第9話
異世界記憶を持つ彼ら彼女らの普通の日常
異世界部の活動がない日、都立桜ヶ丘高校の生徒たちは、ごく普通の日常を送っていた。しかし、彼らの内側では、異世界の記憶と「因子」が静かに、そして確実に、彼らの感情と行動に影響を与え始めていた。
ユウトとユナ:兄の「守護」と妹の「戸惑い」
放課後、ユナが友達とカフェで談笑していると、少し離れた席で参考書を開くユウトの姿があった。
「お兄ちゃん、今日もいるんだね」
ユナが声をかけると、ユウトは顔を上げ、穏やかに微笑む。
「ああ。ユナがここにいると、集中できるからな」
その言葉は兄としての優しさに見えるが、ユナの心には微かな「縛られている」ような感覚がよぎる。友達が他の男子生徒の話をしていると、ユウトの手元にあったペンが、カタンと音を立てて転がった。ユナは気づかないが、彼の瞳の奥には一瞬、赤い光が揺らめいていた。
ユナは、ふと異世界での記憶を思い出す。魔王城の玉座の間で、ユウトが自分を抱きかかえていたあの温かい腕。
(お兄ちゃんは、あの時も私を守ってくれてた。でも、それって、兄妹としてだけだったのかな……?)
「それって、恋じゃないの?」という問いは、まだユウトの心に突き刺さったままだが、彼はその問いに答えようとしない。ユナは、その沈黙に、もどかしさと、そして期待にも似た複雑な感情を抱えていた。
カイとミレイ:すれ違う「勇者」と「姫」
昼休み、購買でパンを選んでいたカイの隣に、ミレイがひょっこり現れた。
「ねー、カイくん。今日のパン、どれがいいと思う? マジ迷うんだけどー」
ミレイはいつもの調子で話しかけるが、カイは彼女の腕に、瞑想後に現れたという火傷のような痕を見つける。
「ミレイ、その腕……大丈夫なのか?」
カイの心配そうな声に、ミレイは「あー、これ? なんか、寝てる間に変な夢見てさー、そん時にできたっぽい?」と軽く答える。
(守れなかった……)
カイの脳裏には、異世界でミレイアを危険に晒してしまった記憶がフラッシュバックする。彼は無意識に、ミレイから一歩距離を取ってしまう。
その距離感に、ミレイは少しだけ寂しさを感じる。
(カイくん、いつも私といると、なんか緊張してるよね? マジ、ウケるんだけど……)
彼女は、舞踏会でカイと手を握った記憶を思い出し、少しだけ顔を赤らめる。
「ね、カイくん。今度さ、一緒に映画でも行かない? マジ、面白いのやってるよ!」
ミレイは明るく誘うが、カイは「あ、ああ……」と曖昧な返事しかできない。二人の間には、異世界の記憶が作り出す、微妙なすれ違いが続いていた。
カナ:冷静な「白鴉」と、揺れる「妹」の心
放課後、カナは図書室の隅で、タブレットを操作していた。画面には、美作先生の論文や、異世界の伝承に関するデータがずらりと並んでいる。
「異世界とこの世界の境界を曖昧にする……ね」
彼女の瞳は、まるで獲物を追う「白鴉」のように鋭い。美作先生の目的が、単なる「恋愛因子」の観察に留まらないことを、彼女は直感していた。
その時、近くの席で友人と話しているカイの声が聞こえてくる。
「最近、ミレイがさ……」
カナの指が、ピタリと止まる。
(
兄さんが、ミレイア姫に……?)
美作先生に指摘された「兄を守ろうとする理由」が「恋愛因子」によるものだという言葉が、カナの脳裏をよぎる。彼女は情報戦のプロだが、自身の感情、特に兄への複雑な感情には、どう対処していいか分からなかった。タブレットの画面に、一瞬だけノイズが走る。彼女の情報収集能力が、感情の揺れで不安定になっている兆候だった。
美作先生:煎餅と「データ」
美作先生は、職員室で温かいお茶を淹れ、煎餅を一口頬張った。彼の机の上には、異世界部の部員たちの日常の行動パターンや、感情の起伏を記録したデータがびっしりと書き込まれたノートが置かれている。
「ユウトくんの『独占欲』因子は、顕現の兆候が顕著だ。ユナくんの『受容』因子との相互作用も興味深い」
「カイくんとミレイくんの『共鳴』は、予想以上の速度で進行している。特に、ミレイくんの『癒し』因子は、この世界での応用可能性が高い」
「そして、カナくん。彼女の『情報操作』因子は、感情の揺れによってその精度が変化する。これは新たな発見だ」
美作先生は、満足げに目を細める。彼にとって、彼らの「普通の日常」は、最高の「実験場」だった。この世界と異世界を繋ぐ「プロトコル」の完成は、もうすぐそこにあると、彼は確信していた。
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