神奈川編:第7話

 第七話




 目を覚ますと、見知らぬ天井が視界に映る。

「……誰の家かも知らないところに泊まってるんだから、当然っすね」

 小さくつぶやきながら毛布を退かし、寝室を出る。


 勝手口をそっと開け、裏庭へ目を向ける。外に異形の姿は見当たらない。念のため耳を澄まし、妙な気配がないことを確認してから、バケツを抱えて井戸へ向かった。

 手押しポンプを押すと、地下から冷たい水が音を立てて溢れ出す。汲んだ水を家に持ち帰り、やかんに注いでガスコンロにかける。


 棚に並んでいたお椀を手に取り、軽く水洗いで埃を落とす。お湯が沸騰すると、その一部をお椀に注ぎ、熱で殺菌するようにすすいでから固形のスープの素を放り込む。再びお湯を注ぎ入れると、じんわりと香りが広がった。

「ふう……これで朝ごはんっすね」


 リュックから取り出した保存食のビスケットを齧り、熱いスープで流し込む。胃の中からじわりと温まる感覚が心地よい。


 食事を終えると、家の中をもう一度見て回り、使えそうなものを回収していく。棚の奥からは蓋つきのステンレスマグカップや小ぶりのスキレット、未開封の石鹸洗剤などの消耗品を見つけた。


 さらに裏庭の奥にある物置を探ると、錆の浮いた鉈を発見する。だが、刃の手入れはしっかりされていた形跡があり、使えないほどの傷みではない。ベルトに通せる鞘まで揃っていたため、制服のベルトに取り付けてみる。これで即座に抜刀できるようになった。


「砥石や錆び落としもあるじゃないっすか。錆び落としは自転車にも使えるかもしれないっすね」

 呟きながら他を漁ると、草刈り用の膝当ても見つけた。プロテクター代わりには丁度良さそうだ。さらにヘルメットに取り付けられる電池式ライトまであり、手持ちの電池が適合していたので回収する。


 こうして一通りの探索を終え、家に戻るとリュックへ新たな装備を詰め込み、出発の準備を整えていった。




 走り始めて数時間、道路脇の看板に「山北町」の文字が見えてきた。

「お、もう少しで静岡との県境っすね」

 口元に小さく笑みが浮かぶ。このまま国道を走り続ければ、目的の一つである駐屯地の近くまで辿り着けるはずだ。


 しかし空模様が怪しくなってきた。厚い雲が流れ込み、遠くで雷鳴が響く。

「これはまずいっすね」

 足を止め、あたりをぐるりと見渡す。やがて、道路脇にあるスーパーの看板が目に留まった。


「雨宿りするならあそこっすかね」

 そう決めると、自転車を押して建物に近づく。できるだけ濡れないよう、風除室の奥まで乗り入れて停めた。ヘルメットのライトを点ける、腰の鉈を抜いて慎重に進む。


 店内は閑散としていた。商品棚はほとんど空っぽで、品物は根こそぎ持ち去られている。倒された棚のせいで奥まで見通せるほどだ。

「物資は期待できなさそうっすね……でも、隠れる場所がない分スライムもいないのは安心っす」

 少なくとも、巨大ムカデや肉塊イモムシのような連中が潜める空間は見当たらない。


 念のため店の奥へ進み、バックヤードの扉を開ける。そこも同じく荒れ果て、残っているのは埃と、崩れた天井から落ちた瓦礫ばかりだった。

「これは雨宿り以外に利用価値なさそうっすね」


 最後に従業員用休憩室のドアを押し開ける。

 途端、視界に一匹のスライムが飛び込んできた。


 しかし、それは今までのスライムとは明らかに違っていた。

 普通ならば濁った透明のゲル状なのに、こいつは鮮やかなピンク色をしている。しかも形も異様だ。どろりと溶けた塊ではなく、ゼリーとグミの中間のような――ぷるんとした楕円形。


 さらに、移動の仕方も違う。従来のスライムは這いずるように動くのに対し、この個体はポヨン、ポヨンと跳ねるようにして室内を動き回っている。


「……なんすかね、アレ」

 得体の知れない存在を前に、背筋が自然と強張っていく。


 しばらく様子を窺っていたが、いつまでも放置するわけにはいかなかった。油断して、背後から襲われるのはごめんだ。


「先に仕留めたほうが安全っすね」

 鉈を鞘に戻し、リュックから鉄パイプを引き抜く。


 ピンク色のスライムは、まだこちらに気付いていない。そっと歩み寄り、鉄パイプを振り上げる――その瞬間。


 弾けるようにスライムが跳ねた。

「なっ⁉」


 まるでスーパーボールのように、壁や床を凄まじい速度で跳ね回る。狙いをつける暇などなく、視線だけがその軌跡を追う。


 次の瞬間、足元に影が走った。

「しまっ――⁉」


 鳩尾に衝撃が突き刺さる。息が詰まり、身体ごと吹き飛ばされたあたしは背後のロッカーに叩きつけられた。

「おえぇ……っ」

 胃の奥から酸っぱいものがこみ上げ、視界がにじむ。痛みと吐き気で涙が滲んだが、それでも膝をつきながら必死に立ち上がる。


 スライムはなおも跳ね続けていた。壁にぶつかっては弾み、床に落ちては飛び上がる。その速さは獲物を翻弄するためのもののようにも見えた。


「くっ……どうにか動きを止めないと……」

 視線を巡らせると、部屋の隅に何かが積まれているのが目に入った。近づいてみれば、それは鳥除け用のネットだった。


「あれなら……!」


 咄嗟にネットを掴み、一端を近くのドアノブに括り付ける。もう一端を両手で広げたまま走り出した。

 スライムが再びこちらに飛びかかる。瞬間、身体を横に捻って回避する。


 ピンクの塊はそのまま、あたしの後ろに構えたネットへと突っ込んだ。

「よしっ!」


 普通のスライムなら液状の体で抜け出せるだろう。しかし、このスライムは半固体。ネットの目を抜けられず、ぐにゃりと絡まってもがいている。


「今っすね……!」

 鉄パイプを握り直し、跳ねる力を封じられたスライムへと叩きつける。


 鈍い感触と反発。だがコアまでは届かない。もう一度、同じ場所へ振り下ろす。さらに、もう一度。反動で腕が痺れても、歯を食いしばって何度も叩き込む。


 そして――。


 ついに手応えが変わった。硬いものを突き砕く感触と共に、鉄パイプがコアへ深くめり込む。スライムは網を破らんばかりに暴れたが、やがて痙攣を残して力を失った。


「はぁ……はぁ……なんなんすか、マジで……」

 鉄パイプを支えに肩で息をしながら、動かなくなったピンク色の塊を見下ろした。

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