熱の中の残響
調査のため、拠点跡地の影を離れる。
外の空気は、相変わらず熱を孕み、肌に貼りつくようだった。足元の砂が擦れ合う音と、灰がマスクのフィルターを叩く細かな感触が、絶え間なく続く。
エランが先頭に立ち、崩れた壁の間を抜けていく。
「記録では、このあたりは廃墟だけのはず」
彼女の言葉に、アリスは無言でうなずく。だが視界の端に、地面の裂け目が映った。
近づくと、その底に小さな水たまりがあった。透明ではなく、茶色く濁った水。だが、その中に、細い糸のような緑色がゆらゆらと揺れている。藻だ。
生きている緑を、地下以外で見るのは初めてだった。
息を詰めて覗き込み、指先で触れたい衝動が走る。しかし防護手袋がその衝動を封じる。
エランは無言でカメラを取り出し、数枚撮影すると、あっさりと背を向けた。記録としての価値があるだけ。それ以上の感情は不要だと言わんばかりに。
さらに進むと、崩れた壁の影に奇妙な痕跡を見つけた。
石材の表面に、不規則な溝が何本も刻まれている。爪痕のように見えた。しかも新しい。
地面には、小さな骨が山のように積まれ、まだ乾ききっていない暗い色の染みが砂に滲んでいる。
「……生き物はいないはずだ」エランが低く呟く。
アリスはその声の響きに、ほんのわずかな驚きの色を感じ取った。
さらに奥へ進むと、半ば埋もれた建物が現れた。
金属の扉は外れており、中は黒い影に包まれている。足を踏み入れると、焦げた匂いと、湿った土の匂いが混じり合って鼻を突く。
壁際に転がる金属缶は錆びつき、形を崩している。棚の上にはひび割れた食器。床には炭化した木片が散らばっていた。
木片の一つを拾い上げると、表面に細い線が彫られていた。
丸く描かれた輪と、その下に並ぶ三本の直線。太陽と、人の姿にも見える。
だがそれが、現在の誰かの手によるものか、地上を去ることを拒んだ人々の残したものなのかはわからなかった。
ノクティスの記録では、この地には生物も人も存在しないとされていた。
だが今、目の前にはそれを否定する痕跡がある。藻、水、爪痕、骨、そして何者かの描いた線。
アリスの胸の奥で、何かがわずかに揺れた。それは興味なのか、不安なのか、自分でも判断がつかなかった。
「戻るぞ」
エランの声で我に返る。
外に出ると、再び灰混じりの熱風が頬を撫でた。影の中でさえ温度は下がらず、息をするたびに肺が重くなる。
歩きながら、アリスは振り返る。
崩れた壁の向こうに残された痕跡は、やがて砂と灰に埋もれ、完全に消えるだろう。
それでも、確かにそこにあった過去の残響が、熱の中で微かに鳴り続けている気がした。
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