緑の鑑 兆し
森の奥へ踏み込むたび、湿度は増し、空気は重くなっていく。
頭上を覆う葉は厚く、硬く、光をほとんど通さない。それでも気温は高く、地熱と蒸気が全身を包み込み、肌が呼吸しているかのように汗を噴き出す。
フィルター越しに吸い込む空気は、ほのかに甘く、しかし次第に濃くなっていくように感じられた。肺が満たされるたび、どこか鈍い倦怠感が身体に沈んでいく。
負傷しているカーの肩が上下し、呼吸が荒くなっているのが分かる。隊列の最後尾に回ったジョリンが、何度も酸素供給量を調整していた。
「ここは……生き物の匂いがする」
セリンが低く呟く。
足元には、先ほどから不規則に巨大な足跡が続いていた。直径は人間の頭ほどもある。爪痕は深く、土を抉っている。乾いているが、形は鮮明だ。
やがて、その先に骨の山が現れた。
獣のもの、人間のもの、区別のつかない断片が無数に積み重なっている。白く風化した骨には、苔や根が絡みつき、まるで森に吸収されているかのようだった。
その光景に、地下生まれのマーレンが思わず息を呑む。ノクティスでの死体は、整然と処理されるものだ。こうして自然の中に晒される姿は、異様でしかない。
アリスは膝をつき、骨に絡まる苔をそっと指先で払い落とす。触れた瞬間、苔の下から小さな昆虫型の生物が飛び出した。
背中に甲殻を持ち、脚は六本。だが、その前肢は異様に発達し、小枝を器用に押しのけて逃げていく。
短い驚きのあと、彼女の胸には妙な寒気が走った。――この森は、生きるものすべてを取り込み、形を変えている。
「進むぞ。止まると呼吸がきつくなる」
セリンの声に押され、隊列は再び歩みを始める。
森の奥は静かだった。あまりに静かで、遠くで何かが葉を踏みしだく音が一度聞こえると、全員が足を止めた。
間を置いて、低い咆哮が響く。それは風が鳴らす音ではない。大地の奥から響いてくるような、重く湿った音だった。
負傷したカーの視線が揺れた。「今の……何だ」
誰も答えない。答えられる者はいない。
アリスは、視界の端で木陰がわずかに揺れるのを見た。
葉の隙間から、複眼が一瞬だけ光を反射し、すぐに闇に溶ける。数は一つではない。
湿気の中、全員の呼吸音が重く響く。
そして、その呼吸を追うかのように、葉のざわめきが近づいてきていた。
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