第13話 鳥待ち岩
午後になり、一旦帰宅して夜を待つことにした。しばらく受験のための勉強をして、そうめんを食べてから風呂に入る。再び出発したのは夜の9時を回ったころだ。
再び原付で二人乗りをして九十九折の道を下っていく。一切の街灯のない坂道だが、どうやらその夜は満月らしく、道は月の光によって照らされてそれほど暗さを感じなかった。
港の付近にはまだ人もまばらにいる。僕らは原付を降りて脇道に停め、歩いて港の方に向かった。
港の前を通り過ぎ、海に挟まれた細い道を歩き、その先に大きな一枚岩がある。平らな大きな一枚岩が海の上に突出しているような形で、人間なら五人くらいは平気で乗れるくらいの広さがある。海鳥たちが集まり羽を休めるには絶好の場所だからだろう。島の人たちからは『鳥待ち岩』と呼ばれているらしい。
そこがウミホタルの鑑賞スポットらしい。道を歩いていくうちに、どうやら先客があることに気が付いた。白いワンピースを着た女性がひとり、岩の上でしゃがんで海を覗いている。暗闇に照らされる白いワンピースが月明かりに照らされて青白く光って見える。
僕たちも鳥待ち岩までたどり着き、「こんばんわ」と、ワンピースの女性に声を掛けた。女性は振り返り、「あら、偶然ね」と言った。
女性は『志乃』だった。
「たしか、美登里さん、でしたよね。もしかして、ウミホタルですか?」
「そうなんです。えっと、すいません。そういえばお名前伺っていなかったですよね」
「あ、そうでしたっけ?」彼女はそう言いながら僕の方に視線を向けながら「志乃と言います」と名乗った。その少し冷たい目線は「あなたは憶えているでしょう」と指摘しているように見える。やはり、あの時の志乃で間違いないのだろうか。当時の事件を知った他人が、志乃の名前を語っているということはあり得ないのだろうか?
だって志乃はあの時……
「そろそろ時間ですよ。もうすぐ始まると思います」
志乃が見つめる視線の先に、俺たちも焦点を合わせる。鳥待ち岩の沖合の海が、ぼんやりと青く光る。
「きれい……」
陽菜がつぶやき、その後ろに立っていた俺も黙って頷いた。
「ウミホタルはね、甲殻類の仲間で、刺激を受けることで青白い光を放つの」と志乃は解説してくれる。「きれいな海にしかすまないとよく言われるのだけど、本当は少し違うわ」
「そうなの?」
「ウミホタルは別名、海の掃除屋とも言われているの。きれいな海にいるんじゃなくて、ウミホタルが群生する場所は、ウミホタルのおかげで海がきれいになるのよ」
――それは俺も知らない話だ。受験には関係ないだろうが憶えておいて損はない。そしてその事実に、陽菜は疑問を持った。
「掃除するって、ウミホタルは何をするの?」
「それは簡単な話よ。ウミホタルの食事はね、貝類や魚の死骸なの。海の磯のにおいというのは、言ってしまえばそう言った海生生物の死骸だから、どうしても放っておくと海は臭くなるし汚れていくの。ウミホタルたちはその死骸を食べて回るから、海はきれいになるというわけ」
「それってさ、逆を返せばウミホタルが群生するところというのは死骸が豊富にあるっていうことなんじゃない?」
「そうかもしれないわね。ほら、瀬戸内海って内海だから、外洋から流れ込んだ魚の死骸なんかも、潮の流れのせいで逃げられなくなるのよね。おかげで瀬戸内海にはプランクトンがたまり、漁港には毎日のように良質の魚が集まるの」
「集まる死骸と、それを食らう者たちの連鎖ね」
陽菜のものの言い方は、やはりどこかオカルティックである。ウミホタルの光を見て「きれい」などとつぶやく女子のほとんどはもう少しロマンティックな考えを持っていそうだが、やはり元オカルト研究部の部長である美登里陽菜にはそういうのは似合わない。
不意に志乃は後ろを振り返り、僕の方を見た。
「ほら、中辻君もそんなところに突っ立ってないで、もっと前に来てごらんなさいよ」
「え、あ、うん……」
後ろに引いた志乃が俺の背中をドンと前に推した。不意のことでよろけて二歩ほど前に進んで陽菜と並んだ。
「あぶないだろ、落ちたらどうするつもりだよ」その言葉は自然と口に出た。ついさっきまで警戒していたはずの志乃が、いつの間にかそれほどあやしい存在には感じられなくなっている。
僕の言葉に志乃は口に手を当てて笑っていた。思えば僕が彼女に声を掛けたのは初めてだったかもしれない。そして、素直に笑う志乃を見て、胸の奥がギュッとなる。その笑顔は、初恋の記憶そのままだった。
「ねえ、ちょっと聞いていい?」
陽菜が怪訝な顔をする。
「なんだ?」
「いつから二人はそんなに仲良くなったの?」
「志乃さん、中辻君って呼んだけど、どうして名前を知っているのかしら」
はっとして僕は言い訳を考える。
「それはさ、あれだよ。予約を入れた時の名簿を見たから、名前を知っているんじゃないか?」
しかし今度は志乃がその言葉に怪訝な顔をする。
「中辻君、どうしてそうやってごまかそうとするの? 何か、悪いことをして隠しているみたいじゃない」
「いや、それは……」僕は必死にごまかそうとするが、
「どういうこと?」という陽菜の言葉に志乃は答える。
「わたし達、昔ここで会ったことがあるのよ。中辻君はわたしの、初恋の人……」
思わぬところで好かれていたことを知り、複雑な気持ちになった。僕にとっても志乃は初恋の相手だったし、それが互いに思いあっていたんだということは確かに喜ばしいことかもしれないが、なにも陽菜の前で言わなくてもと思ってしまう。それに僕は志乃を見殺しにした……はずだった。
「なによ、そういうことならもっと早く教えてよ」
陽菜が僕の肩をぴしゃぴしゃとたたく。初恋相手だと言われた僕を茶化すように。
「いや、会った時にもしかしてとは思ったんだけど、本人であるという確証がなくて……。もう、八年も前のことだし、僕たちはその時まだ小学生だったから……」
「わたし達、夏の短い間だけこの島で一緒に過ごしたの。いろいろなところを探検したわ。中辻君は忘れてしまったかしら」
「いや、ちゃんと覚えている」戸惑いながらも、はっきりさせたくてその言葉を言う。「ずっと気になっていたんだよ。あの時、ちゃんと挨拶も出来ずに島を離れることになって」
「ふふ、そうね。わたしも気になっていたわ。もしかして嫌われたんじゃないかって。ほら、探検に行ったとき、わたしたち、途中ではぐれてしまったじゃない?」
「ごめんあの時はあの時はわたしが突き飛ばしてしまったのがいけないのだから」
「あの後ずっと気になってたんだ……」
「中辻君が気にすることじゃないわ。こっちこそごめんね。ちゃんと挨拶できなかったから、ずっと気がかりにさせてしまっていたのね」
「いや、こっちこそ。無事だったことがわかってこうやって再会できたのは本当にうれしいよ」
あの時、彼女は無事だったんだ。それがわかっただけでここに来た甲斐があった。僕が見殺しにしてしまったと思い込んでいた少女は、まったくもって無事で、こうして大人になって再会することができた。
彼女はあの時のことを怒っている様子もなく、むしろ、自分が悪かったのだから気にしないでくれと言われ、いろいろなことが一気に楽になった。
「え、ちょっと待って、たいへん!」
陽菜が突然叫び、その時ようやく僕は今置かれている状態に気が付いた。
満潮のせいで、鳥待ち岩の周りの陸地が海水に飲まれ、この岩の場所が小さな孤島状態になっていた。
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