第17話 してやられた

 露骨に雲行きが妖しくなっている。小龍シャオロンに指圧をやめさせねばと、口を開きかけた時だった。


蓮花リェンファ様」


 扉の向こうから、低く甘い声が飛んで来た。

傑倫ジェルンか」

 聞き馴染みのある声に安堵を覚える。

「はっ。部屋に入ってもよろしいでしょうか」

「許す」

 早く助けに来てくれ、と言いたいのを胸の奥に押し込んだ。


 傑倫が入って来ても、小龍は私の手への指圧をやめなかった。

「小龍、ここで何をしている」

「はいっ、蓮花様を心地よくして差し上げていました」

 小龍はにこやかに屈託なく返す。そこに後ろめたい様子は微塵もない。

「蓮花様のお疲れを癒したく思い、控鷹監こうようかんで教わったツボ押しをしておりました。今は、冷えを解消するツボを刺激していたところです」

「そうか」

 傑倫がちらりとこちらに目をやる。そして私の表情から気持ちを察して頷くと、制止するように小龍の肩へ触れた。

「そこまでだ、小龍。蓮花様は十分にご満足されたようだ」

「そうなんですか?」

 小龍はぴょこんと立ち上がると、あどけない顔を無邪気にほころばせる。

「良かったぁ、蓮花様に喜んでいただけて!」

「あ、あぁ」

 先ほど目にした、艶めかしい表情は見間違いであったろうかと困惑する。


「小龍」

「はいっ、なんですか、ジャオ丞相じょうしょう様」

「蓮花様のお部屋へ勝手に押しかけてはならぬと、教えたはずだが」

「あっ、すみません! でも……」

 小龍がこちらを見る。

「蓮花様がお茶に誘ってくださったので」

「本当ですか、蓮花様」

 傑倫のやや硬い声に、私は咎められた気持ちになってしまう。

「それは、まぁ。この宮殿の掃除を手伝ってくれていたのでな、褒美として茶の一杯くらいは、と」

「……そうですか」

 傑倫は静かに息を吐く。

「小龍、蓮花様の宮の内に立ち入ってはならぬ決まりだ。面首全員が同じことをすれば、どうなる?」

「でも僕は、ただお掃除をして差し上げたくて……」

「掃除も今後は禁止とする。それは侍女の仕事だ。面首が入って来ていいのは、宮の石段の前までだ」

「……はぁい」

 叱られた子犬のように、小龍はしょぼんと肩を落とす。

「蓮花様と共に過ごしたい気持ちは痛いほどわかる。しかし、決定権は蓮花様にあるのだ。お前たち面首ではなく」

 傑倫の厳めしい声は続く。

「お前たちに許されるのは、蓮花様の訪れを大人しく待つことだけだ。控鷹監から追い出されたくなくば、二度とこんな真似をするな。わかったな」

「わかりましたぁ」




 小龍が出ていくと、私はほっと息をついた。

「来てくれて助かったぞ、傑倫」

「それは良ぅございました」

 そう言いながらも、傑倫の声はまだ硬い。

 小龍の行動に怒っているのかと思い、私はとりなしを図る。

「小龍はわらわの身を案じて指圧を行っただけじゃ。あそこまで厳しく言わなくても良かったのではないか?」

「蓮花様、まさか本気でそう思っていらっしゃるのですか?」

 傑倫が私の正面に立つ。そしてスッと跪くと、視線を合わせた。

「あの指圧は、女人の体を昂らせる技術です。わたし房中術ぼうちゅうじゅつの一つとして指南しました」

(なんと!)

「故に、邪な意図が全くなかったとは思えませぬ。あの男は、ほぼ間違いなく狙ってやっております」

 傑倫の真っ直ぐな視線が、私の心の奥まで貫く。

「蓮花様、御身を大切に。今の蓮花様は、彼ら面首どもと無邪気に楽しむわけにはいかぬのですから」

「わかっておる」

 うっかり身を重ね、陽の気を受けてしまえば、子どもの体になってしまうことくらい覚えている。

「蓮花様、やはりすぐにも控鷹府は閉鎖し、彼らを追い出すべきではないでしょうか」

「……」

 そうしたい気持ちはある。だが、彼らがこれまで費やしてきた時間を思えば、今すぐと言うのはあまりにも大勢の人間を振り回し過ぎだと感じた。


「余計なことを申しました」

 私の表情から、傑倫は心の内を察してくれたのだろう。あっさりと持論を撤回する。

「それでは、臣はこれで」

「傑倫」

 部屋から出て行こうとした嬖臣へいしんを、私は反射的に呼び止める。

「いかがなさいましたか」

(あ……)

 振り返った傑倫を目にした瞬間、胸の奥から甘く切ない衝撃が付き上げる。これが小龍による、女人を昂らせるツボの効果だろうか。

 妙に胸が高鳴る。体の芯が熱い。このまま彼を部屋に引き留めてしまえば、あらぬ欲をぶつけてしまいそうだ。傑倫にはすぐにも視界から消えてもらった方がいい。

「なんでもない、下がれ」

「はっ」


 傑倫が扉の向こうに消えると、私は大きく息をついた。

(まったく、小龍の奴め。おぼこい振りをして油断ならぬ男よな)

「蓮花様」

 立ち去ったとばかり思っていた傑倫の声が、扉の向こうから聞こえて来て、思わずびくりと身をすくめる。

「な、なんじゃ」

「すぐに火照りを抑える、冷製の薬膳スープを侍女に持たせます。しばしのご辛抱を」

「う、うむ」

 今度こそ立ち去る足音を確認し、私は架子床ベッドへ倒れ込んだ。

(火照りを抑える薬膳湯か……)

 傑倫は今、私の体がどういう状態か見抜いていたのだ。

(恥ずかしい……)

 面首にまんまとしてやられた自分が、情けなかった。

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