第11話:魔法の言葉の力
「さくらちゃん、なんだか今日は嬉しそうだね」
水槽の中から、ポテトが優しく話しかける。
「うん、嬉しいの!だって今日は、久しぶりにしずか先生に会える日だから!」
さくらはベッドから飛び起き、クローゼットから
一番のお気に入り――
小花柄のワンピースを取り出した。
ポテトに見せるように、それを胸いっぱいに広げる。
「ねぇ、ポテト。このお洋服、可愛いでしょう?
しずか先生、褒めてくれるかな?」
「うん、とっても似合ってるよ。
さくらちゃん、可愛いもん。きっと先生も喜んでくれるよ」
その言葉に、さくらは満面の笑みを浮かべた。
しずか先生に会えること。
そして、ポテトがそばにいてくれること。
二つの喜びで、心は温かく満たされていた。
「それにね、今日、先生に報告したいことがあるんだ」
「報告?」
「うん。この前、ミオちゃんに『ありがとう』って言えたこと。
ポテトの魔法のおかげだって、ちゃんとお話しするの」
少し得意げに胸を張るさくらに、
ポテトはヒレをぱたぱたと揺らして答えた。
「それは素晴らしいね!
きっと、しずか先生もたくさん褒めてくれるよ」
「えへへ、そうかな」
期待に胸を膨らませ、鏡の前でくるりと回る。
以前は、自分の気持ちを伝えることが怖くてたまらなかった。
でも今は違う。
ポテトが教えてくれた「魔法」が、小さな勇気をくれるのだ。
「じゃあ、行ってくるね。ポテト!」
「うん、いってらっしゃい!気をつけてね」
優しい声に見送られ、
さくらは軽い足取りで部屋を出た。
今日はきっと、良い一日になる――
そう確信していた。
◇
セラピールームのドアを開けると、
ふわりと甘いアロマの香りが包み込む。
「しずか先生!」
「さくらちゃん、こんにちは。待ってたわよ」
ソファに座っていたしずか先生は、
顔を上げてにっこりと微笑んだ。
その視線が、さくらの着ているワンピースに注がれると、
さらに柔らかな表情になる。
「あら、今日のさくらちゃん、とっても素敵ね」
「その小花柄のワンピース、すごく可愛いわ。
さくらちゃんに、本当によく似合ってる」
その言葉は、さくらが一番、
聞きたかった言葉だった。
ポッと頬が赤く染まり、胸の中がきゅうっと温かくなる。
まるで、心の中に小さな太陽が昇ったみたいだ。
家を出る前に、ポテトが言ってくれた通りだった。
「えへへ……」
さくらは照れくさそうに笑いながら、
ワンピースの裾を両手できゅっと握りしめる。
期待していた以上の言葉に、
嬉しくてどうしたらいいか分からない。
「あのね、これね、一番のお気に入りなの。
今日、先生に会うから、着てきたんだ」
小さな声でそう言うと、嬉しさに任せて、
その場でくるりと一回転してみせた。
ふわりと揺れるスカートの裾が、
さくらの弾む心を表しているかのようだ。
「そうなの?先生のために選んできてくれたのね。
嬉しいわ、ありがとう」
しずか先生は、愛おしそうに目を細めてさくらを見つめる。
その優しい眼差しが、
さくらの心をさらに満たしていく。
「うん!」
大きく頷いて、さくらは先生の隣に
ちょこんと腰を下ろした。
ワンピースを褒めてもらえた喜びで、
心はもうポカポカだ。
そして、今日一番伝えたかったことを、
少し得意げに切り出した。
「先生、聞いて!私、ポテトの魔法を使ったの!」
少し興奮気味に、学校でミオに『ありがとう』と
言えた出来事を話す。
友達のペンを欲しくなったこと。
悪い声が聞こえてきたこと。
そして、【ふわふわフグの魔法】で
変な声を追い払えたこと。
「そう、すごいね。やったじゃない!さくらちゃん。
全部自分で出来たんだ。本当にえらいわ」
しずか先生は、さくらの頭を優しく撫でた。
くすぐったさと嬉しさで、
ソファの上で足をぶらぶらさせた、
--そのとき。
ワンピースの裾がめくれ、太ももがあらわになった。
先生の笑顔がふっと消える。
視線は、どす黒い痣に注がれていた。
「さくらちゃん…その足のあざ、どうしたのかな?」
心配そうに、少し低い声。
さくらはハッとして、慌てて裾を直す。
「こ、これ?えっと、転んじゃっただけだよ!」
作り笑いを浮かべるさくらに、
先生は何も言わず、ふわりと抱きしめた。
壊れ物を扱うように、
何度も何度も頭を撫でながら、震える声で囁く。
「…我慢してたのね。…偉いね、さくらちゃん」
それは、今まで一度も
かけてもらえなかった言葉だった。
胸の奥深くまで染み込むその響きに、
体から、ふっと力が抜ける。
繰り返される「偉いね」に、
必死に張り詰めていた糸がぷつりと切れた。
それは恐怖の叫びではない。
堰を切ったように、大きな瞳から温かい涙が溢れ出す。
声にならない嗚咽を漏らし、小さな肩を震わせた。
ずっと一人で抱えてきた痛みも、
悲しみも、孤独も――
ようやく外へ流れ出していく。
さくらはしがみつくように、
先生の服を握りしめた。
この腕の中だけが、世界で一番安全な場所だと感じ、
生まれて初めて、心の底から誰かに自分を委ねていた。
静かなセラピールームに、
さくらの嗚咽が、いつまでも響いていた。
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