第12話 アスカの家


 ヒュウが言うには、この暮島には暮らす生き物の数だけ家があるらしい。新しい生き物が増えたなら、その生き物のために家ができる。だから、わたしの家も当たり前のようにできているはず、らしい。

 もう小さくなってしまったサンの背中を、目を細めて見る。わたしの家は、本当にあるのだろうか。地上では、家はにょきにょき生えるものではないし、すぐには出来ない。でも、雲の世界なら、そんなことは朝飯前、とでもいうのだろうか。

「アスクヮ! アスクヮ!」

 突然、サンがぴょこぴょこ跳ねながら叫びだした。わたしを必死に呼んでいる。わたしはサンに、大きな声を返す。

「サン、どうしたの?」

「ああ、きっと、見つけたんだよ」

「え?」

「アスカの家。行こう。サンが待つ場所まで」

 ヒュウに手を引かれて、走り出す。ぽわんぽわんする雲は、蹴った感覚があまりない。それなのに、ぴゅーん、と飛んでいく。速い。ワクワクする。ドキドキする。わたしのときめきを阻害するものは、ここには何もない。

「もう、遅いじゃないクヮ」

「これでも大急ぎだったんだけどな。ねぇ、アスカ」

「あ、うん!」

「ほらほら、見てみて! アスクヮの家!」

 翼でさされた家を見る。決して大きな家ではない。大きめのテント、よりは大きいかもしれない。昔々、絵本で見たお菓子の家――あれを実物にしたとしたらこんな大きさなのかも、と、わたしはふわり考えた。

「おお、いい家だね」

「ね。それにしても、ソアラはどこへ行っちゃったんだろうクヮ」

「まぁ、ソアラのことだから、自由気ままにふわふわしてるんじゃない?」

「あ、あのぅ……」

「なぁに? アスカ」

「この家を作ったのは……?」

『ソアラ』

 ふたりの声が、揃った。


「この場所は、ソアラのイメージといってもいいんだよ」

「そんなわけで、ソアラのご機嫌を損ねると家が小さくなっちゃったりするんだよねぇ。クヮクヮクヮ」

「サンは小さくされたこと、あるの?」

「もちろんある! あれ? ヒュウはないのクヮ?」

「私はない」

「ま、マジクヮ……」

「あ、あのぅ……」

「なぁに? アスクヮ」

「家の中、入ってみてもいいかなぁ」

「そりゃあ、アスクヮの家だもん。入っていいに決まっているじゃないクヮ」

「そっか。じゃあ、ふたりもどうぞ」

 するとなぜだか、ふたりは黙った。そして、見つめ合った。視線で会話している。瞬きで話をしている。その様を、わたしはじっと見つめた。頭が人間で、体が鳥。頭が鳥で、体が人間。そんな二人の体のパーツを、頭の中でだけ入れ替える。

「ん?」

 記憶の中の何かが一瞬顔を出して、また隠れた気がした。厚い雲の向こうにいる太陽が、雲に開いたわずかな穴から刹那光を届けてくれるみたいに、ほんの一瞬。

 ん? おじいちゃんに似てる? 写真でしか見たことがないけれど、昔々の、若い頃のおじいちゃんに、ちょっと似てるかも。

「う、うわぁ! アスクヮ、どうしたの? そんな難しい顔をして」

 ふたりはわたしの表情を見るなり、慌てふためき始めた。そんなふたりを見て、わたしも慌てふためく。

「ごめん、ごめん!」

「わぁ、もうそんなに仲良くなったの? いいなぁ。アスカ、あとでオイラともお話ししようね」

 通りがかったデニィに声をかけられたことをきっかけに、わたしはほんの少し冷静さを取り戻した。

「ああ、うん。わかった!」

 デニィに向けた微笑みをそのままに、ふたりに視線をうつす。まだ少し落ち着きがないようだけれど、わたしが微笑みを崩さずにいたら、だんだんと元のふたりに戻っていった。

「それで、えっと、なんだったクヮ?」

「家の中に入るっていう話で、ふたりもどうぞってアスカに言われて……」

「そうだ、そうだった」

「ねぇ、なんでサンとヒュウは、目でお話ししだしたの?」

「え、ええっとね……」

「私たちは、ほかの生き物の家に入ることはないから、かな?」

「それって……。自分の家は、完全に自分だけのスペースってこと?」

「基本的には、そう。家族で過ごす家もあって、そういう家にはほかの生き物が入ったりもするんだけど、こういう家には、ほかの誰かが入ることは基本的にないんだ。絶対に自由で、秘密が守られた場所、っていえばいいかなぁ。とはいっても、入ったり、入れたりしちゃいけませんっていう決まりがあるわけじゃない。こういうのを、なんて言うんだったか……。聞いたことはあるんだけど。ええっと」

「暗黙の了解?」

「ああ、そうだ! きっとそれ! 暗黙の了解で、入らないってことになってる」

 なるほど、だからふたりはわたしの家に入ることを躊躇したのか。でも、わたしはここへ来たばかり。この家だって、たぶん新築。ここに秘密を隠していない。

 ついさっきこの島に来たのだし、ついさっきサンがこの家を見つけてくれたのだし、わたしはまだこの家に足を踏み入れていないのだから、何かを隠す暇なんてない。そんなことは、ふたりだってよくわかっているはずだ。それでもしっかりと暗黙の了解を守ろうとする理由って、なんだろう。

 ただ単に、ふたりがとっても真面目っていうだけなのかなぁ。ヒュウはまだしも、サンはそんなに真面目には見えないけど。……という心の声は、サンには秘密だ。

「そんなわけで、まずはアスクヮひとりで中を見てきてくれない? それで、ぼくらを中に入れてもいいなって思うなら、その時はお邪魔させてもらうからさ」

 サンが翼でわたしの背中をつんつんと押しながら言う。視線をヒュウにうつすと、にっこり微笑みながら手をひらひらと振っていた。

「はい、どうぞ。おかえり、アスクヮ」

「ああ、うん。ありがとう。ただい、ま?」

 扉を開ける。すると、ブワッと風が吹き出してきた。取っ手を掴んでいたからか、わたしは平気だったけれど、サンはその風に飛ばされた!

「サン!」

 手を放したら、わたしも飛ばされると思った。だから、視線でサンを追う。ころころと風に転がされたサンは、ヒュウの足にぶつかって、ピタッと止まった。

「あぁ、イテテテテ」

 ぽんぽんとお尻をさすりながら、サンが立ち上がる。ふたりが並んでわたしに微笑み、そしてゆらゆら手を振ってくれた。

 いってらっしゃい、と言われた気がする。

 わたしはふたりには聞こえないくらい小さな声で「いってきます」とつぶやくと、もう風がやんだ扉の向こうへと足を踏み入れた。



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