胡散臭い人々
舟宿の女将は、とくといった。
本名かどうかはわからない。
雨漏りの修繕を手伝っていた真之介を見るとからだを預けるようにしなだれ寄って、
「……ねえ、ちょっと、あんた」
と妙に
とくは真之介の正体を知らない。けれども直勘で、真之介と琴絵は、偽の兄妹であることだけはすでに見破っていたようである。
「おふたりはわけありなんだね、隠したって無駄さ。責めているんじゃないよ、こんな時期に
「こんな時期? あやしい……?」
「とぼけないでおくれでないか……
鹿野、横路は藪坂藩に隣接する二藩である。横路十六万石、鹿野一万八千石。鹿野は城はなく、いわゆる
(なるほど、どうやら、藪坂藩には当時から将軍家となんらかの……とすれば、
と、そんなことを思念する一方で、今回、家光の書状が盗まれた事件が公けになったり、あらたな騒動へと発展してしまう危惧もあった。
いずれにせよ、鹿野藩が長年に渡り藪坂を目の敵にしてきたのは、城を持たないやっかみというだけでなく、藪坂藩と将軍家との間の秘密めいたなにごとかに対する
……しかも国家老の自害とは真之介には初耳であって、おそらくはあの育種小屋襲撃の責任を負わされたのであったろう。
「……あんたは横路藩の密偵だとおもっていたけど、どうもそうではないようだね。ね、なにを企んでいるのさ、かりにだよ、ひと儲けできるのなら、あんたの儲け話に乗ってやないことはないさね」
いきなりそんなことをとくは言い出すのだ。
真意がつかめず、真之介はたじろいだ。なるほど、この一帯に
「ねえ、聴いてんのかい……あんた、まさか、あの
突然、とくはそんなことを喋り出した。
仇討ち? 片割れ? 悲劇?……一体、なんのことだろう……と、真之介は
目の前の女将が得体のしれない魔物のようにもおもえてきた。なにか別の生き物が取り
(それに……何度も何度もおれのからだを触っているのに、一向にむず痒くならない……どうした? これは……)
……わからない、これはこれで真之介にとっては新たな発見ともいえた。
(おれはいま、酒を少々飲んでいる……女将も相当飲んでいる……酒がからだにはいっていれば、触られても抱きつかれても痒くならないのだろうか……)
そんなことを考える余裕が真之介に芽生えてきつつあった。
けれど場合分けはかなりある。たとえば相手に関係なく、おのれが酒を飲んでいさえすれば大丈夫なのか。相手が酒を飲んでいるという条件付なのか。それとも双方がほろ酔い気分でなければならないのだろうか……。
「さっきから呆けたように黙りこくってどうしたんだい? あたいの言ったこと、図星だったんだね。ふふ、そりゃわかるよ、琴絵といってたね、あんたの偽の妹……あまりにも手際よく調理場の作業を手伝ってくれたものから、あやしいと睨んだんだよ。そんな奇特なひと、この一帯にはめったに居やしないからね。用事をこなしつつ、まわりの賄婦や舟人夫にあれこれと泊まり客のことを聞いていたしねぇ」
「確かに……」と、真之介は腹を決めた。ここは嘘にひと粒の真実を混ぜ合わせてやるのもいい。
「……おれたちは兄妹じゃない。この舟宿には、琴絵さんの実の祖父を探しに来たんだ。それだけだ、儲け話などあろうはずはない。いや、人探しに助力してくれるというのなら、望むだけの金子、銀子をくれてやっていい……あと払いになるがな」
そこで一息いれて、真之介はここから嘘八百を並べ立てた。
「……お察しのとおり、おれは密偵だよ。そうだ、鹿野藩の
「うーん、その話、どうも不可解だねえ、そのおじいさんは藪坂でさらわれたのかえ」
「そうだ、ずっと洞窟の牢獄に囚われていた……
窟牢の成り立ちやその光景を仔細に真之介は語り出す。真実を織り交ぜることで、信憑性が増すはずである。また、とくを女将さんとは呼ばずに、あえて下町用語の“姐さん”を用いたのは、敵意がないことを伝えたかったのであろう。
「……一年かけて計画を練り、やっとの思いで脱獄を果たしたのに、曲者が祖父を連れ去ってしまった……その痕跡をたどりこの舟宿についた……これも縁と申すもの。そちらにも頼みごとがあるのなら、おれは手を貸すぞ、これでも配下の者もいるからな……それにおれはこうみえて、多少なりとも剣は
「手下は……ひっきりなしに喋るあの矢七という男だね」
「そうだ」
「あんたは若くして京の鞍馬で秘剣をまなんだとか、おぼろ月夜……?」
「
「ふふ、密偵には向くときも向かないときもあるだろうけど、あれはあれでなかなかいい男だよ」
どうやらとくは矢七をそれなりに評価しているようである。
実は、浪人部屋にいた老侍は、木下太左衛門ではなかった。嬉々として探しにいった琴絵は、
『おそらくは変装……しかも
「……お城からお宝をを盗んだ賊ってのは、あんたら偽兄妹と睨んでいたんだがね、どうもそうではないらしいね」
「お宝を盗んだって? 藪坂の城から?」
「そう聴いたがね……ここではどんなことでも耳にはいるのさ。向こう岸のお代官だって、あたいたちにたんまりと銀子を渡してくれるのさ」
「代官が……?」
とくによれば、代官所の定期的な巡回がこの一帯にやってくるのだそうである。名目上は藪坂の領内だが、三藩の国境であるだけに、幕府代官所の巡回が治安の維持に多少なりとも役立っていたようである。
「わざわざこちら側に代官所の捕手がやってくるのか?」
「お代官は来ないさ、毎回手下が十人ばかり」
「なるほど、さすが姐さん」と、一方で褒めそやしつつも、
「でもせっかくのお宝、かりに代官所に押収されでもしたらもったいない。お宝を盗んだやつをおれも探してやろう」
と、かまをかけてもみた。
「なんだい、あんた、急に……」
「だからなんでも手を貸すと申したぞ。それより、さっき、仇討ちだの、源さんだの、誤解が招いた悲劇だのと姐さんがいっていたのはどういう意味だ……?」
「そ、それだよ、な、あんた、源さんを説得しておくれでないかえ」
「源さんてのはいったい誰のことだ?」
「人夫頭の源さんだよぉ、源さんはね、抵抗せずに、討たれてやる気なんだ」
「討たれてやる……?」
とくが口を開くたび複雑すぎる内容が一向に理解できず、真之介は一刻も早く全体像を掴みとりたいものだと、乾いた喉を詰まらせた。
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