第8話 婚約破棄と婚約
専攻コースの授業を受ける為にSクラスのある校舎を出ると、アイリーンはコースの違うエミリオとテオドールの二人とは別の方向へと歩いていく。
それを見送り充分に離れたところで、テオドールは静かに口を開いた。
「まさか、こんなに早く王家が動くとは思わなかったよ」
その言葉に、エミリオはテオドールを一瞥する。
彼の言わんとしていることがアイリーン達の婚約破棄騒動に関することなのは確認するまでもない。
それにエミリオは、端的に言葉を返した。
「父上も兄上も憂慮していたことだからね。チャンスだと思ったのではないかな」
「……婚約破棄が成立したら、動くのか?」
「そのつもりだ。ただ、この件は兄上に一任している。俺が勝手に動けることではないからな」
「それもそうだね」
お互いに淡々とした口調で会話を続ける。
何をどう動くのかは態々口にするまでもない。
それは、過去を含めたお互いの気持ちを知っているからだ。
だからこそ、エミリオは意図せずそれを口にしていた。
「相手がお前だったら、こんなことにはならなかったのだろうな」
「……俺の婚約者はルチアだ。そんな仮定の話をされてもそれ以外に答えようがないよ。俺にとって大切なのはルチアだからね」
「それもそうだな……」
そのまま会話が途切れ、暫し二人の足音だけが聞こえていた。
確かに淡い想いを抱いていたこともあった。
だがその秘めた想いはエミリオにとっては現在進行形でも、テオドールにとっては過去のことだ。
既に断ち切り未練もない想いに、振り回されることなどない。
兄との婚約が成立した時点で、彼女とのそうした縁は最初からなかったことになっている。
今更そんな仮定の話をしたところで、テオドールにとっては何の意味もないことでしかなかった。
◇◇◇
放課後になり馬車止めへと向かっていると、遠目にフェデリコとモニカの姿が見えた。
相変わらずべったりと寄り添い、周囲の視線をものともせず口付けまで交わしている。
二人が人目を気にせず口付けを交わすのはいつものことだが、それを見せられる方の身にもなれと思う。
既に身体の関係まであることも知っているので、今更二人が何をしようが構わないが、せめて人目のないところでやってほしいものだ。
傷つきはしなくてもげんなりはするので、それを見なくても済むよう先に馬車止めに着いて馬車に乗っておきたかったが、二人が在籍するDクラスの方が馬車止めに近いので仕方がない。
こうなったら二人に気付かれて絡まれないよう、ガブレイト侯爵家の馬車が動き出すのを離れた場所で待つしかないだろう。
因みにSクラス専用とも言える校舎が他のクラスの教室がある校舎より馬車止めから遠いのは、ちゃんとした理由がある。
校舎には教室以外に、Sクラスの生徒全員に割り当てられる個室が二十室あり、そこで専攻コースの授業に関する研究をする頻度が高い。
三学年合わせても全ての部屋が埋まることはないので、空いている部屋は教員が一人で集中して作業するのに使われることもある。
それは放課後の時間帯であることも多い。
それでできる限り静かな環境が望まれることもあり、登下校時には賑やかになりやすい馬車止めから離れた場所にあるのだ。
そんな訳でアイリーンはフェデリコとモニカに出遅れたのだが、幸いなことにこれから二人の望みが叶うからか、寄り道せず真っ直ぐに馬車止めに向かっている。
軽いキスは何度もしているが、歩きながらというある意味器用な真似をしているので、程なくして馬車に乗り込むのを確認することができた。
そして漸くアグイスト侯爵家の馬車に向かい座席に座ると、深く息を吐き出し目を閉じる。
先程は遠目に見ても二人とも上機嫌だったようだが、王宮に着けばそれは一変するだろう。
そんなことを考えているうちに王宮に着き馬車を降りると、予想通りのことが起きていたことが判明した。
王宮に着き馬車を降りるなり、二人にはレオンが話していた魔道具が強制的に装着されたそうだ。
顔の表情は自由に変えることはできても、それ以外は思うように動かせないので、二人とも物凄い形相になっていたらしい。
それを迎えに来てくれたレオンが、笑いながら教えてくれたが、アイリーンにとっては笑い事ではなく、顔が引き攣りそうになるのを堪えることしかできなかった。
アンドレアが待つ応接室に案内されると、既にアイリーン以外の関係者が全員揃っており、挨拶を済ませるとすぐに婚約破棄の書類を渡される。
既にアイリーンが署名するだけの状態になっていたので内容に目を通し署名すると、アメデオとガブレイト侯爵に確認した上でアンドレアに渡した。
アンドレアは不備がないか確認すると、それを書類転送用の魔道具で国王に転送する。
そして程なくして手続きを終えたことを知らせるメモが国王から送られてくると、今度はフェデリコとモニカの婚約誓約書が転送された。
同じように国王から手続きを終えたとメモが送られてくると、ガブレイト侯爵と共にフェデリコとモニカが退出していく。
当然その時点でも二人には魔道具が装着されたままであり、悪魔のような形相でアンドレアを睨み付けながら、強制的に連行されていったのだった。
そして表情でしっかりと不敬を働かれたアンドレアはというと、それを気に留めることもなく扉が閉まると同時に肩の力を抜く。
それからアメデオとレオン、アイリーンの顔を見回すと気安い相手にだけ見せる笑みを浮かべた。
「やっと面倒事が片付いたな」
「ええ、本当に」
アンドレアの言葉に清々しい顔をしてアメデオが頷く。
レオンも満足げな表情だ。
だがそこでアンドレアはアイリーンに目を向けると、今度は意味深な笑みを浮かべた。
「私としては、次が本題だけどな」
そして彼に呼ばれ、エミリオが応接室に入ってくる。
それで予想していた通りの展開になったことを理解したアイリーンは、内心の動揺を押し隠し居住まいを正した。
アンドレアが徐に切り出したのはエミリオとアイリーンの婚約、しかも国王とアメデオの間で既に話はついている。
レオンも異論はないようだ。
当然断れるはずもなく、その場で婚約誓約書に署名することになった。
アイリーンとしても、エミリオとの婚約が嫌な訳ではない。
だがこちらまで婚約破棄の直後に新たな婚約を結ばなくてもいいのではと、現実逃避気味にそんなことを考えた。
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