第31話 夕方の帰路で①

「あっ、やっと帰ってきた。クロくーん、おーい!」

 帰宅すると、店先に見慣れた人影が立っていた。

 それは、俺よりやや年下くらいの少女——従妹の漆野うるしの伊毬いまりの姿だった。

 学校帰りなのか、紺色のジャンパースカートに身を包んだ伊毬は俺に気づくや否や、軽快にポニーテールをなびかせてこちらに手を振った。

「なんだ伊毬じゃないか、どうしたんだよ」

「どうしたじゃないよ。クロくんがどうしてるかって思って、せっかく様子を見にきてあげたってのに」

 そう言って伊毬は口を尖らせた。

 漆野伊毬は俺の叔父の娘、つまりは俺の父親の弟の娘に当たり、現在中学二年生の十四歳。

 もともと親戚の集まりなどで年に数回顔を合わせる程度の仲なのだが、俺のどこを気に入られたのか、昔から妙に懐かれている。自宅もここから比較的近く、俺がこの古道具屋に引っ越すと決まったときにも、他の親戚が敬遠する中で真っ先に駆けつけてくれたのが伊毬だった。ちなみに、親戚や友人の中でも俺のことをクロくんと呼ぶのは伊鞠だけである。


「様子を見るって言っても、別に伊毬に頼むようなことはいまんとこないぞ。引っ越しの片付けもあらかた終わったし」

「またそんなこと言ってえ。クロくんが転校先でひとり寂しくしてるんじゃないか心配してるって言ってんの。言わせないでよ」

「そうなのか?」

「そうだよー。だから学校終わってから即来たってのに、ここ、誰もいないんだもの」と、伊毬が視線を向けた先には閉じられた榀喰しなばみ商店があり、入口には『本日臨時休業』の札が掛けられていた。いつも思うのだが、この店はこの頻度で休業していて果たしてまともに商売が成り立っているのだろうか。「まあ、お店がお休みなのは仕方ないとしても、クロくんはこんな時間まで何してたの? 放課後なんかあった? もしかしてもう部活入ったの?」

「いや、部活じゃないな」

「じゃあ、委員会……ではないか。学校で自習してたとか?」

「いや、委員会でも自習でもないな」

「じゃあなんで? まさかあり得ないとは思うけど学校の友達と遊んでて遅くなったとかじゃないよね?」

「なんであり得ないんだよ。それが一番あり得そうな回答だろ」

「だって、クロくんが学校で友達に囲まれてるところとか想像できないし……」

「失礼な奴だな。俺が友達に囲まれてても全然いいだろ」

「じゃあ、本当に友達と遊んでて遅くなったの?」

「いや、そういうわけでもないというか」

「じゃあなんで?」

「そう言われてもな。いろいろあったんだよ、今日は」

「いろいろ? いろいろって何?」

「いろいろは……いろいろだよ」

 俺は言葉を濁した。

 今日は本当にいろいろあった。ありすぎた。正確には、昨日の夜から立て続けにいろいろなことが起こり続けているのだが——。


 部室での怪物出現騒動の後、俺は閼伽野谷を保健室に連れて行ってベッドに寝かせた。しかし、佐橋が言っていた通り、三十分と経たないうちに、閼伽野谷は完全に回復していた。

 本人は痛みも痺れも残っていないと言い、まるで怪物に電撃を受けた事実など初めからなかったかのようにけろりとしていた。

 もちろん火傷も傷跡も体のどこにも見当たらず、それどころか本人曰く、あの部屋で何が起こったのかさえよく覚えていないという。養護教諭も特に問題はないと言うので、念の為、後日病院に行って診察を受けるということで同意し、その場は解散となった。


 その後、部室を施錠する際に、部室内のテレビが破壊された件についてはさすがに何か指摘されるのではないかと危惧していたが、立ち会った教師に「そもそも部室棟の備品にテレビはない」と言われて俺は気勢を削がれることとなった。

 まったく何が何やらさっぱりわからない。

 何があったか説明しようにも、とにかくいろいろあったとしか言いようがないのだった。

 俺が押し黙っていると、伊毬は諦めたように肩を竦めた。

「ふうん。まあいいけど」

 伊毬はまだ疑わしげな目をしていたが、俺は気づかない振りをした。

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