影の中の熱
補給拠点跡地は、地図上では広い倉庫と記されていた。
しかし、実際にそこに立ったとき、アリスが見たのは骨組みと壁の断片だけだった。屋根は半分以上崩れ落ち、残った梁の間から白く濁った空が覗いている。影の中に入っても、熱は肌を離れなかった。
防護マスクを外す許可が出る。
外気が頬を撫でると同時に、むっとする熱と匂いが押し寄せてきた。焦げた金属、風に舞う灰、どこかで長く腐ったものの甘い匂い。それらが重なり合い、頭の奥を揺らす。
水筒から再循環水を口に含む。ぬるく、わずかに金属の味がした。それでも喉は即座に飲み干せと命じる。
飲みながら、アリスの視線は壁の亀裂に吸い寄せられた。そこから見える外の世界は、ノクティスでは決して触れられない色で満ちていた。
淡く褪せた青灰色の空。地平線まで続く褐色の割れ目。遠くに横たわる巨大な塔の残骸、その影に隠れるように沈む黒い泥沼。
風が吹くたび、砂と灰が舞い、粒子が光を帯びてきらめく。その一瞬一瞬が、見慣れた世界とは別の法則で動いているようだった。
耳も休む暇を与えられない。
遠くで崩れる構造物の低い響き、風が金属を撫でる甲高い音、自分の呼吸音と心拍。
情報が押し寄せ、頭が熱を帯びる。冷静に分析する間もなく、ただ感覚だけが飽和していく。
「……おかしいな」
近くで地図を確認していた技術班の声が漏れた。エランだった。
「このルート、もう使えない。崩落してる」
彼女の指が地図の一部を示す。そこには、実際には砂に埋もれた通路が、何事もないように描かれていた。
マーレンが近づき、別の箇所も指差した。
「ここも通れない。地割れが広がってる」
エランが端末を操作し、位置情報を照合する。眉がわずかに寄った。
「……これ、少なくとも五年以上は更新されてない」
その言葉に、場が一瞬だけ沈黙した。
ノクティスの外に出る隊は限られている。情報が古いという事実は、その間に何が起こっていたか誰も知らないことを意味する。
だが、沈黙はすぐに切られた。
「進むしかない」マーレンが短く告げる。
命令は常に単純で、選択肢はない。
影の中の熱は、冷めることなくアリスの背中を押した。
視界の端で、灰がまた舞い上がる。
それは、情報として処理されるよりも早く、彼女の感覚に刻み込まれていった。
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