擬態のふたり

 兄妹きょうだいを偽装してはいても、舟宿の女将も女中も真之介と琴絵ことえにはなんの関心も抱いてはいないようであった。

 二日前から降り出した雨が、ときに突風をともなってが横殴りに部屋のなかをかき回すのだ。その対応と窓や戸の修繕のために、猫の手も借りたいほどの忙しさであったらしい。

 例年になくあたたかい年の瀬で、そのために雪にはならない。積もらないのは歩くにはいいが、長雨のために河止めになっていて、満員御礼を飛び越え、土間に藁を敷き詰めて寝泊まりしている近在の農夫たちもいた。

 真之介と琴絵は、竈場かまどばに隣接する三畳の物置きに泊まることになった。もともと個室は数室しかなく、大広間での雑魚寝が舟宿ではあたりまえで、街道筋の旅籠はたごとは異なるのだ。

「あいにくの長雨で、河止めのお触れが出て、あふれるばかりの人でごったがえしておりまして、ここで、ご辛抱を……」

 女将なのか年増の女中なのかはわからないが、てきぱきと部屋割りをこなしていく。雑魚寝の相部屋だとおもっていた真之介はさすがに驚いた。ところが琴絵は一向に動じる気配はなく、

「兄上と一緒なら心強い……」

と、平然と言ってのけて真之介を驚かせた。

 ふたりは備前へ向かう下級武士のていである。当初は町人職人に扮しようとも考えたが、おそらく宿泊客はごった返し状態であろうと推測し、ここは無難なみちを選んだ。痩せても枯れても二本差一行のほうが咄嗟の応用も効きやすい。

「これほど人が群れているとはおもってもいなかった」

 これみよがしに驚き半分怒り半分の口調で真之介がやや高めの声をあげた。

「長雨が悪いんですよ。ほんと雨粒のように、そこもかしこも、ざぁざぁざわざわ……」

 多忙すぎて気が昂ぶり過ぎているのか、賄女が愚痴をいう。

「ではも雨粒のひとかけらのようなものでござるな」

 すかさず真之介が茶化すのは、雇用人の心証を良くしておくことで、なにかと情報が得やすいからだ。

「それがしの従者を探している……一日先に到着したはずなのだが……」

 相手の気が変わらないうちに、真之介は矢七の大まかな人相を告げ、見つかればぜひしらせてほしいと小銭を渡した。



 ……そもそも真之介は、雨は大の苦手である。

 降るか降らないかといった、曇るか曇らまいかといった、そういうれったさの狭間はざまにある光景を、真之介はとくに好んだ。

 しかも、この舟宿のあたりは、他の二つの藩、横路藩、鹿野藩と幕領との境界にあって、本来は通行を監視する関所や番所があって当然なのだが、設ければ設けたで他藩の武士同士の争いを誘引しがちなこともあり、それも治外法権、いわゆる無法地帯に近い状態になっていた一因でもあった。言葉をえるならば、誰かに一方的に支配されているという感覚は少なく、中世的な自遊民感覚、自由都市に通じる面があったといえなくもない。当然、その一帯に棲まう人も往来人たちにも、そういった支配されていないという感覚が多かったであろう。

「……と、そんなことをさんが言っていたなあ。みたところは、そんな無法地帯には見えないがなぁ……」

 三畳の狭い空間のなかで、妙齢の女人とふたりきりでいることを忘れようと真之介はしきりに喋り続ける。

「八杉様はご支援くださるのでしょうか?」

「ああ、あのひとのことだから、すでに配下の者を客として潜ませているかもしれない。ああみえて、やることはすこぶる早い」

「あら、さながら友垣のようにおっしゃっておられますね」

「歳の離れた兄貴のようなものだ。というかわゆい童女がいる」

「あら、こどもなら抱きつかれても平気なのですか?」

「そうなんだ、不思議だ……あ、まさかこの三畳間で琴絵さんと同衾するわけにもいかないから、夜は侍が多い部屋で雑魚寝することにするよ」

「そんな部屋もあるのですか」

「厠に立ったとき、賄い人に教えてもらった……なにやらいわくありげな連中が多いそうだ」

「そうですか……ならばわたくしは台所などを手伝うふりをしつつ祖父を探します……」

 琴絵はそう言ったあとで、

「誰か来ます」

と、真之介に注意を促した。物音とともに現れたのは待ちに待った人物であった。

 女中に案内あないされてきた矢七が姿を現した。

「雑魚寝部屋が大小五部屋あります。それぞれに二十人から五十人……」

 さっそく矢七は調べてきたことを矢継ぎ早に喋り出した。

「……上客は、奥の広間に十人ばかり。みんな、おさむらいだが、うち三人は浪人だ……一人は、隠居ふうの老侍、いつもぶつぶつなにごとかを呟き続け、名を聴いても洩らしてはくれませなんだが、あるいなこの御仁が木下太左衛門様ではないかと……」

 その途端、美鈴はハッとからだを揺すらせた。

「では、さっそく……」

 立ち上がった琴絵に、

「もう少しばかりお待ちになったほうがよござんす」

 頻繁に口をついて出る矢七の方言に慣れていない琴絵は怪訝そうに真之介をみた。

「ああ、なにせしちさんは各地を流浪してきたから」

「止めたのは、まだ隠密らしき者、怪しきものが判らないので、かりにその老翁が木下太左衛門様だとしたら、だれが近づこうとするかをじっくりと観ておいたほうがよろしいかと」

 口ごもりつつ矢七が説明した。

「なるほどわかりました。ただ姿なりとも確認しておきたいので、やはり、のちほど竈場を手伝いながら、お膳運びなどで祖父かどうかだけでも探ってまいります」

「もし祖父上ならば、この部屋にきてもらえばいい。おれは侍の溜まり場、しちさんは行商人らを探ってくれ」

 そのとき琴絵が、

「承知いたしました、兄上さま……」

と、ぼそりといった。

 矢七が目を丸くして真之介と琴絵を交互に見ながら、自分も一度でいいからそう呼ばれてみたいと思ったことを二人に悟られないように慌てて咳払いでごまかした。



  

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