第28話 月芍薬に酔う

 杯を差し出すと、小龍シャオロンは器用に中身を注ぐ。使用人としてこき使われていたからなのだろうが、気の利く童僕ボーイのようだ。

(ふむ)

 注がれた中身の量もちょうど収まりのいい一口分である。

「さすがじゃの、小龍」

「こういったこまごましたことであれば、僕にお任せください。侍女に代わってお目覚めからお休みまで、蓮花リェンファ様をしっかりお世話いたしますよ」

「それは遠慮する」

「では、肩をお揉みいたしましょうか? ずっと皆の酒を受け続けて、お疲れでしょう。僕、指圧は得意なんです」

(よくもぬけぬけと)

 先日、馬油バーユを使って良からぬ真似をしたのを忘れてはおらぬはずだ。にもかかわらず、屈託のない笑顔でこのようなことを言ってのける。

(この面の皮の厚さは、宮中で通用しそうではあるが、な)


 次に表れたのも、よく知る顔だった。

リン俊豪チンハオ

 名を呼ぶと、ぱあっと表情を明るくさせる。

(ずいぶんと可愛いらしくなったものよ)

 初日から押し掛けた時は、図体の大きいふてぶてしい男だと思ったが。

 大きく武骨な手で酒器を傾ける。勢いよく注がれた酒は、あと一歩で酒杯から零れるところだった。

「す、すんません! 俺、細かいことは苦手で」

「よい」

 少し多めに注がれた酒に私は口を付ける。

「細かいことは苦手でも、力を使うことなら得意であろう?」

「それは勿論」

 俊豪は陰影の浮かぶ太い腕を、ぐっとこちらへ見せる。

「ふふ」

 私は指先で、血管の浮かんだごつごつした腕をそっと撫でる。俊豪が目を見開きびくりと身をすくめた。

「見事なものじゃ。猟師をしていたと言っていたが、何を狩ったことがある? 鹿か?」

「鹿もですし、猪や虎もあります」

「なんと、虎とな?」

 面首たちの間にざわめきが起こる。

「と言っても、虎は二回ほどですけど」

 本人は謙遜しているつもりのようだが、昨日、彼の筆跡を笑った面首たちが顔を強張らせている。

(これで、俊豪を嘲笑うことはなくなるであろう)

「蓮花様」

「なんじゃ、俊豪」

「お慕いしております」

 あまりにも真っ直ぐな俊豪の言葉に、思わず息を飲む。面首たちの間からもどよめきが起きた。俊豪の目に照れや邪なものはない、真剣そのものだ。

「俺、蓮花様のためならこの腕を存分に振るうんで。蓮花様もこの体を好きに使ってやってください」

(これは、なんとまぁ……)

 思わず笑いがこぼれる。

「傑倫がもう一人増えたようじゃ」

 その途端、場の空気が微妙なものとなった。

「? どうした?」

 複雑な表情を浮かべる面首たちの中、俊豪が叫んだ。

「右丞相様の代わりでもいいんで! いつでも俺をお呼びください!」

「う、うむ」

 一体どうした。


 面首たちから一通り杯を受け、私たちはともに食事を楽しむ。

(鴨肉の脂が美味い!)

 脂で胃もたれを起こすようになってからは控えていたものが、今はすいすい飲み込める。

(若い体は、楽しみの幅が広いのぅ)

「蓮花様」

 面首の一人が、小さな皿を手に近づいてきた。上にはかしが一つ乗っかっている。

 中性的な顔立ちの男だ。名はユエン星宇シンユー。官服を纏った姿がまるで男装の麗人のようで、えも言われぬ独特の雰囲気がある。

「どうぞ、蓮花様。お召し上がりください」

「ふむ」

 差し出されたものを手に取る。

「見慣れぬ酥じゃのぅ」

「はい、私めが蓮花様のために手ずから作りました」

「そちが?」

 大丈夫であろうか。確かこの者は、町医者の下で薬を扱っておったはず。

「何か仕込んではおるまいな?」

 冗談めかして酥を軽く振って見せると、星宇はおかしそうに目を細めた。

「仕込んだかと問われれば、薬膳効果のある果実はお入れいたしました。体内の毒素を排出し、冷えを解消いたします。蓮花様のご健康のために、と」

(冷え解消、のぅ)

 かつて「冷えを解消するツボ」を押したと弁明した面首がおったな。馬油を塗りながらな。

「これ一つか? 皆には配らぬのか?」

「その酥は一つきりにございます。蓮花様のためだけの酥でございますので」

 先に誰ぞに毒見をさせようと思ったのじゃが。

(まぁいい。全員が揃っている場所でよからぬ真似をできる者もおるまい。それにこの酥で何か起これば、犯人は明白じゃ。皆で取り押さえてくれるであろう)

 私はさくりと歯を立てる。

「美味いな」

「ありがたきお言葉にございます」

 生地は甘さ控えめだが、果実の風味でちょうどいい塩梅となっている。果実の甘酸っぱさが前面に出て来たかと思えば、淡白な生地がそれを抑えてくれる。単調に感じ始めたのを見計らうように甘酸っぱさが追いかけてくる。

「薬を扱う者と聞いておったが、料理の腕も相当であるな」

「ただ蓮花様のお体を思いながら、作り上げました」




(さて、そろそろ私は部屋に戻るか)

 そう思い、腰を上げかけた時だった。

「うぅむ」

 軽い呻き声と共に、一人の面首がひっくり返った。


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