7-1 結衣
◇
冷たい蛍光灯の光。流れ続けるベルトコンベア。消毒液と、安価な油が混じり合った、独特の臭い。
深夜の食品工場。
右から流れてくるプラスチックの容器に、決められた量のポテトサラダを、決められた場所に乗せる。一日八時間、週に五日。ただ、それだけを繰り返す。
口を利くことはない。ここでは誰も私の名前を知らない。私も隣で働く人の名前を知らない。名もなき労働力。それでよかった。何も考えなくて済む。
感情を殺し、心を無にしていれば、一日は終わる。
白石結衣だった頃の、面倒な人間関係も、プライドも、ここにはない。
安息の地。…‥けど、心は無性に乾く。
◇
終業のブザーが全身に響き、つま先から頭まで突き抜ける。
タイムカードを切り、重い鉄の扉を押し開ける。深夜明けの冷たい空気が、汗ばんだ首筋にまとわりついた。
表口からは帰らない。
工場の裏手。生ゴミの酸っぱさと、機械油の臭いが混じり合う、コンクリートだけの空間。
壁に寄りかかって、待つ。
少しして、段ボールを捨てに来た従業員がやってくる。
シフト上がりの私を奇異の目で見る。
私はただ立っているだけ。
気に食わないなら、見なければいいのに。作業着の
背くふりして、釘付けだ。
私の服装は、どこにでも売ってる、色の褪せたベージュのポロシャツに、紺色のジーンズ。
工場の熱気で滲んだ汗を吸って、じっとりと肌に張り付けば、でっかいブラジャーの輪郭と、脇の下の段差が浮かび上がる。
シャツの裾から覗く、弛んだ腹の肉のたるみ。屈んでもいないのに、タイトジーンズのウエストラインに、恥も外聞もなく乗っかる柔らかさ。
太ももも、現役の頃より、でっぷりと育った。生地がビタビタに膨れて、尻を突き出したら破裂しそう。
作業着の股間があられもなく膨らむのが見えた。
目を見て、舌なめずりしてやると、誘導蛾のようにこちらへ来る。
やがて影が、二つ、三つと、闇の中から現れた。段ボールを捨てに来る、という名目で集まってくる、すでに手懐けた獣たち。
作業着姿の三人。
私と同じ、この工場で、心を殺して働く男たち。
一つ、大きなため息をついた。
そして、両手を後ろ頭で組む。挑発するように、がに股になった。
ズボンの上で弛んだ腹の贅肉を、ぷるん、と揺らして見せた。
男三人が、自らの熱を必死に慰める。
何本もの節くれだった指が、まるで私の身体をまさぐりたいと願うように。浅ましくも、優越的な光景。
私はゆっくりと、腰を回す。
ざらついた普段着が肌を擦る。お腹まわりの過剰に張った感触。ゴミと、汗と、油と、そして、抑えきれない雄の欲望が混じり合った、むせ返るような悪臭がこの空間を支配していく。
鏡で見るたびに発狂しそうになる、贅肉まみれの致命的な身体。
世間でいうムチムチを遥かに超えてしまった。全身の弛んだ贅肉が、腰の動きに合わせて、情けなく、いやらしく揺れる。
少し動くだけで発汗する有り様は、元ママの、顔だけはモデル並に細いのに、ほかは豚のようだった身体を彷彿させる。
もう元の細さに戻れそうにない。この工場のクソみたいな給料じゃ、体型を維持する金も、気力もない。
それでも、元ママ譲りで、腰のくびれだけは、くっきりと浮き上がる。どうしようもなく、雌としての機能に特化した身体。
そして、実体験で知っている。
男っていうのは、こういうだらしなくて、生活に疲れた肉のほうを、かえって好むんでしょ?
摩擦で焼けそうだなって思えるくらい、夢中になって肉を擦る中の、一人。
一番若く、一番我慢できなさそうな顔をしている
ゆっくりと、唇の形を作る。
「ワ・タ・シ・ノ・マ・エ・デ」
発音が合っているのかは知らない。聞こえない。
「イ・ケ」
男は、ビクン、と身体を震わせた。
女王の視線で射抜きながら、あとは数回腰を揺らしただけで、奴隷一号はあっけなく汚れた欲望をコンクリートの上にぶちまけた。
ああ、これ、これ。私、生きてる。
学校にいたとき、男子どもをこうやって支配下に置いとけばよかった。
哀れな姿を一瞥する。若い男は、やはりそれがいいらしく、ぶるんぶるんとわざとらしく震えて倒れ込んだ。
今度は二人目の男の前へと、ゆっくりと歩み寄る。
だらしなく開いた口の中にめがけて。濃くした唾液を、くちゅくちゅ舌で揉んでから、とろぉり、と。
糸を引くように、流し込む。
そして、その耳元で、囁いた。
「ゴ・ホ・ウ・ビ」
男は、それを最後の晩餐のように、天を仰いだまま、飲み込んだ。
その喉の上下が終わった瞬間、男の身体もまた大きく痙攣し、二度目の熱い飛沫がゴミの臭いに混ざって放たれた。
三人目には、いかない。
一瞥するだけ。今にも泣き出しそうな最後の
わざと背中を向ける。腰を振って、尻を突き出し、生地を痛いほど肉に食い込ませて、踊り続ける。
ジーンズの縫い目に全体重をかける。締め上げられる腹の肉。みしみし、と、布が、金属が、悲鳴を上げるのが、振動で伝わってくる。
――ぱつん、と。
発射するような開放感のあと、腹回りが急に、楽になった。
肉の圧力に耐えきれなくなった金属ボタンが、弾け飛んだ。
そして連鎖するように、ジッパーが、その口をだらしなく全開にした。
まるで堰を切ったように、締め付けていたデニムが下りる。
ぐじゅぐじゅに滴るほど蜜を吸い、下着としての意味をなさなくなった、黒いレース生地。その上。
白く、柔らかく、恥知らずな腹の肉が、どろりと溢れ出した。
当然、その背後も。
仕草でわかる。
最後の男が果てた。おい。まだ許可してない。
ジーンズが足首まで下りた状態のまま。
かつてオーディションでやったように、四つん這いになる。熟れきった尻を、最後の男の目の前で左右に振って見せた。
最初はゆっくりと。ほどなくして、だぷだぷと、猛烈に激しく。腹も尻も汗が飛び散る。尻肉で男をビンタしてやった。最後の一人だけでなく、一度は果てたはずの二人までもが、再び熱を取り戻す。くっさい雌臭に引き寄せられて、食い入るように近付いて、醜く場所取り争いをする。
三人分の、岩のように硬くなった欲望が、一つの方向へと、向けられる。
あまりにも滑稽で、浅ましく、恍惚な光景に、今日初めて、声を出して笑った。
音のない笑い。ただ、唇の形を良くする。気分がいい。
三つの肉体が、同時に、醜く痙攣し、最後の、熱い飛沫を、私の身体と、足元のコンクリートに、ぶちまけた。
――ああ、そうだ。
これのせいで、わたしは、ここにいる。
満たされるはずのない、底なしの性欲。何せ満たされたそばから空っぽになる。
白日の下に晒される、生活に疲れた三十路前の女の身体。
汚い。気持ち悪い。惨めだ。
こんなことをして、もし誰かに通報されたら、私たちは、揃って逮捕されてしまう。
それでも、そう思っても、風が綿を運ぶくらいの刺激。
もう本当の地獄を知ってしまった、火遊びを卒業したわたしには、ちょうどいい。
ここが底なんだから。
これ以上、私から生きる意味を奪わないで。
……後続を確認する。
来ない。
もう、おしまい?
たった、これだけで?
もっと、もっと、惨めに、乱れてみせろよ。
少しでも根性見せれば、お前らの部屋にでも押しかけて一晩中好き放題されることも、考えなくはないのに。
後に残されたのは、立った私と、鼻をつく栗の花の臭いだけ。
腿の裏を拭って、べろり、と舐めてみせた。
味も臭いも最悪。そのくせ、薄い。
「タ・リ・ナ・イ」
当人たちにとっては人生で最も濃いのが出たんだろうけど。
まだ動けないでいる、三つの肉塊を見下ろした。
まあ終わってみれば、まったく、何の足しにもならないわけじゃ、ないかな。
明日も、来るよね? 奴隷くん。
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