2-2
◆
「……幼馴染って保険じゃん?」
昼休み。笑いが刃になる。
結衣の声は、荒れている。
「結衣、それヤバ~!! てかその幼馴染、後ろにいる! いるから!」
「一昨日の雨の日、幼馴染くんさ、映画みたいに突っ立っててウケた」
がさつに張った声。群れの温度を無理に一段上げる声量。
一度、咳を噛み殺す気配。喉をさする指。声の掠れは、悪化している。
「傘くらい自分で持てなんだよね。ずぶ濡れのまま見つめられるとかホラー」
「やめて〜笑い死ぬ」
舌が張りついて、視界の縁が薄く滲む。
結衣、どうして。
奥歯が震える。止めたくて、唇の内側を噛む。泣くな。
それでも、彼女は止めない。
「あれでキュン来るの、中二女子だけ」
――深呼吸。席を立つ。
廊下に出る。階段を駆け降る。校門脇のコンビニへ。袋を掴み、急いで買って。
何て言って渡そう。……思ったことを、そのまま伝えよう。
教室に戻り――祈りながら、結衣の席へ。
「はあ、はあ。……声、辛そうだったから。のど飴、ここ置くね。必要ならもらって」
結衣の指が、一瞬伸びる。
でもすぐに引っ込み、舌打ちして視線をそらす。
「善人営業、キモ」
祈りは粉々になった。
手の甲で弾かれる。袋が机の角で乾いた音を立て、床へ滑る。
一拍、空気が固まって――そのあとで笑いが爆ぜた。
「……ギャハハハ! 酷過ぎ~! そんなのある~!?」
「普通に失礼。見てられないよ」
「ひ~、わ、笑った……。藤野くん、優し~。そういうとこ、需要あるよ? ほれ、飴ちゃん」
ネイルの手が袋を拾い上げる。指先で埃を払ってから、渡してくれる。
「……ありがとう、田町さん。結衣に渡してくれる?」
「ん。結衣~」
「いらない。そんなゴミ」
目線だけで切られた。袋は持て余される。
「……あたしが貰いたい! いい?」
「うん。よければ」
「ありがと〜♡ 大事にいただくね~」
熱の抜けた笑いが尾を引く。
輪の端で、別の女子が眉を寄せ、声を落とす。
「……ごめんね、藤野くん。今日の結衣、ちょっと尖ってて……」
「美奈、通訳いらない」
ぼくに目を向ける、結衣。
「お前は見てて寒いから黙ってて」
笑いはもう、起きない。
「……本当の結衣、そんな子じゃないでしょ。こんないい彼氏いないよ?」
「彼氏じゃないって。勘違いも大概にして」
壁時計の秒針が、乾いた音で進んだ。
「――こんな、インポ」
膝が机に当たってガタンと鳴った。
教室がしんと沈む。誰も咳払いもできず。
「“距離感”、学んで? 視界に入らないでくれると助かる」
……わかった、と喉の奥で呟いて、席から半歩退く。
「そうだね。ごめん。……体調、気をつけてね」
「言われなくてもそうするから。くたばれ」
貸した教科書を、床に投げ捨てられる。
彼女の足先が、投げた教科書を蹴った。床を斜めに滑る。
「てか美奈。本当も何も、これが私だから。……何? 文句あるんなら、ちゃんと言えば!」
足跡で汚れた教科書を拾う。
小さく会釈して、通路を空ける。
息を整えて。ふらふらする足で歩む。もたれかかるように手をついた。ざらり、と指先に乾いた感触。
黒板のチョーク粉を払おうとする。うまく取れない。手は震えていない。大丈夫。
「おい、フジ……! 無理すんな……」
右肩に、温度。マツの手だ。
……悪い。立ち上がらせてしまって。
「大丈夫。……誰かと笑えているなら、今日はそれで充分だ」
――結衣の悪意は止まらない。
もう、友達にまで刃が向いている。どうして、そんな言葉を選べるんだろう。
一昨日までの結衣は、こんなに攻撃的だっただろうか?
……正直言って、そうだ。
気づかないふりをしていただけだ。
気に入らないことがあれば、いつでもその棘を他人に向けていた。気性が荒くて、ふとしたきっかけで、何事も台無しにしてしまう人。
けれど、ぼくには、きみはかけがえのない存在だ。
小六の朝礼。
苦手だった、指定小説の朗読会。
言葉が飛んで、先生からの厳しい視線が積み重なった、その時。
結衣が席から抜けて、壇上で立ち尽くす、ぼくの横に立った。
指が重なった。そこに“つづき”を書き込まれるみたいに。
『最初、ここだよ』
小声の一行目が、ぼくの口を押し出した。
終わった瞬間、木の床がやわらかく感じたんだ。
あの一回で、たぶんぼくは一生分、救われた。
「……いいんだ、マツ」
苛烈な言動も、何かきみに思うところがあって、その選択をしているのだと信じたい。
結衣が、結衣の選んだ世界で、幸せでいてくれるのなら。
痛みは、ぼくが受け取る。きみは、きみの場所で、ただ幸せでいて。
教室を出る。
直後、「お前なんてこと言うんだよ!!」と、怒声が背後から割れた。
止めに戻るべきだ――そう思うのに、もう足が動かなかった。
袖口で目をぬぐうと、やたら沁みた。布目に、粉の白が淡く残っていた。
(あとがき)
お読みくださり、本当にありがとうございます。
想定よりはるかに多くの応援をいただけて、大きな執筆のモチベーションになっています。
更新は不定期になりますが、書けた分からお届けします。
皆様からいただいた、スター、ブックマーク、ハート、応援コメントが、限りなく、励みになっています。
今後、話数をかけて、結衣はこてんぱんにされますので、ぜひ期待してください。
引き続き、よろしくお願いいたします。
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