胡散臭い人々

 舟宿の女将は、といった。

 本名かどうかはわからない。

 雨漏りの修繕を手伝っていた真之介を見るとからだを預けるようにしなだれ寄って、

「……ねえ、ちょっと、あんた」

と妙につやっぽい声を発した。

 は真之介の正体を知らない。けれども直勘で、真之介と琴絵は、偽の兄妹であることだけはすでに見破っていたようである。

「おふたりはわけありなんだね、隠したって無駄さ。責めているんじゃないよ、こんな時期にり好んでわざわざこんな舟宿に泊まろうなんてたぐいは、みんな怪しいさ」

「こんな時期? あやしい……?」

「とぼけないでおくれでないか……藪坂やぶさかでは御城下で襲撃事件があったそうだね、鹿野しかのでは国家老が自害、横路よこみち藩でも内紛があったとか……」

 鹿野、横路は藪坂藩に隣接する二藩である。横路十六万石、鹿野一万八千石。鹿野は城はなく、いわゆる陣屋じんや大名にすぎない。藪坂は四万九千石。五万石に満たないのに城持ち大名である。創藩時にどのような経緯いきさつがあったのか、むろん真之介は知らないものの、どうやら当時から幕閣上層部との厚いつながりがあったようである。そのことを真之介は琴絵から聴かされている。事実、前将軍家光の直筆のふみが遺されているのはそのことを如実に物語っていた。

(なるほど、どうやら、藪坂藩には当時から将軍家となんらかの……とすれば、まごさんに真剣に仕官を勧めておくべきだろうな。小藩しょうはんとはいえ、藩が潰されることはないだろうから)

と、そんなことを思念する一方で、今回、家光の書状が盗まれた事件が公けになったり、あらたな騒動へと発展してしまう危惧もあった。

 いずれにせよ、鹿野藩が長年に渡り藪坂を目の敵にしてきたのは、城を持たないやっかみというだけでなく、藪坂藩と将軍家との間の秘密めいたに対する妬心としんもあったにちがいなかった。

 ……しかも国家老の自害とは真之介には初耳であって、おそらくはあの育種小屋襲撃の責任を負わされたのであったろう。

「……あんたは横路藩の密偵だとおもっていたけど、どうもそうではないようだね。ね、なにを企んでいるのさ、かりにだよ、ひと儲けできるのなら、あんたの儲け話に乗ってやないことはないさね」

 いきなりそんなことをは言い出すのだ。

 真意がつかめず、真之介はたじろいだ。なるほど、この一帯にまう者は一筋縄ではいかないらしい。そのことは何度も忠告されていたというのに、あまりにも注意を怠りすぎた。

「ねえ、聴いてんのかい……あんた、まさか、あの仇討かたきうちの片割れかい? なら、それは間違いってもんだ、げんさんはね、なあんも悪くないんだよ、ほんとだよ、すべては誤解が生んだ悲劇というもんさね」

 突然、はそんなことを喋り出した。

 仇討ち? 片割れ? 悲劇?……一体、なんのことだろう……と、真之介は股慄こりつさえおぼえている。

 目の前の女将が得体のしれない魔物のようにもおもえてきた。なにか別の生き物が取りたようにも見えてきたのだ。

(それに……何度も何度もおれのからだを触っているのに、一向にむず痒くならない……どうした? これは……)

 ……わからない、これはこれで真之介にとっては新たな発見ともいえた。

(おれはいま、酒を少々飲んでいる……女将も相当飲んでいる……酒がからだにはいっていれば、触られても抱きつかれても痒くならないのだろうか……)

 そんなことを考える余裕が真之介に芽生えてきつつあった。

 けれど場合分けはかなりある。たとえば相手に関係なく、おのれが酒を飲んでいさえすれば大丈夫なのか。相手が酒を飲んでいるという条件付なのか。それとも双方がほろ酔い気分でなければならないのだろうか……。

「さっきから呆けたように黙りこくってどうしたんだい? あたいの言ったこと、図星だったんだね。ふふ、そりゃわかるよ、琴絵といってたね、あんたの偽の妹……あまりにも手際よく調理場の作業を手伝ってくれたものから、あやしいと睨んだんだよ。そんな奇特なひと、この一帯にはめったに居やしないからね。用事をこなしつつ、まわりの賄婦や舟人夫にあれこれと泊まり客のことを聞いていたしねぇ」

「確かに……」と、真之介は腹を決めた。ここは嘘にひと粒の真実を混ぜ合わせてやるのもいい。

「……おれたちは兄妹じゃない。この舟宿には、琴絵さんの実の祖父を探しに来たんだ。それだけだ、儲け話などあろうはずはない。いや、人探しに助力してくれるというのなら、望むだけの金子、銀子をくれてやっていい……あと払いになるがな」

 そこで一息いれて、真之介はここから嘘八百を並べ立てた。

「……お察しのとおり、おれは密偵だよ。そうだ、鹿野藩の間者かんじゃだよ。ここ数年、就活侍を装い藪坂で暮らしてきた。やっと琴絵さんの家に婿養子に入って、これまでの苦労から逃れる機会が訪れたその矢先に、あのひとの祖父がさらわれた……だから一緒に探しにやってきただけのことだ」

「うーん、その話、どうも不可解だねえ、そのおじいさんは藪坂でさらわれたのかえ」

「そうだ、ずっと洞窟の牢獄に囚われていた……あねさんは知らないだろうが、あの龍郷島の窟牢は何百年もかけて造られたんだぞ……」

 窟牢の成り立ちやその光景を仔細に真之介は語り出す。真実を織り交ぜることで、信憑性が増すはずである。また、を女将さんとは呼ばずに、あえて下町用語の“姐さん”を用いたのは、敵意がないことを伝えたかったのであろう。

「……一年かけて計画を練り、やっとの思いで脱獄を果たしたのに、曲者が祖父を連れ去ってしまった……その痕跡をたどりこの舟宿についた……これも縁と申すもの。そちらにも頼みごとがあるのなら、おれは手を貸すぞ、これでも配下の者もいるからな……それにおれはこうみえて、多少なりとも剣はつかえるぞ」

「手下は……ひっきりなしに喋るあの矢七という男だね」

「そうだ」

「あんたは若くして京の鞍馬で秘剣をまなんだとか、おぼろ月夜……?」

朧舟おぼろぶねだ……あいつはどうも喋りすぎでいかんな」

「ふふ、密偵には向くときも向かないときもあるだろうけど、あれはあれでなかなかいい男だよ」

 どうやらは矢七をそれなりに評価しているようである。

 実は、浪人部屋にいた老侍は、木下太左衛門ではなかった。嬉々として探しにいった琴絵は、遠目とおめで祖父ではないと見破った。

『おそらくは変装……しかも女人おなごのようでした』と、琴絵はいっていたはずである。木下太左衛門がどの部屋にもいないとすれば、隠し部屋などに監禁されているかもしれないと琴絵は指摘していた。だからこそ、宿の主だった者を味方にしておく必要があった。女将のが、味方にはならなくとも中立を標榜してくれるだけでもいいのだ。

「……お城からを盗んだ賊ってのは、あんたら偽兄妹と睨んでいたんだがね、どうもそうではないらしいね」

「お宝を盗んだって? 藪坂の城から?」

「そう聴いたがね……ここではどんなことでも耳にはいるのさ。向こう岸のお代官だって、あたいたちにたんまりと銀子を渡してくれるのさ」

「代官が……?」

 によれば、代官所の定期的な巡回がこの一帯にやってくるのだそうである。名目上は藪坂の領内だが、三藩の国境であるだけに、幕府代官所の巡回が治安の維持に多少なりとも役立っていたようである。

「わざわざこちら側に代官所の捕手がやってくるのか?」

「お代官は来ないさ、毎回手下が十人ばかり」

「なるほど、さすが姐さん」と、一方で褒めそやしつつも、

「でもせっかくのお宝、かりに代官所に押収されでもしたらもったいない。お宝を盗んだやつをおれも探してやろう」

と、かまをかけてもみた。

「なんだい、あんた、急に……」

「だからなんでも手を貸すと申したぞ。それより、さっき、仇討ちだの、源さんだの、誤解が招いた悲劇だのと姐さんがいっていたのはどういう意味だ……?」

「そ、それだよ、な、あんた、源さんを説得しておくれでないかえ」

「源さんてのはいったい誰のことだ?」

「人夫頭の源さんだよぉ、源さんはね、抵抗せずに、討たれてやる気なんだ」

「討たれてやる……?」

 が口を開くたび複雑すぎる内容が一向に理解できず、真之介は一刻も早く全体像を掴みとりたいものだと、乾いた喉を詰まらせた。


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