妖しくきらめいたのをただ茫然と眺めていた……。

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