「また怖い話か…」

 夏の日差しが照り付ける雑居ビルの中。紙の資料に囲まれたデスクで、榊原慎吾はあまりの気味悪さに鳥肌のたった腕をさすった。

 佐竹遼平の声は淡々として、まるで事前に用意した文章を読み上げているようだった。

 すっかり冷めてしまったコーヒーを口に運びながら、もう一度資料に目を通す。

 佐竹は先ほどの音声データの通り、小学六年生の頃から家に引きこもりがちになった。中学へはほぼ行かず、高校入学の記録も無い。ただ通信制の大学は卒業している。その後は自宅で作業できる内職を続けていた。社会との接点はほぼなく、親からも見放されていた。

 そんな彼が最後に遺したものは、SNSにアップした一本の音声データだった。佐竹は突然SNSのアカウントを作成し、自分で語った“怪談”の音声データをアップし、その翌日にアパートで焼死した。

 家財もすべて焼失し、顔を確認できた写真は十年前の学生証しかなかった。佐竹の顔は血色のない肌に、どこも見ていないような細い目。神経質な印象を通り越して、まるでお面のように見えた。

 榊原は煙草に火をつけ、冷たいコーヒーを片手に再びデスクトップを見つめる。

 佐竹のデータ以外に、もうひとつの音声データ、テキストデータが並んでいる。そのどれもがこの火災の犠牲者たちの遺留品だ。

 佐竹と同じく、音声データを遺した尾形澄江の資料を開く。

 大手スーパーのチェーン店でアルバイトをしていた尾形の評判は、あまり良くなかった。同僚たちに話を聞いたが、尾形はバックヤードでも無口で、会話の輪には入らず、接客でも無愛想。釣り銭のミスが多く、注意されても謝罪しなかったため、クレームが絶えなかったという。

 アルバイト応募用紙に貼られた証明写真の彼女は、黒ぶち眼鏡の奥からこちらを睨みつけており、ぼさぼさとまとまらない髪が人付き合いの少なさを感じさせた。

 彼女の私物もすべてアパートで焼失してしまったものの、スーパーで使用していたパソコンにアップされていたこの音声データだけが、尾形の遺品だった。そのパソコンは勤怠管理や会計処理といった事務用途だけに使われていたが、アパート火災があった前日にこのデータがデスクトップにぽつんと保存されていたらしい。

 データに気づいた店長は一度削除したものの、後に事件を知って業者に復元を依頼したという。榊原の目の前で「もういいですよね?」とつぶやき、店長は“尾形澄江”とタイトルがついたそのデータを再び削除した。

 念のためこのデータを専門家に調査させた所、アパート火災の二日前に作成されたデータであることが分かった。後々に編集された形跡も無く、尾形自身の語り一発収録のデータが、そのままアップされたことになる。

 佐竹と尾形は、同じアパートで暮らし、同じ日に火災で死に、同じく怖い話が遺品となった。

 夏場だというのに、部屋の温度が下がりすぎている気がした。榊原は空調のリモコンを探すため椅子から立ち上がり、積み上げた資料を整えだす。

 火災は、そこで生活していた人間の記録や匂いをすべて奪い去る。偶然何かが燃えずに回収できることはあるが、それのうちのふたつが“怖い話”というのが、その内容よりも事象の方が不気味で、何やら意味ありげに感じられた。

 もし佐竹と尾形が意図的に怪談を遺したとしたら…。

 もし、まだ確認できていない堀越省吾なる人物が遺したテキストデータも、同じような内容だったとしたら…。

 それを調査する必要は、自分には本当にあるのだろうか。

 時計を見ると、待ち合わせの十九時までもう少し時間がある。気は進まないが尾形のデータだけもう一度聞いておこう。

 榊原はこれから会う依頼人の顔を思い浮かべながら、床に落ちていたリモコンで室温を二度ほど上げた。

 そのまま音声データの再生ボタンを押そうと思ったが、突然エアコンが立てたブーンという音に、一瞬手が止まった。

 背中に残る冷気を鼻息で吹き飛ばすと、榊原は残ったコーヒーを一口で飲み切り、マウスをクリックした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る