第18話 王都の地下水路
はっと目覚めた。
反射的に毛布の中に抱いて寝ていたバスタードソードの柄を摑む。
おっ、あたしもおっさんのレベルにちょっと近づいたか?とほくそ笑むのも一瞬、サレジナの鋭い声が耳に突き刺さる。
「早く行け! 憲兵隊がくる!」
ラコナンナは毛布を跳ね飛ばして飛び起きた。
靴は履いている。必要最低限のものだけ枕元に置いておけと言われていたので、銀貨袋と円盾をひっ摑んで窓に走った。下の通りはすでに憲兵隊で溢れていて、彼らの制服で青一色だ。これでは、とてもとても逃げられたものではない。
「あいつらはわたしが食い止める。例のルートで脱出を」
サレジナが扉の前にたち、こちらを振り返る。そのタイミングで外から扉がどんどんどんと乱暴に叩かれた。
「こちらをお開け下さい!」
男の厳つい声が扉ごしに響く。
「姫様、お迎えに参りました」
「いや、でも」
ラコナンナは躊躇した。ここでサレジナ一人残して自分たちだけ逃げても仕方ない。それに、根本的になぜ自分たちが憲兵隊に包囲されているのか?
「姫様って言ってるから、もしかしたら人違いかもしれないし……」
「いいから行け」
振り返るサレジナの紅い目は怒りに燃えていた。
「捕らえられたら、二度と太陽の光は拝めないぞ。行くんだ!」
その声が狂気に裏返っている。
ラコナンナは決断した。
「ヤミヒ、こっち」
まだ眠そうに目をこすっているヤミヒの手を引き、その手にウォンドを握らせて窓に走る。
「行くよ。寝る前に決めたルートで逃げるから」
「……マジですかぁ」
アクビしながら顔を猫みたいにこすっているヤミヒを引っ張って、窓枠の外に出た。
「あそこだ!」
下の通りから憲兵の声が上がる。黒い顔がいっせいにこちらに向けられ、大量の白い目全部がラコナンナを睨む。
「こっち」
ヤミヒをひっぱって外屋根の上を走り、壁際の雨樋に手をかける。
「あたし、スカートなんだけど」
ぶつくさ言うヤミヒを置いて、とにかく自分が上る。
さすが王都の雨樋は頑丈だ。ラコナンナ一人よじ登っても、ビクともしない。
「早く。スカートだから、あんたのだっさいパンツで憲兵隊も悩殺されて、きっと追ってこないよ!」
とにかく下にいるヤミヒを叱咤して雨樋をよじ登らせる。
ひとつ上の屋根まで這い上がり、そこから裏通りへ。屋根を伝って移動するが、ここは三階。飛び降りるのはちょっと無理な高さ。
しかも、すでに憲兵隊が左右から走って来ている。ここで降りても、捕まるだけ。
「どうするんだっけ?」
やっと目が覚め始めた様子のヤミヒを引っ張って屋根の上を走る。
「安心して。すぐに思い出すから」
からからと屋根タイルを鳴らして走る。目が覚めたヤミヒも走ってくれているので、速度が上がる。
屋根の上を走り、隣の建物の屋根へ飛び移り、それを二回繰り返す。
「え、あれなの?」
ヤミヒが奇声を上げた。やっと思い出したらしい。もっとも、行く手のそれを見れば、だれでも気づくだろうが。
「あったりまえよ。行くよ!」
ラコナンナはヤミヒの手を引いて強引に軒先から跳躍した。距離が足りないと大怪我する。だから、絶対に飛び込む!
彼女の気合が、二人の身体を空高く投げ上げ、放物線を描いて落下。そのまま、勢いよく水路の中に飛び込んだ。
着水の衝撃と同時にゴボゴボという無音の感覚。息を止め、手足をばたつかせて、水面を目指す。溺れかけているヤミヒを引っ張って、光指す水面の向こう側へ急浮上した。
ぶはっと息を吐き、となりで咳き込んでいるヤミヒを引っ張って水路の中央へ。ここは水の流れが早い。
低い位置から見上げると、追いついてきた憲兵隊が大勢でこちらを指さしている。何人かが報告に走り、何人かが警戒に。だが、水路に飛び込んで追跡しようとする者は皆無。
あいつらは命令がないと勝手なことはできないから、と言っていたのはサレジナだ。その通りだった。どうやら憲兵は水路に入るにも許可がいるらしい。
ラコナンナとヤミヒは、半ば水流に流されながら、ゆっくりと下流に移動しつつ、対岸を目指す。この水路は大きい。水は妙に温かい。対岸に着く前にかなりの距離を移動して、憲兵隊を撒くことができるだろう。
「どうしよう……」
下着姿のラコナンナは、絶望したように左右を見回した。
水路のかなり下流、護岸の上で着ていた服を絞っていたラコナンナは、銀貨のつまった革袋がないことに気づいたのだ。
宿を飛び出す時はたしかに持っていたから、途中で落としたに違いない。
屋根の上で落としたのなら、まだそこにありそうだが、水路の中でおとしたのなら、回収は絶望的だ。
「全財産だったのに……」
すべてを失ってしまった。これでは明日から……いや、今からどうやって生きていけばいいのか分からない。
「財布もないの?」
ヤミヒが冷静に質問する。事務官の取り調べ口調が、なぜか今はありがたい。
「財布はある。だけど、小銭だけだよ」
「だったら、銀貨は諦めよう。どうせ宿には泊まれないし、今は服を着て逃げるのが先決」
「そうだけど。あの銀貨で豪遊するつもりだったのに……」
「銀貨があってももう豪遊はできない。今はとにかく捕まらないことが大事。お金はまた稼げばいい」
ラコナンナは沈黙した。
そうだ。ヤミヒの言う通りだ。いまは豪遊している場合じゃない。捕まったサレジナを助けることを考えるべき。そして、そのための第一弾はラコナンナたち自身が逃げ延びること。
三人揃って牢獄に繋がれたって、なんにもならないのだ。
「よし」
ラコナンナは足元に放り出していた円盾を見る。これがあれば、だいたいのことは何とかなる。
「服を着て移動しよう。このまま下流へもう少し行く」
「下流へ行って、そのあとは?」
「このあたりは知っているんだ。いい隠れ家がある」
ラコナンナは任せてとばかりに、胸を叩く。
「隠れ家カフェ、みたいな?」
「いや、思いっきり隠れ家。秘密基地」
「それは、期待できるね」
ヤミヒがにへらーと笑った。
服を着た二人はそのまま護岸沿いに水路を下る。このあたりにくると、下水の流れ込む水路の水は汚く、悪臭を放っている。ヤミヒは不快そうな顔をして口呼吸に切り替えているが、ラコナンナにしてみれば、このドブの臭いは妙に懐かしい。
このあたりは護岸も広く、堤防も高い。水路をのぞき込む人間がいれば別だが、そうでもしない限り、ラコナンナたちの姿は人に見られる心配はない。しかも、こんなドブ川、のぞき込む人間なんていないのだ。
やがて、妙に水が透き通ったエリアにでる。
ここが目印だ。
「ああ、ここだ。ここだ」
ラコナンナは懐かしそうに周囲を見回す。
八つの巨大な排水口がぽっかりと口を開け、そこからかなりの勢いで下水が水路に流れ込んでいる。
あちこちにゴミが浮き、水の淀んだ場所には枯れ草が山となっている。雨が降ったあとなどは水没してしまうエリアだが、いまなら排水口の中へ濡れずに入ることができる。
「こっち」
ラコナンナはヤミヒを排水口の中へ誘う。巨大排水口は、地下迷宮ブブルの坑道よりも広い。その大きさ、王都の大通りを凌ぐ。それほどまでに、大都市の排水量は膨大なのだ。
「ちょっと、だいじょぶなの?」
心配そうについてくるヤミヒは、ウォンドを翳して鬼火の魔法を発動させた。
「だいじょうぶ。この奥は少し明るいから」
路上の排水口から光が差し込むのだ。それが壁の光苔と反応して、この排水口の奥は少し明るい。
六つある排水口のうち、このひとつだけが、妙に水が清らかだ。そして、この奥に洪水時に一時的に水を貯めるためのスペースがある。
「あたしは、王都の貧民の子でさ」
ラコナンナは自分の出自をヤミヒに語った。
「この水路を流れてきた捨て子だったんだ」
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