第23話 本当の怪異譚
僕は右手にREDの懐中電灯を、左手は陽菜としっかりつないでいる。一方陽菜は右手を僕に預け、左手にはバールのようなものを握り、それを引きずりながら歩いている。
「その姿、ちょっとしたホラーだよね」
「身を護るための術でもあるからね。もし達哉が暗闇にまぎれてあたしに変なことをしようとしたらコイツでさ」
「おいおい、いくら何でも物騒すぎるだろ」
「冗談よ。必要が過ぎればいったんおいていくわ」
「それが良い」
かつて探索したことのある坑道だが、それはもう何年も前のことで、僕の体もいくぶん大きくなり、考え方、感じ方もまるで変わっているために同じ場所とは思えない。記憶よりははるかに距離が短く、天井も低い。もっと真っ暗だったと思っていた坑道も、REDのライトで十分すぎるほどよく見える。
「ここだな」
「やっぱり、閉じたままみたいね」
炭鉱の突き当りに見えるその壁面は、黒い金属製の大きな扉で通路が完全にふさがれている。取っ手のようなものも見当たらないし、まるで通路自体を完全にふさぐためのものにしか感じない。
「あの時以来なんだろうか? 僕が、八年前に閉じ込められそうになった時」
「それはどうかしらね? 島の人たちが、志乃ちゃんを探索したというなら一度開けられてから、また閉じたんじゃないかしら?」
「だとしてあの時扉を閉めたのはいったい誰なんだろう? 当時の僕たちのような子供をわざわざ閉じ込める理由なんてないだろうし」
「単に誰かがおどかすためにやったとも考えられるわ。子供たちが興味本位で進入しているのを見つけた島の大人がおどかすつもりで扉を閉めた。でも、脱出した達哉が気絶をしてしまうほどにことは大げさになってしまったので、犯人は言うに言い出せずそのままになった可能性もあるし、実はその犯人は島の大人たちにこっぴどく叱られているかもしれない。
世の中の怪異譚なんて、実際よく調べると大体そんなオチが付くものよ。今までだってそうだったじゃない」
「そうとわかって、美登里陽菜はいつも僕を引っ張りまわして楽しんでいたんでしょ」
「そんなこともないわよ。いつか本当に怪異と出会えるかもしれないと、期待だってしていたわ。炭鉱のこの扉を閉めたのだって、昔にここでなくなった亡霊が仲間を求めてやった可能性だってまだ信じているわ」
「でも、それだとあまり信憑性がね。何しろ炭鉱で亡くなった人のほとんどは独身の男性なんでしょ? なら、子供を仲間に引き入れるなんてドラマが足りないよ。たとえばさ、ここで亡くなったのが子供で、同じ年頃の遊び相手が欲しくて帰れなくしようとしたなら、それは物語として成立する」
「達哉は本の読みすぎなのよ。怪異譚が常にドラマティックであるのは、そこに作者が存在するからよ。死者の怨念なんて実際はもっと単純なものだと思うわ。できすぎている怪異譚は、却ってそこに製作者の意図が見えてしまってリアリティがなくなるのよね」
「でも、そういう物語性がしっかりしている怪異譚こそ、人は面白がって拡散するから、実際噂になっている怪異譚の多くは創作ばかりさ。もっとも、その裏に隠れた本物がある可能性を否定できなくはないけどね」
「それを求めて、あたしはこうしてやってきているのよ」
押しても引いてもピクリとも動かない鉄の扉に関して、僕たちは予定通りの行動をとるしかないという結論に至った。
「僕がやるよ」
「任せた」
陽菜からバールのようなものを受け取った僕は、それを鉄扉の隙間に差し込み、てこの原理を利用して扉をこじ開けた。重い鉄の扉も、経年劣化による腐食には勝てない。バールでこじ開けている途中、錆がボロボロと剥がれ落ちながら、無残に折れて引き裂かれるように崩れ落ちた。
「まあ、こんな扉はない方がいいんだよ。元々、なんのために作られたのかもわからないけれど、これで無駄に閉じ込められる心配をする必要がなくなった」
「そうね。バールも荷物になるし、ここに置いておきましょうか」
僕たちは通路の奥を照らす。子供の頃の僕たちは普通に歩いていたけれど、大人になった今では少し頭を低くしないとまっすぐには歩けない狭さだとわかった。前にいる人を追い抜くことなんてできそうにない。
壁面を照らす。内側の壁は真っ黒にすすけている。
「これ、歩いて行けば服が台無しになるのは避けられそうにないわね」
つぶやく陽菜の側で、僕はふと思い当たった。
「ああ、そうか、そういうことか……」
「なにが?」
「1972年、この炭鉱で火災事故が起きて、坑夫が九名無くなっているんだ。その時の火災現場がここだろうね。だから壁一面に煤が付いたままなんだ。事件当時から約五十年。この場所はその時の傷跡を残したままなんだよ」
「じゃあ、あの金属の扉は?」
「防火扉だよ。火災の発生は坑内の石炭かな。発生した火災の延焼を防ぐために、防火扉を閉めたんだ」
「じゃあ、犠牲者っていうのは……」
「逃げ遅れた抗夫たちがいるにもかかわらず、火災の延焼を防ぐことを優先した結果だね」
僕たちはそのまま、通路の奥に到達した。小さな朱色の鳥居はREDのライトで照らされ、今尚鮮明な色として残ったままだ。入口にあった鳥居はあんなに色あせていたにもかかわらず、外気にほとんど触れないこの場所は、ずっとその時の時間が止まったままであるかのような凄惨な静謐を保っている。
「ここで犠牲になった人たちは一体どんな気持ちだったんだろうか? おそらく、こんな狭い場所で火災が発生したとき、きっとパニックになっただろうね。通路から逃げようとしても、前の人がいる限り進むことも出来なくて、発生した煙を吸い意識を失い、燃える焔から逃げることも出来ずに焼かれていったんだ。
確かに、炭鉱の責任者としては総合的な判断をしたのだろうけれど、その犠牲になって焼かれた人たちは納得できるものじゃない」
「ねえ、わたしもあの事件の記事は読んだけれど、防火扉のことは一切書かれていなかったわ」
「たぶん、責任者自身罪の意識もあったんだろう。だから、逃げ遅れた人がいるにもかかわらず防火扉を閉めたことには緘口令が引かれたのかもしれないね」
「そう考えるとさ、達哉がここで体験した現象っていうのは、もしかすると本当の怪異譚で、達哉を通じて自分たちの無念を伝えようとしていたのかもしれないわね」
「だけど、あの時の僕は幼すぎて、それを世に広げることはできなかった。でも、今ならできると思わないか?」
「五十年もたった今頃になって、マスコミが相手にしてくれるかしら? 昔はオカルトブームなんてものがあって、テレビなんかでも取り扱ってくれたのだけど……」
「それこそ、今はSNSもあるし、都市伝説の掲示板なんかもある。物語としてできすぎているようにさえ感じる一連の出来事なら、もしかするとそれなりに広まってくれるかもしれない」
「でも、都市伝説の掲示板なんかに書き込んでも、それを事実として受け止めてくれる可能性は低いわね」
「だったらこの一連の出来事を、僕が文章化してどこかで公開するという方法もある。もし、このに眠る怨念が僕の前に怪異として現れたというのなら、僕にだって微力ながら何かをやってあげたいとは思うんだ」
「そうね。確かにそれも悪くないかもしれない」
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