渇きの渓谷

  森を抜けるのに半日を費やした。

 木々の網をかいくぐり、沼を渡り、息が詰まるような湿気からやっと解放されたはずなのに、そこに待っていたのは別の苦しさだった。


 空が広い。

 だが、広がるのは雲ひとつない灼熱の天蓋だった。

 足元は乾ききった岩肌と砂礫の道。昼の熱が溜まり、靴底を通してじりじりと皮膚を焦がす。

 数時間前まで体にまとわりついていた湿気が、今では一滴も残っていないように感じる。呼吸は軽くなったが、喉の奥がひりつく。


 「水の残量、あと八割」エランが計器を確認し、淡々と告げた。

 八割――本来なら安心できる数字だ。だが、この熱と乾きでは、予定よりも早く消費するのは目に見えている。

 セリンは頷くだけで、速度を落とさず進む。


 ジョリンは足を引きずりながらも隊列を乱さないようについてきていた。

 負傷した足首は包帯の上から簡易冷却材で覆われているが、この気温では長くもたない。

 マーレンが時折振り返り、歩調を合わせていた。


 やがて、道が裂け目のように落ち込んでいる場所に出た。

 幅は数十メートル、底は陽炎で揺れ、そこを細い岩橋が一本だけ渡している。

 「峡谷だな」マーレンが呟く。

 橋の下には、鈍く光る黒い筋が蛇行していた。かつての河川だろう。しかし、その水は干上がり、油膜のような光沢だけが残っている。


 アリスは橋の手前で足を止め、谷底に目を凝らした。

 風が吹き上がり、微かに焦げたような匂いを運んでくる。

 「……ここ、火災跡じゃない?」

 誰かがかつて何かを燃やし、土地ごと焼き尽くした――そんな痕跡だった。


 「時間をかけるな。日が傾く前に渡るぞ」セリンが声をかける。

 岩橋は亀裂だらけで、足を踏み外せば一瞬で谷底だ。

 一人ずつ、慎重に進む。

 真ん中あたりで、アリスは無意識に視線を上げた。


 遠くの岩壁の上で、黒い影が一瞬揺れた。

 森で見たものと同じかは分からない。

 だが、その視線は確かにこちらを見ていた気がする。


 無事に全員が渡り切ったとき、谷底から熱を含んだ風が吹き上がった。

 その音は、低く長い呼吸のようでもあった。

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