第29話 脳裏のごはん


「本日は、お招きどうもありがとう」


メインを楽しんで、あとはデザートを待つばかり。私は床につくほど大きな白いクロスの掛けられたテーブル越しに、彼に会釈した。


「いえいえ、こちらこそ来てくれてありがとう。これといって珍しい料理も出せなかったけど」


「そんなことない!どれもこれも、とっても美味しかった」


「それならよかった」


彼は自分のグラスに水を注いで、ふわっと微笑んだ。


「これでもね、食材にはこだわったんだ。説明しても?」


もちろん聞きたい。こくこく頷くと、彼も嬉しそうに頬を上げた。


「前菜に添えたソースがあったでしょう、あれは彩りが大事だから、鮮やかさを保つのに苦労したよ。凝固も分離も防ぎたかったしね。いろんな赤い食材を、ペーストにしたりみじん切りにしたりして混ぜて。試行錯誤の末に、あの配分にたどり着いたわけさ」


なるほど、あのソースは確かに素晴らしかった。絶妙な苦味と酸味が、オードブルにしては少し甘い野菜たちの味付けを引き立てていたの。


「それからスープ。コンソメかクリームかで結構悩んだんだ。だけどどうしても使いたい肉があってね、この国では滅多に手に入らない希少部位さ。どうせなら君に食べてほしかった。

でもほんの少しだからメインにはとても使えなくて。その点クリームスープなら、豪華にできるんじゃないかと踏んだわけだよ。柚子胡椒をアクセントにね」


ええ、本当に。スープだけでも心が満たれるくらい。あの刺激の正体が柚子胡椒だったなんて。おかげで芯からぽかぽか。


「メインは魚介を選んだけど、これも迷ったんだ。カルネはスープに入れちゃったからね。でもステーキをどんと出して、君の丸い目を見れたらなとも思った。

結局、帆立のソテーでも喜んでくれてよかったよ。ああ、そうそう」


彼は立ち上がって奥のセラーを開けた。小ぶりなボトルを1本取り出して持ってくる。


「これ、一緒に飲もうと思って。デザートの前の、口直しみたいなものさ。グラスをこちらに」


差し出すと、上品な所作で注いでくれた。自分のにも注いで、話を続ける。


「ソテーのつけ合わせだけど、どうだったかな?実は咄嗟の思いつきで作ったから、ちょっと自信がなくて。

ーー美味しかった? ああ、よかった。あれはね、とても硬いものだけど長時間かけてじっくり煮たら案外いけるんじゃないかって。君で試しちゃってごめんよ」


いいえ。むしろ私に最初に食べさせてくれたのは光栄だもの。大葉の上の、ジェリーのようなこれは何かと初めは訝しんでいたけれど、口当たりがとっても良くて気に入っちゃった。


「ただギリギリで準備を始めたからね、そこで時間を取られて、デザートがまだ冷凍庫というわけさ。うん、でもそろそろ固まったんじゃないかな。待っててね、見てくるよ」


彼はキッチンへ入った。やがて陶器のボウルを手に顔をのぞかせた。


「うん、大丈夫そうだ。取り分けて持っていくよ。

ところで、少し人体の話をしようか。そんな難しい話じゃないよ、安心して。


『脳裏』ってあるだろう?『脳裏に浮かぶ』とかよく言うけれど。


映画の中でさ、野蛮な民族が猿の脳みそをソルベにしている描写、あれ苦手なんだ。あんな苦くて臭みも強いやつ、食べれたもんじゃない。食わず嫌いなんて言わないでくれよ。


だけど脳裏は別だ。ふとした拍子にいろんなことが映し出される脳裏は、思考して堅くなった脳みそより味に深みがある。おもしろいでしょう。


脳裏は限られた部分にしかないからね、たくさんは作れなかった。2人で食べる量を考えると、1人分の脳じゃ足りなかったね。結局3人だよ。


でもいいんだ、君のためだから。大切なお祝いに奮発するのが楽しいんじゃないか。さあ、ミントの葉を飾って完成だ。


君のための特別なデザート、脳裏のソルベ。さあ召し上がれ」

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