飛行生命体

雲間を裂くように巨大な影が滑った。

車列の上空をかすめ、灰色の翼が陽光を遮る。アリスは思わず窓に顔を寄せ、その輪郭を目で追った。


「――ヴァルクレアだ」ローワンの声は低く、抑えられている。

「飛行生命体の一種だ。ソリヴァールではそう呼ぶ。雲上から獲物を探し、尾の刃で切り裂く。地上の車両さえ襲われることがある」


ヴァルクレアは長い翼をゆるやかに畳み、再び雲の奥へと消えていった。尾の先は鎌のように曲がり、陽光を反射して銀色に光っていた。


アリスは息を呑み、胸の奥がわずかに強張るのを感じた。

――あれに狙われれば、装甲車でも無事では済まない。


車内の空気が引き締まる。ラエラが弓を握り直し、セリンは視線を窓から地図に移す。外界はただ灰色の荒野ではなく、空すらも脅威に満ちていた。


午前のうちは厚い雲に覆われ、遠くの地平線も霞んで見えた。時折、砂礫の斜面を風が駆け上がり、車両の装甲にざらついた音を立てる。先頭の車両ではキアナが外を睨み、エランが無線機越しに後方と短くやり取りを交わす。


昼前、進路を遮る崩落地帯に差しかかった。古い橋脚が風化して倒れ、その残骸が瓦礫の山を作っている。

「一時停止」ローワンの指示が全車両に伝わる。シリウスが降車し、長槍の石突きで瓦礫を突きながら安全な足場を確かめ、進路を確保していく。


足場が整うと再び車列が動き出したが、午後に入る頃から天候が悪化し始めた。低く垂れ込めた雲から、細かい雨が車体を濡らし、視界をさらに奪う。湿った空気の中で、アリスの耳はエンジンの唸りと遠雷の響きを拾っていた。


「速度を落とす」セリンの声に、車両の振動がわずかに和らぐ。

「この雨だとヴァルクレアは降りてこないはずだが……視界が悪いと別の危険がある」ラエラが弦を軽く弾き、音を確かめるようにつぶやく。


夕刻が近づく頃、空の一角が裂けるように晴れ間がのぞき、陽光が濡れた大地を照らした。その瞬間、遠くの空で再び影が動いた。ヴァルクレアだ。雨で鈍った羽ばたきも、狩りの機会を逃さないように思える。


「距離はある、問題ない」ローワンが冷静に告げるが、アリスの背筋には緊張が走ったままだ。


やがて日没が迫り、車列は安全とされる廃施設跡に停車する。半壊した壁を背に車両を並べ、照明を最低限に絞る。食事は簡易食糧を分け合い、会話は必要最低限。外の気配を探る耳が、全員の中に生きていた。


その夜、遠くで風を裂く低い唸りが響き、アリスは天幕越しに空を仰いだ。雲間を横切る一瞬の影――ヴァルクレアか、それとも別の何かか。判別する前に、暗闇は全てを飲み込んだ。


帰国の道は、まだ始まったばかりだった。

そして、生きてノクティスへ辿り着くまでの距離は、地図上よりも遥かに遠く感じられた。

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