第19話 なつかしの我が家
奥に行きながらラコナンナは、地下貯水スペースに建てられたあばら屋を指さした。
「見て。あれがあたしの昔の家。流れてきたあたしは、あそこに住んでいた貧民だったお
「こんなところに家が」
ヤミヒが呆然とつぶやく。
「こんなところで、生きていけるの?」
「ここの水だけ、不思議と綺麗で、害虫や害獣も少ないの。だけど、飲むとお腹を壊す。あたしはかなり平気だったんだけど。でも、だから、飲み水は外に汲みに行っていたなぁ。食べ物は、たまにいいものが流れてくるからそれで。あとは上で拾ってくる」
ラコナンナは思わず苦笑してしまった。
こで育った彼女には普通のことだったが、いま思うと凄い生活である。
ヤミヒは足元をちょろちょろ流れる水を手ですくい、それにウォンドの光を翳した。
水が不思議な色合いで反応する。
「なに?」
後ろから覗き込んだラコナンナは、驚いて目を瞠った。
「神水。強烈な魔力を含んだ水」
しゃがみ込んだヤミヒが振り返る。
「どこかに超常的な泉があって、そこから流れてきている」
「超常的な泉?」
ラコナンナは首を傾げた。
王都にそんなものが存在するなどという話は聞いたことがなかった。
ラコナンナがヤミヒをかつての我が家に案内すると、死靈術師はいままで見せたこともないような呆然とした表情をした。
「ここに住んでた?」
「うん」
「外の方が綺麗」
「いや、これはこれで機能的なんだよ」
散乱した木箱の間をすり抜けながら奥に進み、土間に敷かれた
「なつかしい」
「トイレ?」
「ベッドだよ」
「猫のトイレにそっくりだ」
「これが案外落ち着くんだよ。まったく揺れないし、ほどよく堅いし」
「あっちのゴミ箱は何? もしかしてゴミ箱ではない?」
「キッチンだよ」
「じゃあ、あっちのくず入れはバスルームか?」
「バスルームなんてないよ。外の水で身体を洗う」
「野生動物のほうがもう少し文化的な生活をしている気がする」
「そんなことないって」
苦笑した拍子に、お腹がぐうっと鳴った。
「何か食べようか」
「流れてきた物は嫌だ」
「ちゃんと上に行って食べよう。お財布あるし」
だが、下水溝から地上へのぼったラコナンナたちは、すぐにその考えが甘かったことに気づくのだった。
二人は、ラコナンナが昔よく使っていた「穴場のマンホール」を使って地上に出た。
このマンホールは、そこにマンホールがあることを忘れて上に建物が建てられそうになり、ただしマンホールを塞ぐことは許可できないと行政からの指導が入り、上に建物は建ったがマンホールは塞がれなかった。
ただし、マンホールの上五十センチに建物の床下が存在し、下からなら蓋を押し上げることができるが、上からは、人が立つことも出来ないため、蓋を開ける術がなく、結局ラコナンナが下から出るためだけに存在するような素晴らしいマンホールになってしまった。
だから、ラコナンナは子供の頃からこれを「穴場のマンホール」として地上への通用口に使っていた。
昔に比べて明らかに狭くなった軒下を、ミミズみたいにのたくって何とか脱したラコナンナは、潰れて十年経つレストランの裏通りから、しれーっとヤミヒと二人して表通りに出る。
大きく深呼吸したヤミヒが、心底解放されたという声で心の声をつぶやく。
「シャバの空気はうまい」
「あれ?」
長くこの街に住んでいたラコナンナは、すぐに異変に気づいた。
「憲兵がいる」
「え」
そう。こんな下町にいちいち憲兵が姿を現したりしないのだ。
おまえら下層貧民は好きにしていろというのが王都憲兵隊のスタンスであり、こんな貧民街の治安なんぞに興味がないのが憲兵たちである。
だが、そんな下町の表通りを、いかつい顔した憲兵が周囲に視線を走らせながら闊歩している。それを胡散臭げに見守る住民たち。
そして、憲兵の手には一枚の紙切れ。全員がその紙切れを手にしている。
「あれ、あたしたちの手配書かな?」
建物の角に身を潜めて、ラコナンナは様子をうかがう。
「あたしたちの似顔絵とか書かれちゃってるのかな?」
「見てみたい」
「気持ちは分かるけど」
左右を見回したラコナンナは、ヤミヒの手を引いて歩き出した。
こういうときに走り出すと、かえって目立つ。表通りは避け、闇市の立つ裏通りから、犯罪者の多いスラム街へ。そこから橋を渡って、宿無しや路上生活者が野菜みたいに転がる水路沿いを移動した。
「ここには憲兵も近づかないから」
ラコナンナたちに胡散臭さ気な目を向けたり、立ち上がろうとする貧民たちに、ラコナンナは仲間同士でしか通用しないハンドサインを使って道を開けてもらう。
スラム街を抜けて、水路から離れた大通りに出た。
こちらには憲兵隊の姿は見えない。が、それが果たしていつまで続くか。
店に入っての食事は難しい。となると、闇市で材料を買って、下水溝で調理するしかない。が、水路にそって重点的に憲兵が捜査しているとなると、どこか別の場所に隠れるべきか。
どこかに上手く隠れることができたとして、いつまで逃げ切れるだろう? そして、捕まってしまったサレジナを助けることは出来るのだろうか?
いま必死になって憲兵から逃げているだけの自分を思うと、逮捕されたサレジナを助け出すなどということは、夢のまた夢としか思えない。
では、諦めてガルガンナック城塞に帰るのか? いや、ここで逃げ出しても、やがて追っ手は迫ってくるだろう。
「どうする?」
ヤミヒに尋ねられても、ラコナンナにはただのひとつも回答の持ち合わせは無かった。
「あれ? どうしたの? こんなところで」
不意に声をかけられて、ラコナンナとヤミヒは二人同時に飛び上がった。
恐る恐る振り返ると、そこには……。
赤い燕尾服に革のテンガロンハット。天パの茶髪にタレ目の長身。腰に二本差しの男が立って、目を丸くしていた。手には買い物した野菜のつまった紙袋。
「おっさん……」
ラコナンナの声は掠れていた。そして、思わず叫んでしまった。
「おっさん!」
駆け出し、タックルするみたいにおっさんに抱きついた。
「ちょっ、……なに」
おっさんがよろけ、紙袋を落としそうになって慌てて抱え直す。
ラコナンナは自分でも訳が分からずに泣き出してしまった。
「おっさん! おっさん!」
何を言っていいのか分からず叫び続ける。
ぼろぼろと涙がこぼれ、わあわあと泣き声が喉をついて吹き出す。
はっと気づくと、ヤミヒもおっさんに抱きついていた。
その顔は、泣いてはいないが苦しそうに歪んで、眉間に深いシワが寄っている。
ヤミヒも辛かったのだ。ラコナンナが守ってあげねばならなかったのに、それができず、逆にヤミヒがラコナンナのことを守っていた。
あたしは、楯の乙女として失格だ。あたしがみんなを守らなきゃならないのに。本当はあたしがサレジナさんも守るべきだったのに。
あたしは最低だ。最低の盾乙女だ。
「ごめん、おっさん」
ラコナンナはおっさんを押しのけるように、身体を離した。
ぐいと肘で涙を拭い、ぎゅっと唇を引き結ぶ。
「ちょっと取り乱した」
「おお、そうか」
何が嬉しいのか笑顔を見せたおっさんは、さもでかしたと言わんばかりにうなずいた。
「で、二人ともこんなところでどうしたの? せっかくだから、時間あるならうちの工房に寄ってかない?」
「え?」
ラコナンナはヤミヒと顔を見合わせた。
おっさんの工房は、裏通りにちょこんと小さい入り口のある小ぶりなお店だった。ドアの横には「刀剣鍛冶」の看板がかかっている。
ドアを入るとせまいカウンターがあり、そこで注文を受けるのだろうが、カウンターの上にはホコリをかぶった書類や工具が積み上げられていて、使用されている痕跡がまるでない。
その奥が板の間で、中央に囲炉裏がある。小さい戸棚や箪笥が並び、座布団が並んでいる。ここが生活スペースで、その奥が工房。
工房は土間になっていて、炉があった。本職が鍛冶屋だから、ここでトンカンするのだろう。今は炉に火は入っていなかった。
おっさんの説明だと、入手したオリハルコン鉱石を鉄と混合して鋼として製鉄するらしいのだが、混合比とかが分からないので、少量つかって製鉄し、ためしにナイフを作ってみる計画だそうだ。
だから、今年の「聖剣祭」には出ないらしい。
「三日後だよね」
ラコナンナは壁のポスターを指差す。
「そう。でも、三日じゃ聖剣なんて打てないよ。製鉄だって間に合わない。研究する時間も必用だから、出るのは来年でも難しい」
「先が長い話だね」
「聖剣なんて、一生に一本打てれば本望だよ。そういうもんさ」
「あの、おっさん。実はあたしたち、憲兵に追われていて……。だから、ここにあまり長居するわけには……」
「え? なんかしたの?」
「うーん、心当たりはないんだけれど、サレジナさんの話では、あの人昔ここでいろいろやらかしたらしくて……」
「そんなんで、憲兵なんて動かないでしょ。あいつら基本、仕事しないから」
おっさんは部屋の隅に置かれた茶櫃を持ち上げた。
「まあ、ゆっくりお茶でも飲みながら、話を聞こうか」
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