緑の檻 前奏

 灰の空を背に、視界の向こうにそれは現れた。

 焦土の大地を切り裂くように、緑が広がっていた。地図にも記されていない。迂回路を選ばざるを得なかった結果、彼らはこの森を目にしたのだ。


 ノクティス生まれのアリスは、立ち止まって息を呑む。緑は知識としては知っていたが、現物を目にするのは初めてだった。地下に降りる前の世界では当たり前だったという色。けれど、その鮮烈さは想像を超えていた。

 外部出身のセリンは「まだ残っていたか」と低く呟いた。対照的に、地下生まれのセリン以外の隊員はしばし言葉を失い、視線を奪われている。


 近づくにつれ、森はただの植物群ではないとわかる。幹は厚く、表皮は石のように硬い。葉は油を含んだように艶を帯び、日光を反射しながら放射線を吸収して成長している。

 地熱を感じる。足元の土は生温く、ところどころから白い蒸気が立ち上る。


「進路は、森の中だ」

 先頭を行くセリンが地図を見ながら告げる。森を大きく迂回すれば数日単位で遅れる。補給は限界だ。選択肢はない。


 森の縁で、アリスはふと甘い匂いに気づいた。熟れすぎた果実のような、けれどどこか金属的な匂い。湿った熱気がフィルター越しにも肌にまとわりつく。

 風がやむと、葉の擦れる音と、遠くで鳥に似た鳴き声が微かに響いた。


 枝の間を何かが走った。小動物のようだが、背に硬い甲殻があり、脚は異様に長い。色は樹皮と同化しており、一瞬で見失う。

 空を横切る影もあった。翼の形は鳥に似ているが、尾は昆虫のように節があり、先端が針のように尖っている。


 地下に生まれ育った身体が、環境の違いに即座に反応する。呼吸が浅くなり、額に汗が滲む。フィルターの換気音が早くなるのが、自分でもわかった。


「行くぞ」

 短い号令で隊列が森へと足を踏み入れる。

 足元の土が柔らかく沈み、葉の影が視界を覆う。太陽光は遮られているはずなのに、湿度と熱気が一気に押し寄せ、肌の奥まで染み込んでくるようだった。


 ふと、アリスは背後を振り返る。森の入り口の外は、まだ灰色の世界が広がっている。そこから一歩内側に入っただけで、別の惑星に迷い込んだような錯覚に陥る。

 その瞬間、背筋に小さな冷たい感覚が走った――理由はわからない。ただ、この森は歓迎していない。そんな予感だけが、確かにあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る