第3話【第2章 誕生!楽しい日々】

あれから五日が経った夜だった。

 チャーリの部屋の空気が、ほんの少しだけ違っていた。


 灯りを落とし、寝床に入ったあとも、彼は木箱にそっと手を伸ばす。

 青白く光る卵の殻は、毎日わずかに色を変え、まるでゆっくりと息をしているようだった。


 そのとき──


 「……クゥ」


 小さく、濡れたような声が聞こえた。


 チャーリは驚いて跳ね起き、木箱を覗き込む。


 卵の表面に、細いヒビが走っていた。

 パキッ、という音とともに、殻がゆっくりと開いていく。


 中から現れたのは、濡れた青い体の、小さな生き物だった。


 魚のような鱗、竜のような角、宝石のように光る瞳。

 その姿は、どの図鑑にも載っていない“何か”だった。


 チャーリはそっと両手で抱き上げた。


 「……君、生まれたんだね」


     * * *


 翌朝。ベッキーはチャーリの部屋に飛び込むなり、叫んだ。


 「チャーリ! 産まれたってホント!?」


 「うん……夜に孵ったんだ。ほら、これ」


 クゥは洗面器の中で水をちゃぷちゃぷ跳ねさせていた。

 ベッキーは思わず息を飲んだ。


 「きれい……」


 小さな指先が水に触れると、クゥはくるくると泳ぎ、くちばしのような口を鳴らした。


 「……クゥ」


 「いま、鳴いたよね!? “クゥ”って!」


 「うん、昨日もそう鳴いたから……そのまま名前にしようと思ってた」


 「決まりだね、クゥ!」


     * * *


 それからの日々は、まるで宝箱の中に閉じ込められた季節のようだった。


 朝はベッキーがうちに寄って、クゥに“おはよう”を言う。

 登校前にクゥの水を替えて、餌代わりの魚肉ソーセージを半分こ。

 放課後は交代でクゥの世話当番。時にはおばさんにばれそうになって、慌ててベッドの下に隠したこともあった。


 「もう……クゥ、洗面器から飛び出すんだけど!」

 「それ、喜んでるんだよ!」

 「じゃあ、その水、もうお風呂にしたら?」


 そう言いながらベッキーは、洗面器を両手で持ち上げて、ちゃぷちゃぷと揺らす。

 クゥは波に乗るように嬉しそうに跳ねた。


 「……もしかしてさ、クゥって、海の生き物なのかな」


 チャーリのそのひと言に、ふたりは顔を見合わせた。

 けれど、不安はなかった。ただただ、今の時間が、毎日が、愛おしくてたまらなかった。


     * * *


 ベッキーはクゥを世話するとき、時々“お母さんごっこ”みたいな口ぶりになる。


 「ちゃんとごはん食べたの? だめでしょ~残しちゃ~」


 「それ、誰の真似?」

 「ママだよ。クゥがうちの弟だったら、こうなるって想像したら、なんか笑えてきた」


 ベッキーのそういうところが、チャーリは好きだった。


 ――でも、ふたりはまだ知らない。


 この秘密の宝箱に、ほんの少しずつ“終わりの気配”が忍び寄っていることを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る