深更
夜は深く、廃施設の壁に絡みついた蔦が風に揺れ、ざわめきを立てていた。
薄明かりがわずかに車列を照らし、交代の見張りが静かに持ち場を変える。砂礫を踏む音が夜気の中に沈み、あたりはひどく静かだった。アリスは寝袋の中で目を閉じていたが、眠りは浅く、耳は外の音を探っている。
低い風のうなりに混じって、かすかな羽ばたきのような振動が届く。
「……今の、聞こえたか?」三両目のトーヴァンの声が、無線機越しに低く響いた。
「距離は?」ローワンが即座に問う。
「西方、百五十――いや、百二十メートルまで詰めている」
ラエラが立ち上がり、背から弓を抜く。弦に矢を掛け、施設の崩れた壁越しに闇を見据えた。吐く息は白く、張り詰めた空気を震わせる。
次の瞬間、雲間を切り裂くような影が現れた。翼は帆のように広がり、尾が細く長くしなる。
「ヴァルクレア……」アリスが息を呑む。ソリヴァールでそう呼ばれる飛行生命体――空から獲物を探し、地上に降り立つときは必ず死が伴うと言われている。
影は地上へ急降下する気配を見せず、上空を旋回しながら車列を監視しているようだった。
「狩りじゃない……索敵だな」キアナが低くつぶやく。
「今は動くな。こちらの位置を把握させるだけだ」ローワンが静かに制止をかける。
張弓のままラエラが影を追い続ける。だがヴァルクレアは尾をひらりと振り、風を切って再び雲の中へと姿を消した。
一行はしばし沈黙し、耳に残るのは遠ざかる羽音だけだった。
「……今夜は二重警戒に切り替える」セリンが短く告げ、見張りの配置が再編される。キアナとシリウスが交互に外壁の影を巡回し、トーヴァンが車両の上から外界を見張る。
アリスはその様子を目で追いながら、夜空を仰いだ。雲の切れ間から漂う月明かりは冷たく、帰路の長さと危うさを突きつけてくる。
行きの道中で失った命と、今も療養中のジョリンの姿が脳裏をよぎる。護衛は増えたが、次の瞬間に何が起きても不思議ではない。
「……必ず帰る」自分にだけ聞こえる声でそう呟き、彼女は背を壁に預けた。
この夜を越えられれば、明日はさらに距離を稼げるはずだ――そう信じながら。
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