第22話 気持ちの変化

 佩芳ベイファンはここまで真摯に、後宮の文化史編纂に携わってくれている。ならば協力しないわけにもいかぬだろう。

「ついて来るがよい、佩芳。香と共にあれらの思い出をひとくさり語ってやろうぞ」

「……ありがとうございます、蓮花リェンファ様」


 ■□■


 作業の手を止めた俊豪チンハオの元へ、小龍シャオロンが歩み寄ってきた。

「どうしたの、俊豪? 疲れちゃった?」

「あぁ、クタクタだ。こういう頭使う作業は向いてねぇ」

「でも、さっき蓮花様に誉められてたよね。三月みつきでこの上達はすごいって」

「あぁ……」

 俊豪は墨で汚れた手で顔を覆い、大きく息をついた。

「あんなん、反則だろ」

「反則?」

「……可愛すぎる」

 俊豪は顔から手を離す。その瞳は熱を持って潤んでいた。

「俺よぉ、この仕事に勧誘された時に思ったんだ。出世できんなら老境に達した女を抱くぐらい、いくらでもやってやるって。心にもない甘い言葉を連ね、機嫌を取ってのぼせさせて、それを踏み台にして成り上がってやろうって。けどさ、あの人は学のない俺を馬鹿になんてしなかった。それどころか、褒めてくれた」

「だよね」

 小龍も長い睫毛を伏せる。

「僕も棒で打たれていた話をした時、すぐに傷跡が残ってないか心配してくれたよ。そんなことしてくれる人なんて、これまでいなかった」

 小龍は照れくさそうに笑う。

「僕も同じさ。話が来た時に思ったのは、太后陛下をたらし込めば出世が見込める、今の使用人生活から逃れられる、ただそれだけだった。でも実際に見たら、めちゃくちゃ可愛かったわけだろ。あぁ、これなら楽しみながら誑かせると思ったんだ。けど……」

 先程蓮花の触れた前髪に、小龍はそっと触れる。

「あのお方は、優しい」

「あぁ」

 俊豪は官服の胸元を掴む。

「正直、惚れた」

「同じく」

 二人はくすくすと笑い合う。

「気に入られたいってのは今も変わらねぇ。手に入れたいし、抱きてぇとも思う。けど、それ以上に蓮花様を大切にしてぇ」

「わかる」

 小龍は一つ頷く。その瞳には強い光が宿っている。

「俺たち面首は、蓮花様を抱くために集められた。けど、殆どのやつらは以前の僕ら同様、ただ自分の出世のために蓮花様をものにしたいと考えている」

「そんな奴らから、蓮花様を守ってさし上げてぇよな」

 俊豪と小龍は頷きあい、そして室内を見回し蓮花の姿を探した。

「んぁ?」

 小龍ももう一度ぐるりと見回す。

「蓮花様のお姿が、ない?」

 机の一つ、書き上げた書が山と積まれたところに人影ないのに二人は気付いた。

「これは、コアン佩芳ベイファンの席だね」

「あの堅物眼鏡、どこへ行きやがったんだ?」

 一呼吸おいて、二人はハッとなる。

「まさか蓮花様と!」

「共にいるのか!?」


 ■□■


「ここが『嶺依リョウイ』の部屋じゃ」

「ほぅ」

 室内を見回しながら、佩芳は『嶺依』と書かれた小箱の香へ、クンと鼻をうごめかす。

「とても甘い、刺激的な香りでございますね」

「で、あろうな。化粧の濃い、派手好きの女であったわ」

 当時はそりの合わぬ相手だと思っていたが、今となっては懐かしい。

「先帝亡き後、蓬莱宮ここへ送られてきてからはかしをもりもり食すようになり、どんどん横幅が増えていったな。元々太りやすい体質であったのを、先帝に気に入られるために我慢しておったのであろう」

「なるほど。この香の強い甘さは、酥を彷彿とさせる部分もあります。香を作られた方は、そこまで見抜いておられたのでしょうか」

「さて、どうであろうな」


 練り香と同じ名の后妃の部屋を一つ一つ佩芳と共に回る。腹立たしい思い出もあれば、心の温かくなる思い出もある。皆、先帝の愛を競った相手ゆえ、諍いの思い出が圧倒的に多いのだが。

 それらを一つ語るごとに、佩芳は真摯な眼差しで手元の紙に書きつけていった。

(勉強熱心な若者よの)

 先帝の愛を掴み取ることしか考えられなかった私の目に、それはとても新鮮に眩しく見えた。

「ふむ」

 佩芳は最後の小箱を手に取り眺めた。

「先ほどのものとは別に、蓮花様の名を冠した香がもう一つございました」

「なんと!」

 佩芳の手にある箱に目をやる。他の箱より一回り大きい。

「『蓮花受寵香』?」

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