第14話 昔話
「どうしよう。わたしたち、帰れなくなっちゃたじゃない」
心配する陽菜を余所に、志乃は平然としている。
「だいじょうぶよ。単なる潮の満ち欠けだから、五時間くらい待てばまた元通りになりますよ」
「それは知ってるけど、あたし達、五時間もここにいなきゃいけないの?」
「五時間なんてあっという間ですよ。そんなに急ぎの用があるわけじゃないなら」
「そりゃあ、無いんだけどさ」
「積もる話もあることですし、それまでゆっくりお話をしませんか」
「それもそうね。それじゃあ聞きたいんだけどさ、達哉と志乃さんが以前に遭ったことがあるっていう話、詳しく教えてよ。時間はあるんだから、もったいぶらなくてもいいでしょ」
「そうですね。わたしから話してもいいのですけど……」
「そうだな。その話は僕が話すよ」
志乃が僕に気を遣ってくれたのはわかる。陽菜に対しては、僕の視点からで話さなければ不都合なことがある。話していい事、話すべきではないことを選んだうえで語らなくてはならないだろう。そのことに気を遣い、主導権を渡してくれたのだ。
あるいは僕からの視点で、どういう弁明があるのかを聞き出そうとしているのかもしれないし、僕がどこまで誠実に話すのかを見定めようとしているのかもしれない。
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あれは今から八年前の夏のことだ。僕がまだ小学生の頃、父に連れられて、この島にサマーキャンプに訪れた。そのころは今ほど観光客もいなくて、多分ホタルの都市伝説なんかもなかったころだと思う。
まだ子供の頃ではっきりと記憶にないのだが、どこか小さな民家をそのまま借りていたんだ、今の僕たちみたいに。
もっと小さな家で、もっと港に近いどこかだったと思う。父は民家を借りているにもかかわらず、その庭にテントを張って、夜はそこで寝泊まりをしたのを覚えているよ。きっと小さな僕を連れていたので、安全を確保しながらキャンプ気分を味わうには最適だったんだと思う。なにしろ、お風呂も使えるし、トイレもキッチンだって使える。そのうえ、夜寝る時にテントで寝るなんて、子供心からすればこの上なくわくわくするイベントだったろう。
僕ははじめの頃、このキャンプは一泊か、せいぜい二泊ぐらいで本土に帰るものだと思っていた。だけど、キャンプが快適だったからかもしれないし、僕も夏休み中。父も育児休暇制度を利用して長期の休暇をとっているらしかった。サマーキャンプは何日間も続いたんだ。
夜になると庭でバーベキューをしたり、テントで寝たり。父子家庭だったぼくとしてはそれは楽しいイベントだった。だけどね、日中はと言えば、父は用事があるらしくどこかに出かけてしまうから、日中の僕はと言えば、民家のほうでひとりぼっち、普通に夏休みの宿題をしたり、あとはごろごろするしかなかったんだ。あの民家には、マンガやゲーム機もなかったからね。もしかすると、普段僕がそれらに入り浸りの生活をしていたものだから、その毒抜きをしようとしていたのかもしれない。
でも、そんなことをされたって友達の一人もいない僕からすれば日中は退屈極まりない日々に過ぎなかった。そんなある日、志乃に出会ったんだ。
日中やることもなくて、僕は一人で庭に貼ったテントの中で転がっていた。そしたら、ザっ、ザっ、という音が聞こえて、庭を誰かが歩いているなと思ったんだ。その音は軽い足取りで、父ではないことはすぐにわかった。
誰だろうという疑問もあり、内側からテントのファスナーを開けて外を見ようとした。
その瞬間、「うわっ」と声を上げてしりもちをついた。ファスナーを開けた瞬間、そこにひとの顔があった。長い黒髪の女の子が空けたファスナーからこっちを覗いていたんだ。
「あなた、なかつじ君だよね」
と、その少女は言ったんだ。
「きみはだれ?」
「わたし、志乃だよ。ずっと逢いたかった。ねえ、一緒に遊ぼうよ」
そう言って志乃は開いたファスナーから白い小さな手をすっと手を伸ばしてきた。
僕はその手を取り、引っ張り出されるようにテントから外に出たんだ。その手が、真夏にもかかわらずとても冷たいことに驚いた。
少しうれしかったよ。何しろ友達もいなくて、ゲームもマンガもない毎日だ。きっと父が訪問先の家の子供に声を掛けてここに寄こしたものだと思っていた。
「ねえ、なにして遊ぶの?」
「なかつじ君は何がしたい?」
「うん、ゲームがしたいな。志乃の家にゲーム機はある?」
「ゲーム機は持っていないの。パパが買ってくれなくて」
「そうか、それなら仕方ない。マンガはある?」
「漫画ならあるけど、今はダメ。家には人がいるから、遊ぶのは外で遊ぶか、中辻君の家でないと」
「そうか、じゃあ仕方ないかな。とりあえずテントの中じゃ狭いし、家に入ろうか」
民家の中にはゲーム機もマンガもなかったが、押し入れの中にはオセロや花札と言ったアナログなゲームはあった。日中ひとりでいてもすることのできなかったゲームだ。志乃はゲーム機自体は持っていなかったが、そう言ったアナログなゲームのルールなら知っていて、不自由なく遊ぶことができた。
だが、そのゲームにもなんだかんだとすぐに飽きた。
「なあ、志乃は普段、なにをして遊んでいるんだ友達は他にいないのか?」
「この島には友達なんていないよ。いるのは年寄りとおじさんばっかり」
当時はキャンプの客なんていなかったし、確かにどこを見回しても老人ばかりだった。おじさんも、志乃が言うほどには見かけなかったが、この島の産業がほぼ漁業で成り立っていることを考えればわかる。島のおじさんたちは皆海に出ているのだろう。子供に関して言えば、志乃以外は見かけたことがない。
「普段は何をしているの?」
「森へ行く」
「森?」
「そう、森。森の中には動物もいるし、夏でも涼しい。洞窟があって探検も出来る」
「探検? 洞窟に?」
「そう、洞窟。でも、大人は危険だから入っちゃだめだって言ってる」
「志乃は入ったことがあるの?」
少女は一旦視線をそらした。
「誰にも言わないよ。約束する」
「ほんとに?」
「ほんとだよ」
「入ったことある。何度か……」
「いいね、それ。その洞窟に探検に行こうよ。案内して!」
「でも、大人が入っちゃいけないって」
「志乃は入ったことあるんだろ?」
少女はこくりと頭を下げる。
「案内してくれなきゃ、大人に言いふらすよ。志乃が洞くつに入っているって」
「それは!」
「じゃあ、案内してくれるよね」
少女はこくりと頭を下げた。
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