第15話 師匠と弟子

 老師の、銀と灰色が混ざった伸ばしっ放しの髪が、風に揺れる。今朝方、波差が綺麗に整えて、一つに纏めておいた髪だ。

 日の光に銀色が透けて、綺麗に輝いていた。


 老師は決して大柄な方ではない。男性としては小柄な部類だろう。

 だが、毎日の鍛錬で鍛え上げられた鋼のように固い胸板、隆々と盛り上がった肩。どんな動きでも可能にする腕の動きと脚の強さ。

 

 その背中を見て、波差も多羅も”蒔き人”として生きて行こうと、決心したのだ。


 老師の、そのごつごつとした手の平は、これまでの苦難を表しているように固かった。自分達が歩む先が、老師が歩んできた道程に厳しいものになるのを覚悟するには、十分な手の平の固さだった。


 波差と多羅を背に庇い、歩み来る大男2人に向かう老師の背は、力強く強い信念を、幼い弟子2人に伝えている。


「我等は、争いに来たわけではない。だが、弟子に危害を加えるつもりであるなら、戦うしかない。」

老師は、周囲を見回した。

「頭のお前の腕前の程は分からんが、小物のこ奴らなら、儂一人で十分だ。後ろの弟子2人には手出し無用で、この場から外させてもらいた。」


 老師のこの言葉に、波差と多羅はギョッとした。


「お前達は、帰れ。山の入口まで辿り着けば、流熊が待っている。」


老師は、弟子2人に背を向けたまま

「いいな。」

有無を言わさぬ老師の気迫の言葉に、もう、何の言葉も挟めないことを、2人は悟った。


 波差の目に、涙が伝う。


「爺さん!なにふざけた事を!!」

賊の1人が、唾を飛ばしながら、言った。

だが、その者は、親方の脇に控えた”赤鬼”に一撃を喰らって、地面に伸びた。


 その赤鬼の行動に、顔色を変えたのは、賊達だった。


 親方と赤鬼は、老師の間合いの前まで来て、歩みを止めた。


 親方の右腕は、肘から先が無くなっていた。大柄だが、頬がこけて、顔面に刃の傷が、左眉から左の頬にかけて走っていた。目が潰れなかったのは奇跡だろう。

 その失った腕の側に、赤鬼が大太刀を持って控えている。

 赤鬼も、頬がこけており、顔に無数の傷を受けていた。剥き出しの二の腕にも同じような傷が無数に付いている。



 その親方と、赤鬼が、揃って老師の前で止まった。


 そして、ゆったりとした動きで、老師に向かって、膝を折ったのだ。


 その動きは、波差には見覚えがあった。

「あっ!」

波差は声を上げた。


 昨年の冬籠りの前に、老師の元に食料を届けに来た後、波差と多羅に言葉を残して山を降りて行った、あの騎士の2人だった。


 あの後、この2人の身に何が起こったのだろうか。

 何故、腕を失う事になってしまったのだろうか。

 様々な疑問が、波差の頭の中を駆け巡り、立ちつくした。


「老師。御足労をおかけし、申し訳ありません。」


親方は、師に謝った。

「やはり、お前だったか。最初に出逢った、賊の襲撃の仕方でお前の顔が浮かんだんだ。だが、まさか追剥をしている筈がないと思ってしまってな。」

老師のその言葉に

「色々ありまして。やむなく……。」

恐縮しながらそう言う。

「教育が浸透出来ていないのは、私の責任です。」

赤毛の男が、庇う様に言葉を添えた。


「まあ、いいさ。生きている事が大事だ。」

老師が、嬉しそうにそう言った言葉で、親方と赤毛の男はいっそう深く頭を垂れた。



 親方と赤毛の男は立ち上がった。


「この方は、私と赤鬼の、恩ある師匠だ。後ろの子供は、弟弟子だ。」


 事の成り行きを、固唾を飲んで見守っていた賊の皆は、驚きを隠せないで、ぶしつけに老師と、後ろの弟子2人をジロジロ見た。


「これまで、この師匠に勝てた事は無い。」

周囲の疑心に満ちた目を感じた親方は、そう言って、皆に伝えた。


「間違っても、勝負を挑もうとするんじゃないぞ。この前の奴らの二の舞になるぞ。」

そう、釘を刺した。

「あいつらは、鍬を勝手に潰して刃物に替えていたばかりか、作物を作る道具で人を殺めようとしたから、あんな目にあったんだ。」

親方の言葉を受けて、赤鬼が付け足す。

「とどめなら、また俺が刺してやるぞ。老師の手を煩わせる必要も無い。俺が、直に、必ず、仕留めてやる。」

赤鬼は、ぎょろりと目を吊り上げて、皆を睥睨した。


 皆は、恐ろしさに、目を伏せた。


 波差と多羅は、心底ホッとして、師匠と兄弟子の元騎士2人の後ろに付いて歩いた。


 波差の事を、興味深そうにジロジロ見る視線が居心地悪かったが、その視線は多羅がすぐに遮ってくれるので、波差は無表情を貫けた。


『この頃、顔の事を言う人が居なかったから、忘れていたな。』

波差は、昔から女の子によく間違われた。母親似で、可愛い子供だと、近所の人から誉められていたのを今更思い出していた。


 すぐ隣を歩く多羅の纏う空気が、ピリピリしているのが、自分を見つめて来る視線よりも気になってしまう、波差だった。

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