第12話:壊される安全な場所
その時だった。
カチャリ、とドアが開く音。
母親が顔を覗かせる。
「さくら、お迎えに…」
言葉は途中で止まった。
先生に抱きしめられ、しゃくり上げて泣いている我が子の姿。
母親の頭は、目の前の光景を一瞬で理解できなかった。
「さくら?どうしたの、一体!」
慌てて駆け寄り、肩に手を置こうとする。
だが、さくらはビクッと体を硬直させ、
さらに強く先生の服を握りしめた。
その拒絶の仕草に、母親の顔がこわばる。
視線が、さくらから、彼女を抱くしずか先生へ移る。
心配の色が、みるみるうちに猜疑と敵意に変わっていく。
「先生。うちの子に、一体何をしたんですか」
低く、威圧するような声。
しずか先生はさくらの背を撫でながら、
顔を上げた。
その瞳は穏やかでありながら、
強さを宿していた。
「お母様。さくらちゃんは、ずっと我慢してきた気持ちを、
今ようやく涙で流しているところです」
「我慢…?何のこと?
この子は、私が毎日、ちゃんと面倒を見てます!」
「本当に、そうでしょうか」
先生の視線が、ワンピースの裾から覗く
太ももへ向かう。
どす黒い痣――。
母親もその視線を追い、ハッとする。
そして次の瞬間、顔が青ざめ、
屈辱と怒りで真っ赤に染まった。
「あなた…!さくらに何を吹き込んだの!?
私を悪者にするために、この子をそそのかしたのね!」
金切り声が部屋を切り裂く。
その声に、さくらの嗚咽がピタリと止まった。
恐怖が一気に押し寄せる。
安心できるはずの場所が、
母親によって今、壊されようとしていた。
体は震え、先生の腕の中で
小さく縮こまる。
「違います。私はただ、さくらちゃんの心に寄り添おうと…」
「うるさい!教育委員会に訴えてやるわ!」
母親はさくらの腕を乱暴に掴み、
先生から引き剥がそうとする。
「あなたに、この子の何がわかるっていうの!」
「わかります!さくらちゃんは…」
「いい加減にして!さくらから離れて!」
「待ってください、お母様!」
怒鳴り声がぶつかり合い、
さくらは渦の中心で呆然としていた。
頭の中に、嘲笑う悍ましい声。
《ほら、止めなくていいのか。もうここに来れなくなるぞ!》
(魔法…どうするんだっけ…)
《俺に魔法なんか効くもんか。もう先生ともお別れだな》
(いやだ、いやだ!そんなの絶対に嫌)
ポテト、助けて。
逃げたい。
助けて、助けて、たすけて……
《はっはっはっはっはっ…》
悍ましい声が嘲笑する。
ポテトの声は聞こえない。
魔法の言葉も思い出せない。
世界は歪まず、
ふわふわした場所にも行けない。
なんで?
どうして?
こわれる――。
「あ”ーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
突き刺すような叫び声が喉を裂く。
「あ”ーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!
あ”ーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
意味をなさない絶叫。
壊れたおもちゃのように、
ただ高い声を上げ続ける。
「さくら!?」
「さくらちゃん、しっかりして!」
母親の狼狽と、
先生の必死な呼びかけ。
だが、もうどうでもよかった。
(消えたい…)
「な、なんなのよ、この子は!
人前で騒ぎ立てて!みっともない、もうやめて!」
母親の顔は羞恥と怒りに染まり、
さくらの腕をさらに強く掴む。
抵抗する体を脇に抱え込み、
荷物のように廊下へ引きずり出した。
「あ”ーーーーーーーーーーーーーー!!」
悲鳴が、廊下に長く響き渡る。
しずか先生は、
その場に立ち尽くすしかなかった。
閉ざされたドアの向こうから
微かに聞こえる、痛切な叫び。
それは、助けを求める子供の――
魂の底からの悲鳴だった。
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