2-2


「……幼馴染って保険じゃん?」


 昼休み。笑いが刃になる。

 結衣の声は、荒れている。


「結衣、それヤバ~!! てかその幼馴染、後ろにいる! いるから!」

「一昨日の雨の日、幼馴染くんさ、映画みたいに突っ立っててウケた」


 がさつに張った声。群れの温度を無理に一段上げる声量。

 一度、咳を噛み殺す気配。喉をさする指。声の掠れは、悪化している。


「傘くらい自分で持てなんだよね。ずぶ濡れのまま見つめられるとかホラー」

「やめて〜笑い死ぬ」


 舌が張りついて、視界の縁が薄く滲む。

 結衣、どうして。

 奥歯が震える。止めたくて、唇の内側を噛む。泣くな。

 それでも、彼女は止めない。


「あれでキュン来るの、中二女子だけ」


 ――深呼吸。席を立つ。


 廊下に出る。階段を駆け降る。校門脇のコンビニへ。袋を掴み、急いで買って。

 何て言って渡そう。……思ったことを、そのまま伝えよう。

 教室に戻り――祈りながら、結衣の席へ。


「はあ、はあ。……声、辛そうだったから。のど飴、ここ置くね。必要ならもらって」


 結衣の指が、一瞬伸びる。

 でもすぐに引っ込み、舌打ちして視線をそらす。


「善人営業、キモ」


 祈りは粉々になった。

 手の甲で弾かれる。袋が机の角で乾いた音を立て、床へ滑る。

 一拍、空気が固まって――そのあとで笑いが爆ぜた。


「……ギャハハハ! 酷過ぎ~! そんなのある~!?」

「普通に失礼。見てられないよ」

「ひ~、わ、笑った……。藤野くん、優し~。そういうとこ、需要あるよ? ほれ、飴ちゃん」


 ネイルの手が袋を拾い上げる。指先で埃を払ってから、渡してくれる。


「……ありがとう、田町さん。結衣に渡してくれる?」

「ん。結衣~」

「いらない。そんなゴミ」


 目線だけで切られた。袋は持て余される。


「……あたしが貰いたい! いい?」

「うん。よければ」

「ありがと〜♡ 大事にいただくね~」


 熱の抜けた笑いが尾を引く。

 輪の端で、別の女子が眉を寄せ、声を落とす。


「……ごめんね、藤野くん。今日の結衣、ちょっと尖ってて……」

「美奈、通訳いらない」


 ぼくに目を向ける、結衣。


「お前は見てて寒いから黙ってて」


 笑いはもう、起きない。


「……本当の結衣、そんな子じゃないでしょ。こんないい彼氏いないよ?」

「彼氏じゃないって。勘違いも大概にして」


 壁時計の秒針が、乾いた音で進んだ。


「――こんな、インポ」


 膝が机に当たってガタンと鳴った。

 教室がしんと沈む。誰も咳払いもできず。


「“距離感”、学んで? 視界に入らないでくれると助かる」


 ……わかった、と喉の奥で呟いて、席から半歩退く。


「そうだね。ごめん。……体調、気をつけてね」

「言われなくてもそうするから。くたばれ」


 貸した教科書を、床に投げ捨てられる。

 彼女の足先が、投げた教科書を蹴った。床を斜めに滑る。


「てか美奈。本当も何も、これが私だから。……何? 文句あるんなら、ちゃんと言えば!」


 足跡で汚れた教科書を拾う。

 小さく会釈して、通路を空ける。

 息を整えて。ふらふらする足で歩む。もたれかかるように手をついた。ざらり、と指先に乾いた感触。

 黒板のチョーク粉を払おうとする。うまく取れない。手は震えていない。大丈夫。


「おい、フジ……! 無理すんな……」


 右肩に、温度。マツの手だ。

 ……悪い。立ち上がらせてしまって。


「大丈夫。……誰かと笑えているなら、今日はそれで充分だ」


 ――結衣の悪意は止まらない。

 もう、友達にまで刃が向いている。どうして、そんな言葉を選べるんだろう。

 一昨日までの結衣は、こんなに攻撃的だっただろうか? 

 ……正直言って、そうだ。

 気づかないふりをしていただけだ。

 気に入らないことがあれば、いつでもその棘を他人に向けていた。気性が荒くて、ふとしたきっかけで、何事も台無しにしてしまう人。

 けれど、ぼくには、きみはかけがえのない存在だ。


 小六の朝礼。

 苦手だった、指定小説の朗読会。

 言葉が飛んで、先生からの厳しい視線が積み重なった、その時。

 結衣が席から抜けて、壇上で立ち尽くす、ぼくの横に立った。

 指が重なった。そこに“つづき”を書き込まれるみたいに。


『最初、ここだよ』


 小声の一行目が、ぼくの口を押し出した。

 終わった瞬間、木の床がやわらかく感じたんだ。

 あの一回で、たぶんぼくは一生分、救われた。


「……いいんだ、マツ」


 苛烈な言動も、何かきみに思うところがあって、その選択をしているのだと信じたい。

 結衣が、結衣の選んだ世界で、幸せでいてくれるのなら。

 痛みは、ぼくが受け取る。きみは、きみの場所で、ただ幸せでいて。




 教室を出る。

 直後、「お前なんてこと言うんだよ!!」と、怒声が背後から割れた。

 止めに戻るべきだ――そう思うのに、もう足が動かなかった。

 袖口で目をぬぐうと、やたら沁みた。布目に、粉の白が淡く残っていた。








(あとがき)

お読みくださり、本当にありがとうございます。


想定よりはるかに多くの応援をいただけて、大きな執筆のモチベーションになっています。

更新は不定期になりますが、書けた分からお届けします。

皆様からいただいた、スター、ブックマーク、ハート、応援コメントが、限りなく、励みになっています。


今後、話数をかけて、結衣はこてんぱんにされますので、ぜひ期待してください。


引き続き、よろしくお願いいたします。

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