第5話 冷たい飴細工

 「ただいま」


 俺はまた裏口から家に入り、形だけの言葉を口にする。ただいまなんて、本当は思ってない。ここが帰る場所だとは思ってないから。

 でも、俺には居場所が無い。他の居場所が。俺には、ここしか無いのだ。生きていく為には、ここに帰るしかないのだ。それが、どんなに嫌でも。


 選挙が近くなり、より報道陣が押し入るようになった。俺は2階に上がろうとするが、案の定リビングにある無駄に大きいソファに座ってわざわざ待っていたであろうアイツに話しかけられる。


「伊聡、テストは?もう結果は帰ってきただろ」


「……………」


 父はソファから立ち上がり無言でテストの結果を待っている。テスト結果が帰ってきたのは事実だ。ただ、見せたくない。

 しかし、見せないとより酷くなることは目に見えてるから素直にファイルを取り出してそのまま父に渡す。父はそれを受け取りテストを見ていくと、段々顔色が悪くなり顔つきも怖くなっていく。ああ、来るぞ。


「何だこの結果は!!」


 バチンと頬を叩かれる。俺は予想していたからよろけずにただそこに立ってる。

 このビンタも何回目だろうか。数える気にもならない程に叩かれた。物心ついたついた時から始まっていたこの習慣のお陰で頬の皮膚は分厚くなって体幹だって鍛えられた。そんな感謝は微塵も感じていないが。


「伊聡、今回手を抜いたな」


「…………」


「何とか言ったらどうなんだ!!」


「………転校生が、来たんだ」


「は?」


「その転校生が、変な奴で、ソイツと話してた」


それを言うと、またバチンと反対の頬を叩かれる。俺はジンジンと痛み出した頬を押さえることもしない。そんなことしたって無駄だから。そんな事したら余計に叩かれるから。


「そんな馬鹿なことをしてこんな点数を取ったのか」


「…………ごめんなさい」


「それで済むか!」


 今度は胸ぐらを掴まれた後、俺を床にドンと倒す。父は地面に倒れ込んだ俺の頭を踏みつけ、学ランは地面に擦れて嫌な音を立てる。

 やめろよ、学ランだって安くないんだぞ。破れて縫うのは母なんだぞ。まぁ、破れたところでまた買い直す金は十分にあるからコイツになってはそんな問題じゃない。はぁ、良いのか、悪いのか。


「何もかも完璧じゃなきゃ駄目なんだ、何もかも!!何故分からない、こんなに言っているのに!!お前のために学費は出してあげているし勉強部屋だって改築してやった。それなのに!!」


 父は怒号をあげる。俺は何も出来ないから黙っているだけだ。いや、違うか。何もしないのだ。何が言ったら、何かしたら、また酷くなるから。


「こんなんじゃ俺の名に泥がつく、傷が付く!!お前のせいで!!ああ、アイツも馬鹿だった。くそッ、お前たちのせいで俺の人生は滅茶苦茶だ!」


 アイツと言うのは俺の母だ。アンタはどれだけ人を馬鹿にすれば済むんだ。俺だって母親のことは嫌いだけど。

 父の怒りのままにガンと頭を蹴られ、流石に痛くて唸り声をあげる。それすら気に入らないのか、父は俺の頭をサッカーボールかの様に蹴り続け、俺は体を丸くして頭を抱え込む。反射的な行動だ。命を守ろうとする、ごく普通な行動なのに、それでも父はそれが鼻につくらしい。父の蹴りはもっと強く酷くなるばかりだ。


「高校だって、本当はもっと上のランクに進学させるつもりだった!こんなところじゃなくてな!ただ、俺の仕事のせいで近くの高校になっただけだ。お前はこれでも学年一位を取っているからと油断しているようだが、こんなんじゃ全然世間に通用しない。良い大学って行けないぞ」


 ようやく足蹴りが止まり、俺は薄く目を開ける。


「次はもっと頑張るように。それまではなにも娯楽は無しだ、小遣いもな」


 父は不機嫌のまま自室に戻る。それを見送ると、俺はようやくノロノロと立ち上がり制服をパタパタと払う。よし、どこも破れては無いな。


「いってぇ…」


 いつ俺が大学に行きたいって言ったんだよ、言ってねぇよ、一度も。勝手に俺の人生決めて、俺の人生なのに何にも決定権無いじゃん。

 もう何年も続いてることだが、まだ痛いものだ。前よりは痛みに強くはなったが。良いことなのか、悪いことなのか。良いことだと信じたい。多分悪いことだけど。

 俺は頬を触る。頬はジンジンと痛んで少しの熱を持っている。


「はぁ…」



 これが、日本を引っ張っていこうと意気込む議員か。



 みんなは知らない、御石聡がどんな人物か。

 「私が望むのはー」とか言ってる人物は、御石聡ではない。仮の姿なのだ。

 本当は家で息子を殴って蹴るような、そんな人物なのだ。全て完璧を求め、それを他人に強要し、気に入らなければ暴力に手を出す。そんな人物なのに、何故かみんな気付かない。家の中に味方なんていない。母も父の言いなりで何一つ助けてくれやしない。母でさえ、「あの人の息子」と言う認識だ。友達にこんなこと言えないし、そもそも友達と言える人物なんていない。みんなみんな、「御石伊聡」ではなく「御石聡の息子」として見てるのだ。


 


「俺」として、見てくれてる人なんて誰1人いない。




 俺はその場に捨てられた自分のテスト用紙と結果を見る。いつもと同じ、俺は学年一位だ。ただ、いつもより少し点数は低いがちゃんと100点を取ってる教科もある。やっぱりあんな奴と話さずに勉強した方が良かっただろうか。そうだろうな。でも、不思議と後悔は無い。


「一言くらい、褒めてくれても良いのに」


そんなことは一生叶わない。俺がアイツに文句を言ったり、睨みつけたり、そんな反抗をすることも。俺はその叶わぬ想いと一緒にテストを全てシュレッダーにかけて2階に上がった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「御石、お前まーた一位かよ!もうテスト結果表見る必要ないじゃん!」


 次の日、クラスメイトに話しかけられるが俺は視線を移しただけで何も言わない。話したくないから。話しても分からないから、理解されないから。こんなのうのうとしたやつに理解されたくないから。


「選挙でお前も忙しいよなー。家にマスコミ押し掛けてたじゃん、お前テレビ映ってたよ。ったく、相変わらず目つき悪いよなー」


 俺は目つきが悪いとよく言われる。獲物を狙う猫みたいな鋭い一重のつり目。この目は父そっくりで本当に嫌だ、せめてタレ目の母に似てほしかった。父も母も、どちらも大嫌いだけど。


「テレビといえば、アイツの父親も映ってたよな」


 視線を移す先にソイツはいた。ソイツは黙ってそっぽを向いている。俺たちの話は聞こえているはずだが、何も言わない。


「やっぱ似てるよな、雰囲気」  


「そ」


 俺は興味が無いからすぐに話を切り上げると、クラスメイトはつまらなそうに俺から離れていった。




 昼休み、俺は弁当を食べていると飲み物を買っていないことに気づく。俺はいつものエナジードリンクを買おうと席を立ち、自販機の近くまで来ると声が聞こえてくる。


「御石さ、なんかすげー冷たくねぇ?」


「お前、そういえば去年は違うクラスだったか。アイツそういう奴だぞ」


「はあ、御石は議員の息子で頭も良いし、住む世界が俺らと違うから見下してんのかなぁ」


「そうだろ、全然他人と関わろうとしないし話も乗らない。あれじゃあ世間に出たとき大変だぞー」


「御石頭良いからどーせ良いところに入って人生イージーモードなんだろーなー。あーずるいなぁ、結局は遺伝子と生まれた環境かよ」


「負け組の俺たちにはどうすることもできねぇけどな」


 ああどうしようか。このまま俺が行ったら絶対気まずい。でも何でアイツらのために俺が引かなきゃ駄目なんだ、それはそれで癪に触る。そう考えていたら、横を誰かが通り抜ける。誰かなんて、本当は分かっていたけれど。


「おっ、」


 自販機の前にいたクラスメイトたちは思わず声を上げる。ソイツは気にせず自販機で俺がいつも飲んでいるエナジードリンクを2本買う。


「る、流麗月さんも、エナジードリンクとか買うんだ、意外。け、健康とか気ぃ使ってそうだから、」


 クラスメイトはおずおずと話す。緊張しているのだろう。ソイツはゆったりとクラスメイトに視線を移すが何も言わない。


「そ、それ、好きなの?」


「うん、好き」


 その言葉にみんながピクリと反応する。


「体に悪そうな薬品の匂いと、海外のお菓子みたいに甘ったるいのが」


「え、それ褒めてる?」


「褒めてる」


ソイツはそれだけ言ってその場を去ろうとするが、それをクラスメイトが引き止める。


「なに?」


「いや、まだ時間もあるし何か話そうよ、」


「貴方達と話すことなんて何も無い」


ピシャリと言い放ったソイツにみんなは怖気付く。


「御石君のことあんなに言ってたのに、私には言わないんだ」


それを聞いたクラスメイト達はバツが悪そうに目を逸らすが、かろうじて口を開いて言い訳を口にする。


「あ、そっか、流麗月さんもアイツと同じソッチ側だもんね」


「同じにしないで。彼は、私とは違うから」


「じゃあ何でアイツ庇うんだよ」 


「庇う?なにを?」


ソイツはコテンと首を傾げ、長さの揃っていない髪がハラハラと顔にかかる。その姿はまさに化けた狐みたいで、妖美な雰囲気が漂っている。その雰囲気に当てられ、みんなは頬や耳を赤く染め上げ瞳に欲を孕んでいく。


「じゃあ私はこれで」


「まっ待ってよ!流麗月さん、流麗月さんはテレビとか出ないの?」


「出ない」


「な、何で?親があんなに有名人なのに?美人だし絶対人気出るのに、」


「だからって何で娘の私が出る必要があるの?親が有名人だから、何?親に、私に、貴方達に、何の権限があるの?」


ごもっともな回答にみんな口籠る。美人は笑うとそりゃ美人だが、真顔はとても怖くて迫力があるのはどうやら迷信ではなかったらしい。


「それと、アイツの話をしないで」


ソイツはまた吐き捨てるように言う。まただ、親の話になった時だけ、ソイツの飴細工の瞳に感情が浮かぶ。いや、霧がかかる?みたいな感じと言った方が正しいか?

 

 みんなはだらしなく口を開けたまま動かない。ソイツはみんなの横を甘い風のように去ると、俺に買ったエナジードリンクを手渡す。


「え、」


「あげる。前のお返し」


「お返しって?」


「テストの日、エナジードリンクを教えてくれた」


「はぁ、」


 教えただけで特にお礼をされるようなことではないのだが。俺の話をしていて俺が出て行きづらいのを察して買ってくれたのか?後で俺も何かお返しするか。俺は素直にそれを受けとり教室に戻り、エナジードリンクの蓋を開けるとソイツが俺の方に来る。その光景にみんなが注目して視線が痛い。悲しいことに、注目されるのは慣れてるけど。


「御石君、開けてくれない?」


「ああ…」


まだ開けられなかったのか。俺は蓋を開けてやると、ソイツはまたチビチビと飲む。本当に好きなのか?コレ。


「美味しい」


「そ」


俺はそのままごくごくと飲む。ソイツは俺の隣に来て時折ビクッと体を震わせながら飲んでいたが、ケホケホと咳き込む。


「けほっ、けほ、」


「なぁ、無理して飲まなくても…」


「………ほんとに、好きなんだよ、これ。体に悪そうで」


「褒めてねぇだろもう」


「お願いがあるの、御石君」


「なに」


「これは好き。だけど量が多いの。この時間内に飲み切らない」


「はあ」


「だから残ったの飲んでくれる?」


「はぁ?」


「駄目なら他を当たる」


 すると、周りにいたみんなは目を合わせる。女子は目を見開きボソボソと何かを言い、男子は我こそはと声を上げたいが出来ずにもどかしくいる。


「もうそれ、要らないのか」 


「飲み切らないから」


「貸せ」


俺はソイツからエナジードリンクを奪い取り、ゴクゴクゴクッと喉を鳴らし、勢いよく飲み干してカンッといい音を立てて机に置く。


「っは、」


「凄い」


ソイツはパチパチと小さく拍手をする。俺は口元を拭ってソイツに言う。


「飲み切らないなら買うなよ」


「でも、飲みたいから」


コイツには金があるから無駄という概念が無いのだろう。贅沢な事だ。


「ありがとう、助かった」


「ああ」


 俺にとってはエナジードリンクがタダで飲めたから良かった、小遣いも今は停止中になったし。飲んでみて分かったが、ソイツはあまりエナジードリンクを飲んでおらず半分以上の量が残っていた。そして俺はそれを一気に飲み干したということだ。別に好きだからいいけど。


 

 飲み終わった缶二つを手に、捨てようと下に降りるとクラスメイトに声をかけられる。


「御石」


「なに」


「放課後、少し用あって。いいか?」


「………………、ん、いいよ」



 少し迷ったのはその用事の意味が分かっていたことと、家に帰るのが遅くなると殴られるから。そして、これを断ると面倒くさくなることと、家に帰りたくない気持ち。この提案を受け入れたのはその両方を天秤にかけた末、後者の気持ちが勝ったというだけだった。




 

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