最後の静けさ

 自由時間が与えられたのは、訓練開始から二週間後のことだった。

 半日だけ——そう告げられた瞬間、区画全体がわずかにざわめいた。ノクティスでの生活において、与えられた時間を「自分のために使う」ことは珍しい。だが、誰もそれを表情に出すことはない。


 アリスは特に行き先を決めず、居住棟を歩き出した。

 廊下は相変わらず冷たく、金属と合成樹脂の壁が単調に続く。靴底が床を叩く音が、やけに鮮明に耳に届いた。


 配給所の前を通りかかると、壁際に長い列ができていた。視線を合わせる者はなく、受け渡し口でトレイに載せられる栄養食の音だけが響く。淡い灰色の立方体、薄茶色のペースト——それらの匂いは、長年慣れきったはずのものなのに、今日はわずかに温かく感じられた。

 (これも、懐かしいと思う日が来るのだろうか)

 そんな考えが一瞬、頭をかすめる。


 足は自然と教育区画へ向かっていた。

 透明な扉越しに、机と椅子が規則正しく並ぶ無人の教室が見える。壁には投影用の白い面だけがあり、装飾は一切ない。かつての記憶が、色褪せた記録映像のように蘇る。講師の声、同じ班だった仲間の顔——だが、感情の温度は伴わない。


 曲がり角を抜けた先、物資搬入口の扉が開いた。

 外からの空気が一瞬流れ込み、冷たさとともにわずかな異質な匂いを運ぶ。荷を積んだ台車の車輪が床を軋ませる音が響き、見慣れない色の耐候服が積み込まれていく。外交任務用の物資だ。

 灰色一色の世界に差し込む、その異物のような色彩に、目が自然と引き寄せられる。


 廊下を再び歩き出す。

 足音が、いつもより少しだけ違って聞こえる。理由はわからない。ただ、この半日の静けさが、薄い膜のように自分を包んでいることだけはわかった。

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