第11話 面首の手腕と思惑

 木陰のこしかけへ、私は俊豪チンハオと並んで座る。

「しかし、そちの手は……」

 言いかけたところで、突然俊豪が慌てて手を引いた。

「申し訳ございません! 痛かったですかね?」

「? いや……」

 先程まで自ら手を重ねていたくせに、俊豪は急に恥ずかしそうに自分の手を隠してしまう。

「俺の手、家業で結構荒れてて、他の奴らみたいにすべすべしてないから。蓮花リェンファ様を痛い目に合わせるかもしれないから気を付けろって、最初の日に注意を受けたんですよ」

「そうなのか?」

「はい」

 大きな身を縮こませる彼に、可愛らしさと可笑しみを感じた。

「何の仕事をしておったのじゃ?」

「猟師にございます。野山を駆け回り、獣を弓矢にて射抜き、生活をしておりました」

 視線を落せば、浅黒く艶やかな逞しい腕には、血管が浮き上がっている。

 なるほど。彼のこの腕は、弓を引くことで作り上げられたものだったか。

「安心せよ、痛くはなかった。むしろ、このように武骨で筋張った手が、これほどにすべやかなものかと驚いたくらいじゃ」

「ほ、本当ですか?」

「うむ」

 私の言葉に、俊豪は嬉しそうに歯を見せる。

「良かった、頑張った甲斐がありました」

「頑張った? 何をじゃ?」

「手入れです。朝晩、薬草を煮出した湯でよく洗い、馬油バーユ沙棘サジーの脂を丁寧に塗りこめました。太監様より、これで何とかせよと言われて」


 まるで后妃の行う肌の手入れではないか。馬油や沙棘の脂は、私も先帝がいつ触れても良いように、日夜素肌に塗り込んだものだ。

(考えてみれば、彼らは私にとっての后妃みたいなものだからの)

 先帝の愛を他の后妃たちと競っていた頃の自分を思い出し、微笑ましくなる。

わらわのために、準備をしてくれたのじゃな」

「はい」

 自信を得たのか、俊豪は私へぐっと体を寄せて来た。

「……手だけではございませぬ」

 俊豪の低い声に、不意に艶めいた甘さが加わる。

「蓮花様がお望みの時に、お望みの場所へ触れてよいように、この体の全てを整えております」

 雄を感じさせる声に、耳元がぞわりとなった。

(望む時に望む場所を?)

 思わず視線を彼の体へ走らせてしまった。触れてみたい、と言う欲望が湧きあがる。服の上からでもわかる俊豪の逞しい体つき。ほのかに漂ってくる、官能的な香り。

「どうぞ、今すぐにでもお試しください」

 試す? 試すと言うのはやはり……。

 俊豪がはらりと衣を取り払う様を想像する。その姿が、傑倫のものと重なった。

「いかん!」


 私は慌てて立ち上がる。

「蓮花様?」

 虚を突かれた顔つきで、俊豪はこちらを見上げていた。

「妾は散歩をするとしか聞かされておらぬ」

 強めの口調で返すと、俊豪は慌てたようにその場に這いつくばった。

「申し訳ございません。あまりにも蓮花様がお美しく、気がはやってしまいました。どうかご無礼を許しください!」

「良い、立て。じゃが、今日のところはこれまでじゃ」

 私はきびすを返し、侍女たちを引き連れ自分の宮殿へと急ぎ足で戻る。


(危なかった……!)

 正直に言おう。危うく流されるところであった。

(次に男の陽の気を受ければ、九歳じゃぞ!)

 脳裏に浮かんだ傑倫ジェルンの姿に救われた。

(しかし、控鷹監での養成とは恐ろしいものじゃ。あんなに自然な形で、睦事になだれ込もうとするとは)


 ■□■


「はー、初日にいきなりはやっぱ無理かぁ」

 立ち上がった俊豪は、膝についた砂を払いながら不敵に笑う。

「でもまぁ、手応えとしちゃあ悪くなかったよな」

 きちんと手入れの行き届いた指先で、頭の後ろをガシガシと掻く。

 その逞しい肩に、固いものが触れた。

「あん?」

 振り返った先にいた人物に、俊豪はぎょっとなる。

「げっ、ジャオ丞相じょうしょう様……!」

『控鷹府』の最高責任者が、厳しい眼差しを自分に向けている。肩に触れているのが、鞘に収められたままの傑倫の剣だと気付き、顔色を変えた。

「えっと、右丞相様? 俺、割と頑張りましたよね? ちゃんと控鷹監での教えを守って、太后陛下を優しく扱いましたよね?」

「そうだな。だが、いささか性急に見えたのでな」

 傑倫の目に、刃にも似た鋭い怒りが潜んでいる。

「太后陛下にはもっと敬意を表し、丁寧に優しく、大切に接しろ。さもなくば、その役を免じるぞ」

「わ、分かりました!」

 俊豪は一礼し、そそくさと控鷹監へと戻ってゆく。


 その姿が見えなくなると、傑倫は剣を腰に戻し、衣の胸元をぐっと握りしめた。

「……この程度で動揺するとは」

 傑倫は振り返り、主のいる宮殿へ切なげな一瞥をくれる。そして深々と一礼すると、蓬莱宮を後にした。


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