進化の片鱗

治療室を出たアリスは、足を止めた。

 まだ肺の奥にあの清涼な空気の感覚が残っている。視界の端では、淡い光を纏った回廊が緩やかに曲がり、どこまでも続いていた。


「……見たな?」

 背後からセリンの声がした。振り返ると、彼とエラン、マーレンが立っていた。ジョリンの治療が気になって、三人ともそっと覗いていたらしい。


「見た。あれなら……今まで助からなかった人たちも、生きられる」

 アリスは言い切った。

「ノクティスじゃ、生存確率が五割を切ったら、治療は打ち切りだ。痛みを抑えて、使える臓器を移植に回す。それが“合理的”ってされてきた」

 声が少し震えたのは、悔しさか、それとも別の感情か。

「でも、ここでは違う。患部に合わせた環境を作って、回復を促す。あれなら……“助からない”って判断されたケースだって、助けられる」


 エランが口を開いた。

「確かに……驚いたよ。薬を全身に回すんじゃなく、局所的に……あれは医療というより、生態環境の制御だ」

 技術者らしい視線で、その構造を思い出しているようだった。


「だからこそ、これを国に持ち帰るべきだと思う」

 アリスは一歩踏み出した。

「国交を深めれば、この技術は共有できる。死なずに済む命が増える」


 セリンは腕を組み、少し視線を逸らした。

「……理屈は分かる。だが、あのやり方は資源の消費が激しいはずだ。ノクティスの規模で適用できるかどうか……」

「それでも、模索する価値はある」アリスは食い気味に返した。「効率だけじゃない、命の重みを考えるべきだ」


 その言葉に、マーレンが鼻で笑った。

「命の重み? あんた、何言ってる。国は全体の生存率を最大化するために動いてるんだ。生き残る見込みが低い個体に資源を割くなんて、愚策だ」

「……それで切り捨てられた命の中に、自分の大事な人がいてもか?」

 アリスの問いに、マーレンは一瞬だけ口を閉ざした。だがすぐに吐き捨てる。

「それがルールだ。だから俺たちは生き延びてる」


 短い沈黙。

 エランが低く呟く。「でも……あの方法なら、ルール自体を変えられるかもしれない」

 セリンも深く息を吐いた。「少なくとも、選択肢があると知った。……あとは、どうやって国を動かすかだ」


 アリスは小さく頷く。

 あの淡い光に包まれた治療の光景が、まぶたに焼き付いている。

 ――必ず、持ち帰る。この技術を。

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