判らない判りたくない
このところ八右衛門は
始終、かれの頬が艷やかに潤っているようにみえるのも、性的な名残りではなく、おのれに対して向けられ続けてきたあの視線の意味合いが変わってきていることに気づいたからである。
それは初が家に居ついてくれたその効果というものであったろうか。
……あのような
いままでは、八杉八右衛門のことをそこに
第二に、往来の町人の八右衛門に対する態度が
(まことに面妖なことだ……、こう、からだの奥底からむずむずと
とまどいつつも八右衛門は悪い気はしなかった。男やもめで子持ちの、しかも追手番という
かりに、初との関係を率直に
『さても、さても』
と、
このさい初を後妻に……などとほんのすこしでも妄想しようものなら、それこそ
ところが。
家に戻ると、初とちえの様子がどことなくぎこちないことに気づいて、首をかしげた。
あたかも実の母であるかのように初になついていたちえが、なんとも初_を避けているかのようによそよそしくさえ八右衛門には感じられたのだ。どことなく目には見えない壁をこしらえているようにかれは察し唖然とした。
ひとの微妙な表情の動きを察する能力は、八右衛門は御役目を通じて学び取ってきた。しかも相手は血を分けた娘である。
ちえを外に連れ出し問うてやろうかとも考えたが、
実は八右衛門なりに薄々察しがついていたのだ。
(おそらく、ちえは……初のまことの正体に気づきおったのやも……)
そうと察しても、八右衛門には為すすべはなかった。
初はいわば生命の恩人ともいえた。かりに初が公儀の犬、いや、隠密であろうなかろうと、である。
……あのとき、手際よく傷の手当をしてくれた時点で、じつは八右衛門は初の正体を薄々察していたのだ。見慣れぬ薬草を煎じ練り傷に塗り込んだ手際の良さ、隙のない身のこなしよう、幕領に棲み周辺の藩の内情を探っているにちがいあるまいと八右衛門は踏んでいた。いま、初が
そうと推測してはいても、大きな借りを返さないうちはどうしても初を粗略には扱えなかった。
それに、このまま、しずかに、三人での暮らしを続けてみたいとも八右衛門は思いはじめている。
職務一筋に生きてきた八右衛門にとっては、ほんのささやかで、つましい願いであった。初と夫婦にならずともいい。一緒にいてくれるだけでいいのだ。それが叶うものならば、性欲の衝動など抑えてみせようともおもっていた。刹那の快楽より、多年の
(はて、さて、どうしたものか……)
複雑に絡み合う八右衛門の心情の動きというものは、なかなかに解けそうもない……。だから、もどかしい。考えれば考えるほど、せつなくもなる。
八右衛門には、胸中の悩みを打ち明ける友はいない。はてさて……と考えあぐねた末に、ぽっと火が灯るように
文右衛門は勘定奉行山崎家の
それにしても……と、八右衛門は首をひねった。
(……寺田文右衛門という御仁は、いまだに不思議な気を放っている老翁だな。他家との交流も厚く広く……町人からも親しまれている)
……そこまで思いが巡ったとき、八右衛門の足は自然と谷崎家の
上等とはいえない羽織には綻びと縫い合わせの糸がほつれている。
「はちはち様……いや大層失礼つかまつりました。八杉八右衛門さまでございますね」
声質はやや太い。おどおどしている様子もなく、むしろ来訪を待ちのぞんでいて喜びの表情すらみられる。
「お出迎え恐れ入り申す。谷崎家の家士の方か、それとも寺田殿のお身内の方かな……」
「いえ滅相もございませぬ。拙者はいまだ浪々の身、どうかそのようなご丁寧なおことば遣いはご無用に願います」
「浪々の身と申されたか……?」
「はい。申し遅れました、拙者は山本孫兵衛と申します。就活の友、
「な、なんと! ちえが……?」
「事はいたって複雑怪奇のようでございまするな。寺田様はご陪臣とは申せ、藩ご重臣のご家来でござにますゆえ、表立っては動きにくうございます。この件は拙者と
「……さ、さようでござるか」
喉奥を詰まらせつつ八右衛門は
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