灰と霧の谷
二日後の朝、ソリヴァールのゲートが開くと同時に、三両編成の帰還隊が灰色の外界へと踏み出した。
先頭はローワン、キアナ、エラン。二両目にセリン、アリス、ジョリン、ラエラ。最後尾にトーヴァン、マーレン、シリウスが乗る。車両の側面には耐腐食加工を施した装甲が取り付けられ、荷台には帰国後すぐ技術局に渡す試作資材が積み込まれていた。
ルートは往路とは異なる北東回り。理由は二つ――飛行捕食生物ヴァルクレアの活動域を避けること、そして天候悪化による移動制限を軽減することだった。
「寒冷ポケット地帯」を経由するこの道は、外界でも珍しく冷気が残る地域で、岩壁が陽光を遮り、霧と霜が常に漂っている。ヴァルクレアは熱を感知して獲物を捕らえるため、この冷涼な地帯では活動が鈍るとされていた。
正午を過ぎた頃、視界は徐々に白く濁り、岩壁が迫ってくる。湿った冷気が車内に忍び込み、アリスは思わず首をすくめた。
「ここが寒冷ポケット地帯か……」と呟くと、隣のラエラが頷く。
「ソリヴァールでは“灰と霧の谷”と呼ばれています。谷の奥には氷結した小川があり、冬にはさらに霧が濃くなる。視界は悪いが、ヴァルクレアは滅多に寄りつきません」
だが、安心は長くは続かなかった。
霧の向こう、岩壁の上空を大きな影が横切ったのだ。
「……今のは?」アリスが息を呑む。
ラエラは弓を構え、冷静に答えた。「ヴァルクレアです。若い個体は冷気を嫌がらないこともある」
影は霧に溶けていったが、その存在だけで車内の空気が張り詰める。
やがて谷の中央部に差し掛かると、進路を阻むように岩塊が転がっていた。シリウスが無言で車両を降り、槍で雪と氷を削ぎ落としながら道を確保する。
「こういう地形は崩落も多い。足元をよく見ろ」彼の低い声が霧に吸い込まれた。
谷を抜ける頃には日が傾き始めていた。岩壁を抜けた先の平原は再び灰色の大地が広がり、遠くには嵐雲がうねっている。
「この先は天候次第で進軍を止めるかもしれない」とローワンが通信越しに告げる。
その声は落ち着いていたが、誰もが緊張を隠せなかった。往路で見た死者と負傷者の記憶が、胸の奥を重くしていたからだ。
二両目の窓から外を見つめていたアリスは、小さく息を吐いた。
――ここを越えれば、ノクティスは近い。
だが帰国は終わりではない。輸送ルートの確立、通信網の整備、そしてモンテラとの交渉――山積みの課題が待っている。
冷気の谷で握りしめた拳の温もりは、外界の寒さに奪われることなく、確かに胸の奥で燃え続けていた。
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