第7話 あの頃の姿

蓮花リェンファ様」

 傑倫ジェルンは私の前へ恭しく頭を下げる。

わたしのお召しは、昨夜が最後と言うお話でしたが」

「傑倫……」

 これまで自ら名乗りを上げ、老いた身に嫌な顔一つせず奉仕してくれた忠臣だが、やはり太后の希望と割り切り仕方なく行っていたのだろうか。ようやく苦痛から解放されると思いきや、しつこく私に誘われ、今、迷惑をしているのだろうか。

(あぁ、きっとそうだ。立場が逆であれば、私とて……)

 胸の奥が、ツキンと痛んだ。


「いえ、違うのです、蓮花様! そうではなく」

 私の心中を察してか、傑倫は慌てたように声を張り上げる。なぜか切なげな眼差しをこちらへ向けて。

「明日には控鷹監こうようかんでの育成を終えた若い面首めんしゅたちが、蓮花様に最上の時間と奉仕を捧げに参ります。今更、臣のような四十近い男など……」

「言うてくれおるわ」

 ちりりと胸が焼ける。

わらわなど七十を超えておるが?」

「! 申し訳ございませぬ」

 傑倫は勢い良く頭を下げる。

「今の蓮花様は、臣より年若く見えますれば、口が滑りました」

「……」


 私は傑倫へ背を向ける。

「嫌がる者に強いる気はない。下がれ」

「蓮花様!」

「そちの忠心のおかげで、このように若い姿を取り戻すことが出来た。その褒美のつもりであったが……」


 違う、私は彼に見せたかったのだ。

 傑倫と並んでも引け目を感じぬ姿になった私を。

 齢周りの釣り合いが取れるようになった私を。


「かつて皇帝の寵を一身に浴びた美しかった頃の妾であれば、そちのこれまでの忠誠に報いられると思うたが。とんだ思い違いであったな。あぁ、恥ずかしい」

 次の瞬間、背後からきつく抱きしめられた。


「傑倫」

「蓮花様、御無礼をお許しいただきたい」

 逞しい腕が、私の胸元を締め付ける。

「どうか誤解なさらないでください、臣は……」

 温かな吐息が耳朶をくすぐる。

「蓮花様のことはこの世で最もお美しいお方だと思っております。今のお姿は当然ながら、以前のお姿も」

「口の上手い」

「思ってもいないことを口にできるほど、臣は器用な人間ではありませぬ」

 わかっている。だからこそ私は彼に信用を預けているのだ。

「傑倫」

「は」

「……陽の気を捧げよ」

「かしこまりました」

 私たちは向かい合い、互いの背に手を回すと架子床ベッドへと倒れ込んだ。




「ほぁああぁああ~~っ!?」

 翌朝、私の目を覚まさせたのは頓狂な叫び声であった。

「……なんじゃ、今の声は」

 瞼を開けば眼前には、まなじりも裂けよとばかりに目を見開き、口をわななかせている傑倫の顔があった。昨日に続き、またも見たことのない表情をしている。幽鬼すら恐れぬ男が、こんな顔をする日が来るとは。


「どうした傑倫、そのように驚い……」

 そこまで口にして、頭の芯がキンと冷える思いがした。

(まさか……!)

 私はガバリと身を起こし、自らの頬に両手でぺたぺたと触れて確かめる。奇跡の若返りは昨日一日限りの儚い夢に終わったか、そう思ったのだ。

(ん? んん?)

 しかし、てのひらの下の肌はすべすべもちもちとしている。昨日よりもさらに調子がいいくらいだ。いつものように手の甲を朝の光にかざす。陶器のように滑らかな肌が、キラキラと朝陽を跳ね返した。


「なんじゃ、傑倫。妙な声を出しおって」

 ん? 気のせいか、また声が少し高くなったか? 昨日より澄んでいるようにも思える。

 一つ咳払いし、傑倫を振り返る。

「てっきり老いた姿に戻ってしまったかと、肝を冷やしたぞ」

 その言葉が終わらぬうちに、傑倫は飛び掛かるようにして私にサンを頭から被せて来た。

「な、何をする、傑倫!」

「い、いいから着てください! それを、早く!」

 何をそんなに焦っているか分からぬが、ひとまず私は言われた通りに衫の袖へ腕を通した。

(うん?)

 胸の前を合わせようとして気付く。

(私の胸、もう少し大きかったような……)


「良いですか、蓮花様。気を確かにお持ちください」

 そう言う傑倫はまだ素裸のまま、狼狽えながら私の手鏡の柄を掴む。そして、ぶるぶる震えながら、それを差し出してきた。

(先に気を確かに持つのは、そちであろうが)

 呆れながらも、彼から手鏡を受け取った。

「落ち着いて息を整え、心してゆっくりと鏡の中をご覧ください」

「まだるっこしいのぅ」

 傑倫の助言を無視して、私は鏡へさっと目をやった。

「ヒュ!?」

 喉から笛のような音が飛び出す。


 鏡に映ったのは、まだ二十歳にもなっていない頃の私であった。


「こ……、れは……。い、いかなることじゃ……」

 昨日の姿の時点で相当若いと感じたが、今日の私はそれの比ではない。

「小娘では、ないか……」

 恐らく、後宮に入ったばかりの頃の姿だ。まだ先帝の目に留まることなく、『才人』という立場でツォン賢妃さまの偏殿へんでんで暮らしていた時代の……。

「まるで十八の頃の妾じゃ……」


 その時、身なりを整えた傑倫が「あ」と小さな声を上げた。

「どうした、傑倫」

「昨日は三十代、そして今日は十八……。蓮花様」

「なんじゃ」

「半分になっておられませんか?」

 半分?

 首を捻る私へ、傑倫は姿勢を正し空中に数字を書く。

「蓮花様は元々七十二でいらっしゃいました。昨日のお姿は三十代、ひょっとすると半分の三十六だったのでは?」

 なんじゃと?

「そして十八……、なるほど。三十六の半分と言うことになるな」

「左様にございます」


 傑倫は真剣な眼差しで私を見る。

「蓮花様は女道士の術にて、陽の気を受けるごとに若返る体になられたとのこと。これがその術の効果だとすれば、もしももう一度陽の気を浴びた場合……」

「十八の半分……、九歳!?」

 待て、確かに私は若返りたいと願った。だが、幼子になりたいわけではない。

「何たることだ……。えぇい、ファ青蝶チンディエめ!」

「うぃっス」

 返ってきた声に飛び上がる。思わず傑倫にしがみつき背後を振り返ると、ながいす胡坐あぐらをかいて座る女道士の姿があった。

「呼んだっスか?」

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