論理的思考対感情的思考
灰谷 漸
平行線
人間には二種類のタイプがあると思う。
論理的な人間と感情的な人間。
これらは、どう頑張ってもわかりあえないと思う。
どれだけ言葉を尽くしても、
どれだけ歩み寄ろうとしても、
出発点が違えば、たどり着く場所もまた、同じにはならない。
論理的な人間は、常に「なぜ?」を求める。
原因を探り、結果を予測し、全体の整合性を重視する。
会話の裏にある文脈を解析し、
相手の言動に「合理性」や「一貫性」を求めてしまう。
一方で感情的な人間は、「どう感じたか」がすべてだ。
言葉の正しさよりも、表情や間の取り方、沈黙の重みを読む。
理屈では説明できない違和感や、
言葉にしなかった想いを察してほしいと願う。
論理は証明を必要とし、
感情は共鳴を求める。
だから、感情的な人間はこう言う。
「そんなに説明しなくても、気持ちでわかるでしょ?」
けれど論理的な人間にとって、それは無責任にすら聞こえる。
そして論理的な人間はこう返す。
「説明してくれなきゃ、わかるわけないだろ?」
けれど感情的な人間にとって、それは冷たく映る。
結局、両者はすれ違う。
どちらが悪いわけでもない。
ただ、違うだけなのだ。
そして、その違いを埋めるものは、
たぶん「理解」ではなく、「許容」だと思う。
わからないままでも、愛せるか。
説明できないままでも、信じられるか。
論理で動く者と、感情で生きる者が、
同じ世界で共に生きるには、
その「わからなさ」に、耐える勇気が必要なのだ。
つまり、
“わかりあえない”という前提から、
どうすれば「共にいられるか」を考え始めること。
それこそが、たぶん人間関係の出発点なのだと思う。
だが,そんなことはわかっていてもできないのが私である。
論理的思考対感情的思考 灰谷 漸 @hi-kunmath
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます