第4話 不思議な飴細工

 ソイツはいつもタクシーでこの高校に通っているらしい。何でも、家は田舎ならではの広い面積を生かした豪邸らしく、そこから通っているとか。ただ、とても広い豪邸で目立つからここからかなり離れたところに家はあるらしい。

 もう詮索するなと釘を刺されたによくやるな。いや、詮索するなと言ったからこそなのか?ダメと言われたら逆にしたくなってしまう、カリギュラ効果と言うやつだろうか。小学生じゃないんだからもっと理性を持って動いて欲しい。


 そんな事くだらない事に頭を使い、俺は溜息を吐きながら教室に一番乗りで入る。

 はずだった。こんなに早い時間なのに、教室にはソイツがいた。


「え…」


 俺は思わず声を出すと、ソイツはゆっくりと振り返る。そしていつもの飴細工の瞳と目が合う。いつ見ても偽物っぽいんだよな、何でだろうか。


「早いね」


「こっちのセリフだ」


 今日は中間考査、所謂いわゆるテストの日だ。俺はいつも一番乗りで勉強していたから驚いた。

 しかし、ソイツの机の上を見ても何も勉強道具は置かれていない。一体何をしに来たんだ?


「今日テストなんだ」


「さっき知ったのか?」


「うん。何にも勉強してないや」


 1週間前から言われていたはずだし、昨日も口酸っぱく言われていた。話を聞いていないのか?いつもぼーっとしてそうだし。勉強していないと言いながらも、ソイツは焦るどころか勉強する素振りすら見せない。俺はこんな奴に構ってる暇なんて無いから自分の席で教科書を開いて勉強を始める。昨日復習したからある程度は大丈夫だと思うが、することに無駄はないし、しておいて損はない。

 俺がガリガリとルーズリーフに書いていると、いつの間にかソイツは俺の机の側に立っていた。俺は驚いてガタガタガタッと机と椅子を盛大に鳴らしながらソイツから距離を取る。


「ごめん」


「いつからいたんだよ、」


「少し前から。10分前?」


「はあ…?」


かなり前からいたようだ。ソイツは不規則に長い髪を押さえて俺のルーズリーフを覗き込む。


「頑張ってるね」


「お前もやれよ」


「無駄だよ」


「復習するだけでも違うだろ」


「そんな意味じゃないよ」


「は?」


俺が疑問の声を出すと、ソイツは少し斜め上を見てからまた視線を俺に戻す。


「君になら言って良いかな」


「はぁ?」


俺は意味が分からなくて全力で顔を顰めるが、ソイツは気にせずに話し始める。


「何を頑張っても、無駄だから。何をしても、ぜーんぶ無駄。全部全部全部全部全部、流麗月晶の娘で収まるの」


ソイツは目を伏せる。いつも空っぽのその瞳に、少しの感情がゆらりと浮かぶ。


「君だって、経験があるはずだよ。ぜーんぶ、御石聡みせきさとしの息子で収められちゃう。もどかしくてもどかしくて、気持ち悪いあの感覚」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は心臓を直接握られた感覚に陥る。ヒュッと息を呑み、ゴホゴホと咳をする。


「君は偉いね」


「違う」


 違う違う違う、そんなんじゃない、そんなんじゃないんだ。これは自主的なものではない。本当は、勉強なんて大っ嫌いなんだ。一ミリたりともやりたくなんてないし、目にも入れたくない。



 ただ、やらなければいけないのだ。



 俺が、生きて行く為には。生き残る為には。



 俺は気を取り直して机と向き合うが、一気にやる気が削がれる。いや、元からやる気なんてないが。


「はあ…」


俺は仕方なしにシャーペンを置き、財布片手に飲み物を買おうと下に降りる。すると、何故かソイツも付いてくる。


「なんかお前も買うのか?」


「じゃあ買おうかな」


じゃあって何だよ、じゃあって。俺は頭が痛くなりそうな会話をなるべくスルーして自販機の前に来ると迷わずエナジードリンクを押す。ガタンと音を立てて落ちてきたそれを持ち、カシュッといい音を立てながら蓋を開けると、ソイツは俺の方を物珍しそうにじっと見る。


「んだよ」


「それ、美味しいの?」


「じゃなきゃ買わない」


「そっか。私もそれにする」


ソイツは財布を取り出して小銭をチャリチャリと入れる。その財布は確か、以前有名ブランドとどこかがコラボした際の人気商品だ。かなり値段が張っていた気がするが、ソイツにとってはどうってことないのだろう。


「これ、どうやって開けるの?」


「………はあ?」


いや、ただの缶だぞ。普通にステイオンタブを持って開ければ良いだろう。もしかして、缶を買ったことが無いのか?それか全部お手伝いとかにやらせてたとか?俺の想像はどんどん広がるばかりだ。


「これはこうやる」


俺がジェスチャーでやってみせると、ソイツもやろうとする。が、力が無いらしくカタカタと少し震えるだけだ。


「硬いねこれ」


「この歳で開けられない奴初めて見たぞ」


「開けてくれる?」


そのくらいなんてことないから開けてやると、ソイツはマジマジと観察する。


「変な匂い、甘い匂いだ。薬品がたくさん入ってそうな、体に悪そうな匂い」


「言うなよ、エナジードリンクってそういうもんだろ」


「エナジードリンクって言うんだ、へー。なんかシュワシュワいってるけど、これは何?」


「炭酸だから」


「炭酸…初めてだ」


ソイツの言葉に驚いたが、ソイツはもうぐびっと飲んでいた。するとソイツの肩がビクリと跳ね、急いで缶を口から離してケホケホと咳き込む。口元から溢れたエナジードリンクを拭いながら俺に助けとか驚きとかが混じった視線を寄越す。


「ケホ、や!な、何これ、コホッ、口の中、溶ける、ケホケホ、なに、なな、なに、これ、ケホッ、」


いや俺に言われてもそれが炭酸だとしか言えない。ソイツは缶を少し睨みつける。威嚇みたいだ。


「味も初めて。やっぱり甘くて、薬品の味がする。海外のお菓子みたいに体に悪そうな味」


「文句ばっかじゃねえか」


「でも、美味しいね」


ソイツは言う。美味しいと言う顔はしてないが、チビチビと飲んでいる。そんなペースじゃテストが始まる前までに飲みきらないぞ。


「ありがとう、御石君。君のおかげで新しいものに出会えたよ」


「エナジードリンクだけどな」


そんな大層な物じゃない。コンビニでも普通に売ってるし、ソイツならいとも簡単に手に入る品物なのに。


「君は優しいね」


「は?」


「私のことを聞かないし、こんなことにも渋々付き合ってくれる」


「はあ…」


渋々というのはバレているらしい。俺も隠す気がなかったけど。


「俺だって、何か聞かれたら嫌だから」


「そっか。私たち、話が合わないって思ったけど似てるかもね」


それに俺はグッと眉を顰める。無意識に親指に力が入り、缶が少し潰れる。


「でも、やっぱり話は合わないよ」


ソイツは言う。飴細工に少しの色を乗せて。


「エナジードリンクの味、一生忘れない。ありがとう、御石君」


ソイツはそう言うとその場からゆらりと去ってしまう。随分と時間を無駄にしてしまった。でもいいか。




 随分と、有意義な時間になった気もするし。



 

 

 これだったら、殴られてもいいや。

 

 俺は相反する思いのまま、教室に戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る